うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

闘い終えて、春がくる

濃厚接触者としての観察期間が終わった。
さっそく外での活動を再開すべく府のPCR検査を受けにいった。
お昼前にキットを提出して、翌日の夕方に結果のメール。
陰性。
ほんとに、やっと終わった。
二週間なんもなくてこんだけ元気で自分も陽性やったらズッコケるなぁ、とか思ってたんだけど、まあなんもなかったです。よかったです。

3回目のワクチンも接種した。
ファイザーファイザーときてモデルナ。
べつにファイザーでもよかったのだけど打ちたい日がモデルナしかなかった。
副反応は、その日の晩から翌日にかけて微熱が出たくらい。
打ったらその施設で使える金券をもらった。何年ぶりかにスタバでお茶をした。ほうじ茶のケーキとチャイがおいしかった。
晩ごはんはスープストックでソリャンカとボルシチを、石窯パンと一緒に。ウクライナ料理。

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わたしは比較的、運がいい。
大怪我も大病もしたことがなく、四十を過ぎてもすこぶる健康だ。
コロナ禍になったときも自分は絶対に罹らないという自信があった。
死ぬ気せーへん不死身やし、と本気で思っていたのだ。
わたしの分身のような弟が罹るまでは。
人はやむをえず、どうしようもなく、病には罹るのだとようやく悟った。
心構えとか、対策とか、体の強い弱いにかかわらず。ましてや運の問題でもない。
夜中にふと咳が聞こえなくなったとき、隣の部屋で寝てる弟が寝てる間に死んでしまったらどうしようと、はじめて恐怖した。
そんな状態にわたしもなるかもしれないと。
どうしようもない理不尽と恐怖と先の見えない閉鎖的な時間の中で、「こんなもんにぜったい殺されたくない」となぜかめちゃくちゃに怒りがわいてきたのだった。
待機期間は「本当にこれでいいのか?」という疑念との闘いでもあったし、外へ出られない、仕事を休んでいるというストレスもあった。
できることは読書とブログと筋トレぐらい。それが支えとなった。
ずっと家にいたにもかかわらず体重が落ちた。尻と太ももがパンパンになってたデニムがスッとはけたし、トップスをインできるようにさえなっていた。
ストレスを健全に発散できた結果、健康的に痩せることに成功していたのだった。
デニムを一本、サイズを落として新調した。

仕事は、復帰したら案の定ぎくしゃくしてしまった。
誰にもどうしようもないことを言われるのと、家族にかかわることでなにかを疑われるのはやるせなかった。
家にいてるあいだはもってた心がグニャーとへし折れてしまった。
わたしは正社員ではないので休んでるときの給料は保証されず、有給をすべて溶かした。まあ使わせてもらえただけ良心的なのだが。
いろいろ思うところも言いたいこともあったのだけど、考えるのにも闘うのにもよけいな力が要るのでやめた。不毛すぎる。

競馬場へ行くのもあきらめた。
応援している厩舎が重賞に管理馬を出走させるのでぜひ行きたかったのだけど、ワクチン接種後の抗体ができるとされる二週間には足りないので泣く泣く断念。ここ一、二年こんなんばっかりである。
ビルジキール阪神スプリングジャンプに出走。障害馬が未勝利、オープンを勝ちあがって重賞へ行くのは、それだけですごいこと。
サウンドクレア、フィリーズレビューに出走。このレースを勝ったお母さんを思い出すわね。
どちらもナイスチャレンジでした。無事が一番。
わたしがそこにいたくていられなくっても、まあ、誰かが見てくれるのならそれでいいかな。
そこにいたいというのは自分の願望でしかないので。
わたしの願いが叶わなくっても世界はまわるのだから。
そうやって願いが叶わないことに納得して折り合いをつけているうちに、何かを強く望むことが怖くなってきたのだった。
望んで得られないのは苦しい。あきらめることは悲しい。
ならばはじめから叶わないものとして家で座って遠くから憧れていればいいのか。それも違う気がする。
せめて、いつでも出かけられるように用意をして待っている。

さあ、春がきた。