うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

いつもの道を変えてみる

 

中京競馬場へ遠征してきた。
行きはアーバンライナーに、帰りはひのとりに乗るという超豪華な旅程で。
鉄道好きの人はほんとうにいろんなことを知っている。
フリーパスを駆使してお得で快適な旅となった。
わたしは乗り物に乗るのは好きだけど交通手段には無頓着。
大筋はしっかり調べるが細かいところは乗換案内で調べながら「そのとき乗れるやつに乗ってったらいい」というライブ感満載な旅をする。これでもだいたいなんとかなる。
競馬場へ遠征するときもバスか新幹線。
もうバスは体力的にきついから、これからは新幹線一択になるかな。
なので、綿密な計画のもとプレミアムな特急に乗ったりするのがものすごく新鮮だった。
電車なのに揺れない。だから酔わない。だいたい競馬の行き帰りは乗り物酔いしてるのに。
シートの座り心地最高だし、車内も広々としている。なにより美しい!
こういう世界もあるのね。知らなかった。

 

ひのとり、フォルムがかっこいい。

品のある赤。

ほんとうに快適で、いつまでも座っていたかった。

名残惜しい…(最後のときに青く輝く)


独りきりで同じことをずっと考え込んでいると、煮詰めすぎてよくない。
わたしは競馬愛を十数年煮詰めすぎた結果、競馬をやめようか休もうかという瀬戸際まできてしまった。
コロナ禍でこんなに心が折れるとは夢にも思わなかった。
競馬場に通えなくなって愛を具現化できなくなったことに病み、自分の中の愛の正体を疑った。
わたしの愛は執着だ。
個々への愛が、ハコへ敬意と愛着を抱かせるにすぎない。
だから、ほんとうに好きなのは好きな馬と好きな人だけで、競馬をそんなに好きではないのかもしれない。
そんな自分の本質に気づいて、なんてふまじめで、浅く薄っぺらいんだろうと落ち込んだ。
ほんとうに競馬を好きな人に恥ずかしいし申し訳ないと、この界隈から消えてしまいたくなった。

でも、それがなんだというのだろう?
好きなことに変わりない。楽しいことに変わりない。
行きたい場所があって会いたい人馬がいる。その気持ちに嘘はない。
好きなものの好きかたは自由だ。
予想が好き。馬券が好き。
レースが好き。血統が好き。
馬が好き。ホースマンが好き。
ジョッキーが、厩舎が、馬主が、牧場が好き。
競馬場が好きで自分の居場所のように思っている、という人もいるだろう。
競馬は自由だ。
何にどれだけお金や時間や情熱をかけるかも人それぞれ。
ガチでもなんとなくでも、好きは好きでいいのだ。そんな懐の深さがある。
大切なのは自分が楽しいかどうか。好きなものに敬意と感謝の気持ちを抱けるかどうか。
これしかない。こうでないと。
そんな執着はいずれ自他を追いつめるようになる。
愛の重さで自分自身がつぶれてしまう。

だから今日は行き道を変えてみた。
独りでなく、お友だちと行った。
目線を変えていつもと違うことをしてみると、新しいものが見えてくる。
知らなかったものを知ることで、もとあった愛のかたちもまたあざやかに浮きあがってくる。
執着だろうが浅かろうが、好きなんだから、好きなままでいいじゃないか。
挽きたての珈琲に癒されながら、心地のいいリクライニングシートに身をゆだねながら、もう一度おなじ旅程で中京競馬場へ行くことを夢想しながら帰路についた。

 

おいしかったです。ごちそうさま。