うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

さよなら情熱、こんにちは自由

ずっと吹いていた風がやんだ。
いま心は凪いでいる。
物心ついたときから心と体をつき動かしていた情熱が、不惑を過ぎてからすっと消えた。
わたしの中の無邪気な子どもがついに歳をとってしまった。
じゃあ大人になれるのか。大人になりきれずにいたこのわたしは。
それはまた別の話かもしれない。
けれど自分の中で確実になにかが変わっていっている。

もがきながら、いつもなにかを追い求めつづけて生きてきた。
ゲームも、漫画も、創作も、競馬も、わたしの人生そのものだと信じながら。
好きで大切で愛おしくて、ほとんど気が触れていた。
何かに打ち込むというのは決して楽しいだけじゃない。
身も心も焦がすことの気持ちよさとしんどさ。
あの幸せで苦しくもあった時間はもう来ないのだろう。
情熱の時間をすぎてみれば、愛したものたちはわたしの人生そのものではなかった。
ただ人生を彩ってくれた愛すべきものたちだった。
愛と情熱ゆえに錯覚していただけで、わたしそのものではなかった。
そんな当たり前のことがわかるのに数十年。
悟った瞬間、わたしの中の無邪気な子どもはいなくなった。
好きなものの好きかたが変わったのだった。

変わっていく、戻れない、心が歳をとる。
なんとはなしに淋しい。
かといってエネルギッシュだったころに戻りたいとも、もはや思わなくて。
年齢と経験を重ねて新しい自分になっていくのだとすれば、それも自然なことなんだろう。
好きを熱くつきつめることがなくなったかわりに、これから歳をとっていく人の気持ちにはなんとなく寄り添えるだろう。
失うことも、夢が叶わないことも、熱が冷めることも、理想と現実が違うことも知っている。
だからといって愛が消えてなくなるわけではないことも。
好きなものから離れたっていいことも。

わたしは競馬も創作も漫画もゲームも、ずっと好きなままだ。
ただ風がやんだだけで、変わらず心の中にある。
それでいいのだ。
好きならば燃えていなければならないなんて。
炎を絶やしてはならないなんて。
たえず薪をくべつづけるなんて、まるでお仕事じゃあないか。

なんとなく生きるっていうのも、案外いいものなのかもしれない。
物心ついたときからなにかにハマっていたから、なにかに打ち込んでいない状態は生まれて初めてだ。
若いころにはまるで予期しなかったこの自由は、年齢を重ねたことでようやく受けとれたギフトなのかもしれない。
なんにもないから、なんでもできる。
そうしているうちに、またなにかを好きになるかもしれない。