うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

裏アカつくって、すぐ消した

ツイッターでつぶやくことがほとんどなくなった。
もともと趣味で構築した関係性とタイムラインだったから、活動が止まってから、ほんとうに静かになってしまった。
いまのわたしは無趣味の人だ。
好きなものはいろいろあるけれど、競馬に打ち込んでいた時ほどじゃない。
「きのうのきょうまで競馬の話してた人が、いきなりマンガアニメドラマの浅い話をするのもね。」
そう思うと何もつぶやけなかった。
ゴールデンカムイ宝石の国も、ダイの大冒険もドンブラザーズも、鎌倉殿の13人も、プロ野球阪神タイガースも。
これらへの愛はぜんぶ自分の中でほぼ完結して、語りたい、分かち合いたい、見解を訊きたい、深く知り尽くしたい、と渇望するほどの情熱まではあふれてこない。
好きだなぁ、面白いなぁ、元気をくれるなぁ、次回を観るためにがんばろう、と日々感じながら、さらっと触れているだけで満足。
これはもうオタクじゃない。
ふつうのひとだ。

シェアするブログの記事も、趣味とのつきあいかたや人生についての悩みと決断の話が多くなっていった。
ふつうのひとのふつうの日常なんて、情熱あふれる趣味人たちには遠い世界の、別次元の話なんじゃないのかな。
「じゃあどうして、わたしはまだここにいるんだろう?」
なんだかちょっと疲れていた。
わたしのことを誰も知らない場所へ行きたかった。
旅行と同じだ。ひとりになりたくてどこかへ行く。心も体も。

 

apps.apple.com

やさしいSNS「GRAVITY」をはじめた。
わたしの他愛もない話を、わたしのことを知らない誰かに、なんとなく聞いていてほしかった。
「そういえばツイッターをはじめたときも、こんな気持ちだったなぁ。」
でも今度は誰とも友だちにならないでいよう。そのうちまた何も言えなくなってしまうから。
反応がすぐに返ってくるSNSって、反応という報酬を受け取ろうとしてどんどん脳がハマる。
アカウントを作った週末は、気がついたらあっちへ入り浸っていた。先週のはなし。
結局フォロワーはちょっとずつ増えてしまったし、コメントが来たらお返しのラリーになったし、そのうちのひとりとは話の流れで相互になっていた。
相互の「友だち」になった人はHSP、いわゆる繊細さんのコミュニティでやりとりした人だった。
だから、あんまりしんどいことや重たいことはつぶやけなくなった。
関係性ができると遠慮と躊躇が生まれてしまうのはどこも同じ。
それが生きる、暮らすってことなんだろう。
「どこへ行っても同じだ。」
ツイッターだろうがGRAVITYだろうが。
オンラインだろうがオフラインだろうが。
わたしの心のありかたや、受け取りかたが変わらない限りは。
生きかたは、変えられない。
余談だけどこのGRAVITY、恋愛の話題が多くてなんだかいたたまれなくなってしまった。
「みんなすごいね、そんなにまで人を好きになれるって。」
ちょっと怖いな。でも素敵だな。わたしにはできません。
それでまた、なんとなく疲れてしまったのだった。

アカウントを消した。
「友だち」にも黙って消えた。
三日坊主だった。
どこへ行っても同じなら、これまで大事にしてきた十数年の縁をゆるく温存していきたかった。
わたしのことを嫌いな人もいるけれど、好きな人たちはもっといっぱいいる。
いいこともそうでないことも、なかったことにはしたくない。
無趣味でもふつうでも、浅くても深くても、重たくても軽くても、いつでもなんでもつぶやけばいい。
誰か何かを繋ぎ止めるために自分や趣味をコンテンツにするのはだいぶ前にやめた。
スルーされようがスベろうが、言葉を慎重に選びながら、言いたいことを言えばいい。
それで離れていく人とはきっとはじめから縁がなかった。
わたしから離れる縁もある。
自由だから悩むし、傷つくし、疲れるし、嫌になる。
それでもまた赦したり赦されたりして、気をとりなおして誰かと何かを交わす。
言葉だったり、気持ちだったり、好きなものだったり、考えかた感じかただったり。
言いたいことを言う、人とかかわるってそういうことだ。
わたしはまだツイッターをつづけている。ここにいる。