うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

ぼんやりがもたらしたもの

タクティクスオウガがリメイクされる。
確か20代くらい、わたしがゲーム好きとして最後らへんにハマったタイトルだ。
いい大人になってから出会ったにもかかわらず、大人の頭のまま、子どもの頃の熱量で取り組めた稀有な作品だった。
ほんとうに寝食を忘れて没頭した。
時代遅れの個人サイトをも作ろうとしたし、二次創作もいっぱいした。
毎日、夜を徹して死者の宮殿に潜っていた。
またあの気持ちよさを味わいたいものだ。
けど、いま手にとったら懐かしむほうに心は傾いてしまうだろう。

昔に熱中したゲーム、また遊びたいなぁと思いつつも日常にのしかかられて重い腰があがらない。
気がつけばそういう大人に自分もなっていた。
直近の最後に遊んだゲームはスマホロマサガ3だったはず。
しかも未クリアで積みゲーと化している。
ゲームは面白い。でも心と体がついていかなくなった。
ほかにもたくさん、もっと楽で面白いものを知ったからというのもあるだろう。
きょうだいでゲーム機とソフトと攻略本を共有して、一日一時間という制約の中で競うように遊んでた子どもの頃がいちばん楽しかった。
大人になってからもしばらくひとりでピコピコと遊んていたけれど、やっと時間もお金も思い通りになったというのに、子どもの頃ほどのめり込むことはなくなっていった。
制約と共有がミソだったのだ。
そしてなにより、わたしはゲーム以上に楽しいものをしらない子どもではなくなっていた。

ゲームをやらなくなったのは、競馬と出会ったからでもある。
わたし、マルチタスクができないひとなので。
触れる世界が二次元から三次元に変わり、物語だったものがそこにある現実となって、だんだんと心と体の両立ができなくなっていった。
好きなものひとつをとことん愛し極める性分は、たぶんゲームのプレイスタイルからきている。
その競馬熱も十数年経って、いったんひと段落した。
なんやかやあって、いろんなものをちょっとずつ、そのときそのつど味わうのも楽しいよね、といまは「ぼんやり」を満喫している。

ゲームをやめたのも、競馬と出会ったのも、競馬をやりつくしたのも、すべて転機だった。
どの転機でも生きかたは変わった。
好きなものとずっと向きあいつづけるのと同じくらい、新しいものに触れることも大事なんだろう、情熱を抱くためには。
「ぼんやり」するようになってから、楽しむ秘訣みたいなものがわかってきた気がする。
いまはどちらとも、また違ったかかわりかたができるようになっているかもしれない。
これからの人生で、それを試してみようと思う。