うまいこといえない。

うまいこといえないひとがつたないなりに何かを残し誰かに伝えたいブログ。

ふつう、や〜めた

絶賛休職中だ。
今期の契約期間をもって終わりにさせてもらった。
そんなわけで、実はちょっと前から家にいる。
人や環境に不満があったわけじゃない。特に大きな問題があったのでもない。
たぶん、いろんなことの積み重ねで、くるべき限界がきてしまっただけ。
折れてしまった。
弱りきってしまったその時ふと「人間」を維持するのが、どうしようもなくしんどくなった。
四十年ふつうを装って生きてきたんだからもう充分でしょう。
ここらでいったん休憩。

「人間」がうまくできなかった。昔からずっと。
働くのも仕事をするのも好き。でも「人間」でつらくなる。
物事を他の人より強く感じすぎてしまう。たとえば音や声や言葉。
それらを自分の中でうまく処理できなくて、自分の心の中で溺れ死にそうになる。
たぶん向いてないのだ。会社にも人間にも。
ふつうを装うのにはものすごいパワーが必要だった。
それはとても自分をすり減らすことだった。無理をしていた。
しかし学歴も資格も特技もないわたしは、組織に属してどこかへ通うしか生きるすべがなかった。
だからふつうになる努力をしていたのだけど、不惑を迎えたあたりでいよいよ心が壊れてしまったというわけ。

脳に障害があったとか、心の病気になったわけじゃない。
わたしの問題は病や障害というより性質だ。
ポジティブにとらえる人ならば個性とでも言ってくれるだろう。
敢えていうならいちばん近いのがHSP、いわゆる「繊細さん」だ。
といってもこの性質ゆえの美点を仕事に活かせるとか、特別な才能があるわけでもなし。
なんのとりえもない、ビクビクした四十路女でしかない。
みんながふつうにできること、つまり「人間」が、どうやらわたしにはできない。
ふつうじゃないのに病気じゃない。
病気なら治療を受けたり薬を飲んだり工夫で補ったり、いろんなアプローチができる。
そうじゃないわたしは、何をよしとして、誰に助言を求めて、どうやって生きていけばいいんだろう。
「壊れてはまた立ちあがる」を死ぬまでくり返すしかないのか。
そんなことをしてたらいずれほんとうに「生きるのや〜めた」ってなってしまう。今だってわりとギリギリだ。
ここ数年の間はそんなことばっかり考えていた。

心を許せる家族や友人がいるのに、うまく話せなかった。
自分にさえどうすればいいかわからないから。想いがまとまらないから。心配をかけたくないから。
言葉を尽くしても、わかってもらうことは難しい。
家族はこんなわたしの性質を理解はしてくれるけど、それでもこのところ顔を合わせるのがつらかった。
野球という共通の娯楽があったおかげでもっていたようなもの。
後ろめたくて、気力もわかなくて、友だちからの遊びの誘いも断ってしまった。ほんとうに申し訳ないことをした。
そういうことの積み重ね。
いつも自分の想いが自分を苦しめていた。誰に責められたわけでもないのに。

仕事のこと、家のこと、趣味のこと、自分のこと、世の中のこと、コロナ禍。
そんなんみんな一緒だよ。でもわたしにとってはこの世のすべてだ。
「みんな一緒」だけど、自分の悩みは自分だけのもので、人と比べるものでもなく、どう向き合ってもいいんだと開きなおったとき、いったん休もうと思えた。
いったん休んでから、壊れない生きかたを模索しなおしてみようと思えた。
ふつうでないわたしはふつうになろうとしていたけれど、四十年やってきてやっと、それは無理だとわかったのだ。
そもそも「ふつう」という言葉が、とらえかたがよくなかったのだと。自分に呪いをかけていたのだと。
もうちょっと早くに思い切れていたらなぁ。
でもこのまま自分を赦せてなかったら、ほんとうに病んで取り返しのつかないことになっていたかもしれない。
だから、だいぶ遅かったけど、これでよかったんじゃないかな。そう思う。