うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

淋しいが、それも人生

「生きるのしんどい期」がやってきた。また。
ただ体のみ生きてるだけみたいになってるのに、その体はすこぶる元気だ。
この健康な体のおかげで病まないのかもしれない。われながら生きる力が強すぎる。
相変わらず心のほうはいろんなことを考えて忙しいというのに。
暮らしがうまくいってないと余裕がなくなってきて、物事を楽しむ力がなくなっていく。
好きなことへの関心も薄れて、ほんとうに今は暮らしてるだけ。
まあそんなときもある。それが人生。
だけど、競馬がいちばんの関心事でなくなってしまったことが、このごろ無性に淋しい。
若さや情熱みたいなキラキラしたものが、どんどん人生とか暮らしの中に埋もれてゆきつつある。
それでもいいのだ。心にあるならば。
自分や世界が変われば愛のかたちも変わる。

…というのはくりかえし言ってきたことだけど、じゃあ今は何がいちばんなのかと言われれば、「特にはないです」としか言いようがない。無趣味の状態。
漫画は読む。本も読む。大河ドラマも観る。野球もワールドカップも。
観たいものがない晩は弟の趣味のロードレース番組を観ながら食卓を囲んだりする。
知らなかった。自転車があんなにも速く走れること。外国の海や山や街並みが美しいこと。世界各国でいろんなレースがあること。複雑なルール。
新しいことを知れるのは楽しい。わたしは「知らないことを知っていく」過程が好きだ。
競馬もそうだったなぁ。面白くてたまらなかった。
知らないことのほうがまだまだ多いのに、わたしの情熱は心の中にいったん埋もれていってしまった。

今いちばんの関心事は、暮らしだ。生活。生きていくこと。
母とのこれからの暮らしのこと。
弟とそのパートナーのこと。
施設にいる、感染症対策で面会できなくなって久しい祖母のこと。
田舎のこと。親戚のこと。
そして、自分自身のこと。
わたしは仕事がうまくいっていない。やっぱり今も。
相変わらず組織に入り人と関わることがうまくできないままでいる。働くのは好きなのに、会社という場所が苦痛だ。
何度も失敗をくりかえしてきたから、自分には何ができるのか、どうやって生きていけばいいのかわからなくなってしまった。
それでも「食っていく」ために勤め人をやっている。やるしかない。働かないという選択肢はない。
それですり減っていく。いつもしんどい。生きていくことそのものが。
綱渡り状態で平穏な未来が見えない。
だからツイッターをあんまり見なくなった。
「みんなキラキラして楽しそうなのに、みんなちゃんとしてるのに、わたしはなんなん」って落ち込むから。
でもこの「みんな」「ちゃんと」ってなんなんだろうねえ。
見せないだけで誰にでもしんどさはある。人生は悩みや苦しみとの共生だ。
もう人をうらやむのはやめた。人を傷つけたから。
比べることもやめよう。つらくなるだけだから。
でもまだ自分で自分をよしとは思えないでいる。
前までは、そんな自分を誰かに赦してほしかったのかもしれない。
でもこれは自分自身で心に折り合いをつけるしかないから、「淋しいけど仕方ないねえ」「生きてるから生きなきゃねえ」と、何とか言い聞かせている。毎日。
希死念慮はないのが幸い。ただしんどいだけで、生きる気は満々だ。

漫画でもドラマでもスポーツでも、「新しいもの」に触れていると「もっと知りたい」と思う。
それがわたしの人生のテーマのひとつなのかもしれない。
「生きることは知ること」か。
その想いがもう少し人間に向いていたら、ちょっとは生きやすかったのかもしれない。
でもわたしはこうなのだ。
今の暮らしは煮詰まってきているから何かを変えたほうがいいのだろう。マンネリってやつだ。
たとえば新しいことをはじめてみるとか。味変ってやつだ。
そのための意欲と気力が暮らしというものに侵食されて、今は出せないんだけどね。
でもあきらめたくない。自分をあきらめるのをあきらめて、今より楽でいられる道を探そうと思う。