うまいこといえない。

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鎌倉殿の「のえさんとはなんだったのか」

なんだかずっと、のえさんの書かれ方に違和感を覚えていた。
彼女の退き際がどうなるかで今作の印象は変動するまであるな、と思いながら終盤を観ていた。
のえさんは小四郎の三人目の妻である。
だいぶアレな人ではあるんだけど、この人にも小四郎にもお互いかなり問題があって、いびつな夫婦関係が最後まで書かれていた。
物語が完結したので、とりとめもなく語ってみる。

のえさんは意図的に頭の悪い除け者として書かれていたと思う。
わたしは史実の人物をよく知らないからなんとも言えないんだけど、劇中では誰にとってもノイズみたいな扱いになっていた。
どこからも誰からも、宙に浮いていた。
最後の瞬間まで小四郎に寄り添った八重さん比奈さんとはまったく違った妻のかたちだ。
本人の口の悪さだったり他者への意地の悪い言動は、夫を含む家族から蔑ろにされる要素が満載。
なんか一言多いのだ。平気で嘘をついたり、前妻ふたりを悪く言ったりね。
「最終的にことを起こしてしまう人」として意図的に「そう書かれていた」んだろう。
ささやかな悪意と悪行を周到に積みあげられてきた。

その一方で、一応のえさんはところどころで妻として小四郎に語りかけたりするんだけど、小四郎はおおむね無関心。
妻への態度じゃない。関係が冷え切ってる以前に、そもそも最初から関係ができてなかったのだ。
ふたりがうまくいくにはまず初めに小四郎が折れて歩み寄る必要があったのだけど、あいにくと小四郎には女心がわからぬ。
しかも執権として心を殺していて、それどころじゃなかった。
それでますますのえさんは意地になってしまった。
のえさんは結局、小四郎への分かりやすい怒りをつのらせ、憎しみをぶつける表向きの役割を背負わされたように見える。引き金を引かされたのだ。
そのわりに、夫に毒を盛る妻にしてはなんだか雑な扱いだった。
物語の都合で、夫に毒を盛る逆恨み女にされてしまった感があるのだ。なのでかわいそうだった。
最後の演技が鬼気迫っていたからこそ、なおさらに。

のえさんは小四郎をちゃんと想っていたはずだ。
相手に伝わらなかっただけで。相手にその気がなかっただけで。
心はちゃんとあったのだ。
その心を蔑ろにされたら、どうだろう。
憎からず想っていたからこそ、自分に無関心な小四郎を赦せなかった。
愛していなければ憎まなかったろうし、憎くなければ毒なんか盛らなかったはずだ。
そして彼女の心を小四郎の盟友、平六は利用した。
のえさんひとりを愚かな女だとは責められない。
だからといって褒めることもできないのが悲しいところだ。
だから、かわいそうだと思った。

書き出してみると「ちゃんと書かれてはいる」んだよなあ。人物像も動機も。
じゃあ何がそんなに引っかかるんだろう。べつに好きなキャラでもなんでもないのに。
なんだか物語から常に浮いて見えてしまったのだ。あまりに異質で。
でもそれが狙いでもあったのかな。
だとしたら狙いどおりだったんだろうけど、のえさんにはやっぱり気の毒ではあるなあ。
書かれ方によってはもっと違った印象があったように感じる。
でもこれは単に好みの問題、感じ方の違いである。
脚本としては、出しきった最善のかたちだったのだろうし。
あんまりこのへんみっちりやると「誰の何の話やねん」ともなりかねないし、北条義時大河ドラマとしてはこれでちょうどよかったのだろう。たぶん。
「鎌倉殿の13人」は夫婦ではなく、姉と弟の物語としてしめくくられたのだから。
良くも悪くも、わたしにはわだかまりが残った。いや傷痕だったのかな、爪痕だったのかな。
いずれにせよ、のえさんは一番心に残るキャラクターになってしまった。意に大きく反して。

のえさんとはなんだったのか。
鎌倉の陰の陰だったのかな。
数日経った今ふりかえれば、そう思う。