阪神タイガースの石井大智投手のトークショーが、暮れの京都競馬場で開かれるらしい。
近くで話を訊いてみたい。どんな予想と回顧をするのかも気になる。
数分めちゃくちゃ悩んだのだけど、そのために自分が現地へもう一度行ける、行こう、とはどうしても思えなかった。
今のわたしにはもう「現在の競馬」の現状にも現場にも人員にも明るい未来は見られない。
かといってイベント目当てでふらっと立ち寄るほど軽い立場と気持ちにもなれない。
きれいさっぱり忘れでもしなければ無理だと思う。
しかし忘れられるとも思えない。大事になりすぎたから。
あまりに突然に複数名のジョッキーが亡くなってしまったこと。
にもかかわらず五体満足で馬に関われている人たちの信じられないような不祥事がつづく現実に、心の底から失望してしまった。
ここは今もだめなんだ。何があっても変わらないんだ今も。失望したのは信じられなくなったからだとあらためて実感した。
つらくとも前を向いて真面目にやってる人たちがほとんどすべてなのもわかっているけれど。
誰も望んで過ちをおかしているわけでないことも理解できるけれど。
そもそもの体質が変わらない。
いつか何かが変わるその時を信じて「みんながみんなそうじゃない」と、心の中に生まれた失望と不信を打ち消しつづけるのにも疲れた。
きょうラストライドを終えた森泰斗騎手の言葉にもあったように、見知った世界の人間が亡くなるということは人の心を強く打ちのめし、衰えさせる。
わたしもそれが決定打となって離れた。
自分でも「そこまで?」と不思議ですらあったけれど「そらそうやろ…」とも思う。
まだ好きでいられる人を心から尊敬する。なぜそんなに強くいられるのですか。その強さとひたむきな愛がうらやましい。
好きだったものを嫌になってもいい。無理になることだってあるだろう。
ずっと好きでいられることのほうがむしろ難しい。人も世界も変わるのだから。
好きだったからこそ、信じられなくなった時の反動は大きくなる。
そのために大好きだった場所を自分の中から失ってしまったことが、今さらながらに残念で淋しい。わたしは弱い。
いつの日か「もうええやろ、そろそろ行こか」って思える時がくるだろうか。今はまだ想像もつかない。