うまいことはいえないが。

書きたいように書いていたい。自分を救いたい。誰かになにかを伝えたい。

さようなら、美しい世界

ああ、そうか、お前さんもか。
率直に思った。
過去に厳重注意を受けてるのに週刊誌に蒸し返されて騒ぎになったから引退しなきゃならない、みたいな流れには理不尽さもあるけれど。
「この人はだいじょうぶ」と信じてた人が実はやってた、というのがいちばんきつい。
やってたのですか、あなたも。
勝手に信じて勝手に裏切られたように感じられた。悲しかった。どうして、という気持ちもあった。
そして同時に飛び込んできた別件の暴力沙汰。
もう、なんなん。
前のブログ書いてすぐやん。いくらなんでも不祥事多すぎるって。
直近で複数人が死んでんねんぞ。今度は怒りがわいてきた。
立場も状況もぜんぜんちがうけど、短期間のうちにサークル内で人が亡くなってるのだ。
それでいまなんでこんなことになるのか。
もうあかん。信じられへん。
やりきれない気持ちで数日を過ごして、これを書いている。
きっかけなんてそんなもんだ。

競馬って特殊な世界だ。
美しいけれど、美しくないところもあった。
あの美しさに命を救われたけれど、やがてその美しさへの執着が悩みと苦しみの種にもなった。
ここは好きじゃない、良くならない、変わらない。
どうしていつまでもこうなんだろう。
だってこの世界はこういうものなんだ。信じることにはあきらめもつきまとった。
いい人もいればそうでない人もいる。
ちゃんとしてる人がいる一方で、ルールとマナーを守れない人もいる。
愛ゆえに暴走する人もいる。
中の人も、外の人も、ファンの人も。
ごった煮の中で一緒くたに煮られながら、いいところを見るよう心がけてきた。
いやなところはいやだけど、どこの世界にだってそういう人いるよね、こういうことあるよね、だから前向きでいようと自分に言い聞かせてきた。

信じることには力がいる。
胆力かな。なんなのかな。とにかくパワーがいる。
信じるものが揺らいだとき、信じつづけるために肚の底から力をふりしぼる。
でもそれって結局、自分にとって都合の悪いものを見てみぬふりするための言い訳だったのかもしれない。
「みんながみんなそうじゃない」と念じながら、信じたいものを信じながらやってきた。見たいものを見て、好きなものを好きでいた。
馬がいて人がいてレースがある。それだけでいいと思えていたうちは。

わたしの夢と情熱は終わった。
「なんなん、なんでなん」を「そういうものだ」と折り合いをつけて受け流せなくなった時点でもう終わりは見えていた。
外から「萌えの上塗り」「ソシャゲ文化」みたいなものが浸透してきたのにも耐えられなかった。
変わってしまった。愛する世界も、世の中も、わたし自身も。
いつしかあらゆる変化を受け入れられなくなった。
昔を懐かしみながら今とこれからを嘆くばかりになっていた。
愛するものを愛しながらも、前向きでいられなくなってしまった。
好きだけどいやだ。いやだけど嫌いじゃない。嫌いじゃないけどもう前のようには愛せない。愛はあるけど情熱はない。情熱がなければ夢は抱けない。夢なき世界にとどまる理由はない。
いやになって嫌いになるよりも、幻滅と失望を重ねることのほうがつらい。
あの世界の中にいるときのわたしは、好きで愛するあまりにいやなものはいや、だめなことはだめと言えなかった。
でもこれ以上赦そうと思えば自分が死ぬ。
死ぬわけにはいかない。だから命を救われたままで終えることにする。

さようなら、競馬。さようなら、美しい世界。
変わってほしい。変わらないでほしい。遠くから想う。
わたしは去るけれど、手もとに残された思い出はとわに美しく愛おしい。