うまいこといえない。

うまいこといえないひとがつたないなりに何かを残し誰かに伝えたいブログ。

お化粧コンプレックスと仲直りしました

手持ちのがなくなったのでキャンメイクのクレヨンコンシーラーを手にとった。
いい大人がプチプラコスメなんて恥ずかしい年相応のものを使うべき、という旨のツイートが瞬間最大風速的に拡散したことは記憶に新しいが(メイク界隈は定期的に炎上するイメージ。こわい)、三十路の私の顔はプチプラコスメでできている。
下地とコンシーラーはキャンメイクだし、ちふれのオールインワンジェルはボディにも使える。
ローションとファンデーションはずっとオルビスだ。
肌に合って使い心地のいいものを模索した結果、現時点ではこのあたりに落ち着いている。
まだまだ模索中だ。

私の母はノーメイクの人だった。
母の母もやはりノーメイクの人だった。
肌の問題や主義主張などでは別段なく、知らなかった、教えてもらえなかったのもあるだろうし、人生において必要に迫られなかったのもあるだろう。
農業を営んでいた祖母はともかく元勤め人の母には機会はあったのかも知れないが、別にすっぴんでいい、自分には必要ないと思って今日まで生きてきたのだ。
ゆえに娘である私にとってもノーメイクが日常で当たり前。
メイクという概念が暮らしの中から完全に抜け落ちていた。
必ずしもしなくていいもの、したい人がすればいいもの、自分とは無関係なキラキラしたもの。
美しい人、美しくなりたい人、意識高い女性の特権として世界の外側に存在していたのだった。
この先天的な価値観が後々の自分自身を長らく縛ることとなる。

社会へ出たら半ば強制的必須項目とされるわりに、メイクを教えてくれる機会や人物というものはほぼ存在しない。
年頃になったら各々が気づき、自覚し、独学で習得していくのだ。
なんのスキルも心構えもないままに私は学業を修めて社会人となった。
さすがに危機感を覚え、売り場カウンセラーの勧めるままにブランドメイク道具一式を揃えたが、使い方が分からなかった。
施し方はもっと分からなかった。
あまりにも無知で恥ずかしく、世間知らずの十代だった私はカウンセラーのおねえさんに教えを請うことができなかった。
その後も身の周りに教えを請える人がいなかった。
かくして私もノーメイクの人となった。

入社式のときだけ申し訳程度に顔を塗った。
以降は塗らなかった。
暗黙の了解的な義務となってはいるものの、すっぴんでいるからといって特別そしりを受けるというわけでもない。
ただ、あなたはしないひとなんですね、そういうひとなんですねと何となく仕分けされる感覚はある。
差別や区別というよりも許容なのだろう。
気楽でもあり、後ろめたくもあった。
ほんとはすべきなんだよな、でもしないでやってきたのに今さら何をどう、しても顔かたちがこれだからしょうがない。
こんなご面相の私がおこがましくも、さも美しげに装うのはなんだか人を騙しているようで恥ずかしい。
美しく装った人を横目に見ながら自分に言い聞かせ、世間に対して言い訳をしつづけていた。
メイクを強制するくせにやり方を教えてくれない世の中がおかしいのだ、だから私はやりたいようにやらないを貫くんだ、とこじらせつづけた。
年齢を重ねてくると、冠婚葬祭はもちろん遊びに出かけるときにするメイクへの苦手意識そのものは次第に薄れていった。
誰にも何にも強制されていない、自らが望んでする自由な行為だからだ。
行きたいところへ行く、会いたい人に会うときは小綺麗にしていたいというのは至極自然な感情だ。

つい最近まで職場ではノーメイクの人だった。
変わったきっかけは、単に職場が変わったからだ。
はじめが肝心。
初動数日間でしないを貫いたら、しない人で定着する。認識される。
実際にそうして生きてきた。生きづらかった。
ふと気がつくと私は三十代になっていた。
自分を縛り物事を難しく考えて生きてきたせいか、ますはじめに刻まれたのは眉間と額の皺だった。
目元や口角のたるみも目についた。肌も年相応にかさついてくすんでいる。
鏡を見るのが嫌いで、目をそらすあまり自らを客観視できていなかったのだ。
実年齢よりも若く見えると言われつづけてきたが、いつまでも若くはない。もう若くない。
自らの加齢を自覚することにより、衰えや欠点をカバーすることこそがメイクの本来の役目じゃないか!と気づくことができたのだった。
人に世間に強制されるのではなく、世の中に迎合するのではなく、ほかならぬ自分自身のために。
綺麗にしていたい、女性として、もっと自分を大切にしたい。
楽に気分よく生きていくために。
職場を変えたのをきっかけに、ついでに考え方も変えてみようと思った。
私にとってメイクが本当に必要となった瞬間だった。

私のメイクは実際“足りてない”と思う。
通勤時は必要最低限しかしていない。
メイクが当たり前のものとして生きてきた人からすれば、全く足りていないと思う。
化粧水で肌を整えたのち、下地、コンシーラー、ファンデーションを塗り、チークを薄めに乗せる。
ビューラーで睫毛をあげてアイブロウで眉毛を描き、リップを塗ってできあがり。
オフのときはこれにアイラインとアイシャドウとマスカラを足すくらい。
もうちょっと何かしたいなぁと考えながらこのごろは売り場を物色したりしている。
お化粧道具は綺麗で可愛らしくて華やかで、見ているだけで楽しい気持ちになる。
メイクを日常にとりいれる前には気づけなかったことだ。
なんだかキラキラしてるし、小さいのに高いし、使い方がわからないし、得体が知れなくて怖い。
こんな自分には不釣り合いだとずっと避けていた。
しかし自ら求める段になって、まずできることからしてみよう、今すぐ要るものから見てみようと腹をくくったら憑き物が落ちたように平気になった。
毎日メイクをしてみると肌のケアも全く“足りてない”ことを痛感した。
毎晩寝る前に美容パックをしてみた。これもプチプラだ。
やがて肌の状態が安定した。
ちゃんと自分の身体と向き合えばちょっといいことがあるんだ、という発見だった。
心なしか自己肯定もうまくできるようになった気がする。

極論を言ってしまうと、個人的には、メイクは絶対的な義務ではないと私は思う。
私自身が“しない人”だったので、ノーメイクの人を見ても別段マイナスの感情は抱かないし、美しく装った人を見れば素敵だなぁと感心するだけだ。
したいときに、したい人が、したいようにする。だったらもっと楽しいはずだ。
義務だと思うから苦痛に感じる。世間にやらされてると思うから理不尽さを覚える。
なので、もう少し寛容であって欲しいかなとは思う。
本来、メイクとは楽しくて素敵なことだ。
でも、どんなに楽しくて素敵なことも、義務感を覚えてしまえばどこかで重荷と化すこともあるだろう。
肌の調子が悪いとき、寝坊してしまったとき、なんとなく気乗りしないとき。
そんなことって、たとえどんなに習慣づいていたとしても、誰にだって必ずあることだから。
なにより、すっぴんって最高に気持ちいいでしょう。
お化粧がバッチリ決まったときも、何だか嬉しいでしょう。
どっちの喜びも、ある。
あっていいのだ。

春はまた来る。アップトゥデイト、三度目の阪神スプリングジャンプ

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もはや説明がつかない強さだ。
中山グランドジャンプを制したのち、彼の中でいったいどのような変化があったというのだろう。
私がその片鱗を感じたのはJ・G1ではなく、そのふたつ後の東京ハイジャンプだった。
もしかすると、とんでもない怪物ができあがりつつあるのかもしれない。
直線を向いて幾度となく接触してくる空馬を気合一閃、弾き飛ばして完勝するさまを見ながら薄々と戦慄を覚えていた。
予感は暮れの中山で的中する。
応援馬のはるか9馬身かなたでゴール板を駆け抜け春秋障害王者の座をもぎとったその馬を遠くに眺めながら、彼らがこれから歩むであろう道なき道に想いを馳せた。
身震いすらしながら、悔しさをかみしめながら、絶望に限りなく近い敗北感さえ感じながら、それでも私は嬉しかった。
倒すべきライバルが歴代最強レベルの障害馬であることに興奮を禁じえなかった。
夢を託した馬が偉業を成し遂げられると信じてやまなかったからだ。
応援者としてその過程を見てゆけることが、障害ファンとして競馬ファンとして同じ時代に生を受けた名馬の切磋琢磨しあうさまを見届けられることが、たまらなく嬉しかった。
オジュウチョウサン、相手にとって不足なし。
こうしてアップトゥデイトの新たな挑戦がはじまった。

迎えた阪神スプリングジャンプ
逃げるドリームセーリングを見ながら二番手を追走するも、隊列は思ったよりも短く、ペースは落ち着き、背後からぴったりとマークしていた勝ち馬に難なくかわされる。
結果は2着。4馬身差の完敗だった。
さらに4馬身離れてタイセイドリーム、サンレイデューク、クリノダイコクテンがそれぞれ僅差で入線し、二強が突き抜けていることをあらためて証明する結果となった。
しばらくは新旧王者の覇権が続くことだろう。

本音を言えば、もっと縦長の展開になってほしかった。
もっとハイペースとなって、あのスタミナが活かせる展開を望んでいた。
行くべき馬が思ったよりも行かなくて馬群が幾度も詰まったとき、なぜ行かないのか、他馬が行かなければ自分で行ってもいい、彼はそれができる馬なのだからと、やきもきしてしまった自分がいた。
好敵手に及ぶと信じていたからこそ、悔しかった。
レース後も終わったことばかりを考えていた。
たしかにそれもひとつの事実なのかもしれないが、タラレバであり結果論だ。
真実はレース結果の中にある。
オジュウチョウサンが強かった。
アップトゥデイトも強かったが、及ばなかった。
4馬身。たった4馬身。はるか4馬身。
だからこそ悔しかったのだ。

もしもオジュウチョウサンが本格化しなければ、アップトゥデイトは類い希な春秋障害王者としてハードル界に君臨しつづけたことだろう。
だけどそんなことは絶対に言わない。
私の望むところではないからだ。
オジュウチョウサンの底知れぬ強さには、畏怖と同時に惹かれてやまない何かがある。
彼自身からわきあがる力の根源が未知で謎だからこそ、従来のハードル名馬とは一線を画した型破りな闘いぶりから目が離せないのだ。

私にとってそれ以上に底知れぬ力と可能性を感じさせてくれるのがアップトゥデイトという存在だ。
彼を想うとき、いつも不思議と不安というものは全く感じなかった。
あったのはたった一度だけ。大敗を喫した新潟ジャンプステークスの時のみだ。
いつのときも、胸の奥底からわきあがるじんわりとした自信と信頼で心が満たされる。
必ず雪辱なる。大一番につながる競馬ができる。
決戦前夜も、レース直前も、自分でも驚くほどにいいイメージしかわいてこなかった。
もちろん次とこれからを見据える今も。
単なる盲信なのかもしれないし、あくまで精神論であり願望であり、いちファンの見解でしかない。
しかし彼がハードルと、そしてライバルと対峙した時に見せる確固たる力がそう信じさせてくれることもまた、私にとっての真実。
それこそが、説明のつかない彼自身の強さなのだろうと思う。

この闘いを目の当たりにして確信はより強まった。
アップトゥデイトはまた勝てる。勝つための競馬ができる。
衰えは全くない。
次かもしれない。その次なのかもしれない。
いつか必ず、きたるべき時がやってくる。

 

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決戦前夜。アップトゥデイト、三度目の春へ

闘うために生まれてきた馬。
私が現障害王者オジュウチョウサンに抱くイメージだ。
たとえるならば戦車。
圧倒的な力をもって、立ちはだかるものをなぎ倒しながら前進する。
生来の闘志にくわえて飛越という武器を手にした戦士ともいえる。
これから立ち向かうことになる最大のライバルだ。

アップトゥデイトを形容するならば、どんな言葉が相応しいだろうか。
スタミナ?先行力?巧みな飛越?
どれも的確でいて、今ひとつ足りない気がする。
言葉ではとてもいいあらわせないのだ。彼の強さの魅力、その正体は。

障害転向後、順調に勝ち上がったり勝ち負けをしながら、障害重賞初挑戦となった阪神スプリングジャンプ4着を足がかりに、こちらも初挑戦となった中山グランドジャンプ制覇を彼がやってのけたとき、私はいまだかつてないほどに胸が高鳴った。
競馬を観てきてたくさんの馬やひとに数え切れないほどワクワクさせてもらったが、これまでにない種類のときめきだった。
新馬のころから見知っていた情もあったのだろうが、一番は未知への挑戦と開拓。
見事に自らの脚で道を切り開いた王者のひたむきな強さへの驚きと敬意、新たな世界が目の前に拓けていく喜びと興奮だった。

アップトゥデイトは駆け、跳びつづけた。
数々の好敵手を得ながら。人びとを魅了しながら。
ときに悩み苦しみ、ときに闘争心を剥き出しにしながら。
一度目の春で障害王者となり、二度目の冬で王者の座を譲り渡し、そして三度目の春を迎え、今また私は、あのころと同じときめきを胸に抱いている。
もう一度、何度でも、ワクワクしたい。
現に今、このうえない期待に胸躍っているのだ。

阪神スプリングジャンプ
三度目のこの日も笑顔で迎えたい。
いつのときも、いつものように、彼と彼をとりまく陣営の最善と最良を願ってやまない。

 

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退き際の美学

幸せで泣けてきた。
あまりに飄々として爽やかな去りようだったから、そのときはまだ実感がわかなかったのだ。
いま、じんわりとした余韻をかみしめている。
阪神競馬場にて、武幸四郎騎手が20年にわたる現役生活にピリオドを打った。
新たな志を胸に抱いての素晴らしい勇退だった。
希望に満ち溢れた引退式を見届けたあと、帰路につきながら、決して忘れえぬあの日のことを思い起こしていた。

私がこの世で最も敬愛したジョッキーは志半ばでターフを去った。
拗ねて甘えてくるキズナをかわいいと感じ、馬を叱咤し鞭打つ乗り役はもうできないと悟った哲三騎手。
落馬をして、怪我をして、馬に乗れなくなって、入院をして、手術をして、厳しいリハビリに取り組むという、筆舌に尽くしがたい過程を経て、悩み苦しみ抜いて導き出した結論だ。
競馬にタラレバは厳禁だけれども、でなければその境地にたどり着くのはもう少し先のことだっただろう。
日本ダービー有馬記念、ドバイ、凱旋門賞、1000勝達成…
数々のやり残したことと無念を腹に抱え、すべてを飲み込んだうえでのリタイアだった。
心を分け与えてもらったファンとしては、あの日のことを思い出すたびに胸がつぶれそうになる。
しかし決意を語る言葉はよどみなく、前を見据える表情は優しく晴れやかだった。
その毅然としたさまに、逆にこちらが救われたのだった。

あのときの悲しみと悔しさと最愛のものを失う寂しさを知っているからこそ、いま嬉しい。
自ら鞭を置いたひとりのジョッキーの退き際が悔いなきものであったことに喜びと安堵を覚えずにはいられないのだ。
幸せだったと彼はいう。彼を見守ってきたひとたちもきっと同じ気持ちだろう。
夢のつづきを一緒に見ていけるのだから。

とりとめもなく、縁あって応援しつづけているあのひとこのひとは定年までホースマン人生を全うするのかなと考えてみたりする。
だとすればこのさき十年前後の話だ。
そのころ私はどうなっているのかな、まだ競馬をしているだろうか。見ているだろうか。
そんな環境に自分自身があるだろうか。難しいかもしれないが、どうかあってほしい。

秋の天皇賞をもって私の競馬歴は十年を越える。
十年といえば歴史といってさしつかえのない年月であり、ちょっとしたものだ。
長年ひとつの場所で同じことを続けていれば、そのあいだ実にいろいろなことがある。
新たな季節のたびに何人ものホースマンを迎え、見送ってきた。
大願をもってステップアップするものがいるかたわらで、悩み苦しみの中で活路を見いだそうとするもの、あるいは事情を抱えて去らざるを得ないものもいる。予期せぬ別れもあった。

ジョッキーもトレーナーも、いずれ来た道を後にする。
馬に携わるひとはもちろん、競馬ファンとてそれは同じことだろう。
戦い、抗い、足掻き、受け止め、受け入れる。
当事者たちは馬とともに、見守るものは夢とともに。
出会って別れる。迎えて見送る。競馬がつづく限り。
だからこそ願わずにはいられない。
これからもつづく縁の連鎖がよきものであることを、この世界を志し愛するすべてのひとの幸せを。

 

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続・カメラを持って競馬場へ。 誰のために、何のために撮る

馬のつむじが好きだ。
ぽつんと額に渦を巻くやわらかそうな毛の流れを見つけると、指で触ったり、撫でてみたい衝動に駆られる。
自在に動くかわいらしい耳も好きだ。
濡れたように輝く大きなやさしい瞳も。
写真におさめるようになってから、より馬を美しい、いとおしいと感じるようになった。
好きな馬の美しい毛並みや瞳や仕草、ともに過ごしてる人々とのひととなりをもっとありのままに美しく撮りたいと思うようになった。
他のひとの技術も感性も優れた素晴らしい写真を毎週のように見ていると、明らかに自分のは見劣りしているし、それなりだとよく分かる。
自分の楽しみの範囲内としては充分と納得しつつも、どこか物足りなさを覚えてしまうのだ。

まずは力量不足。もっとうまくなりたい。
好きなこと、楽しいことに向上心がわくのはごく当たり前のこと。
次に得物のスペック不足。コンパクトデジタルカメラ、俗にいうコンデジの性能の限界。
今のままで充分、持っているものへの愛着を大事にしながら磨いていこう。
一度は決意したものの、競馬場へ行くたびに、実際に撮って帰ってくるたびに、上手な作品に魅せられるたびに、蓋をしていた欲求は少しずつ確実に募っていった。

持つならばNikon1シリーズがいい。
実は家電量販店へ足を運ぶたびに物色し、めぼしいものを見初めていた。
別に最新機種でなくてもいい。いっそ型落ち品でも構わない。
この安価でコンパクトなミラーレス一眼ならば値段、質量ともにそこまで重荷にも宝の持ち腐れにもならないだろうと踏んだからだ。
もっと背景をぼかしたい、いい感じに撮りたい。
うまくなりたい、もっといいものに触れてみたい。
…本当は、コンデジで撮っていることに、心の片隅でずっと引け目を感じていた。

立派な一眼レフを構え、使いこなしているひとに?
素敵な写真を撮るひとに?
好きな馬に?
敬愛するホースマンに?
それとも自分自身に?
答えは明白だった。

その道のプロになりたいとか、しかるべき人物や組織に認められたい、確実な評価を得たいという目的があるのであれば、意識を高く持つことは間違ってはいない。
だがその高い意識で他者と自分を貶したり、思い込んだり心構えを押しつけたりするのはもってのほか。本末転倒だ。
こうありたいという想いがこうあらねばという強迫観念と化して、ありもしない型枠におさまらねばならないと、いつしか自分で自分を追い込んでいたのだった。

競馬場で写真を撮るのは誰のため?
ひとのため?
誰かに認められるため?
馬のため?馬に携わるひとのため?
そんな崇高なこと、私には畏れ多くて背負えそうもない。
つたない私には自分のため、楽しむためで精一杯。

この馬が好きだ。このひとたちが好きだ。競馬が好きだ。
愛するものたちの姿を、彼らがいた風景を覚えていたい。形あるものとして残していたい。
別れはいつか必ず訪れる。誰のうえにも平等に。どんな形であったとしても。
ひとは忘れる。どれだけ嬉しいことも、悔しいことも、悲しいことも、淋しいことも、覚えていたい気持ちとは裏腹に。
だからせめて思い出せるようにしておく。
いなくなって永遠に会えなくなっても、愛したものたちと記憶の中でくらいは会いたいのだ。
そう願ってやまない自分自身の心のために撮る。
いずれ会えなくなっても、何度でも心の中で再会するための準備をする。

そしてもうひとつ。“自分のため”が時として想いを同じくするひとのためとなりうることも知っている。
だから撮ったものは共有する。
“ひとのために”と気負うのではなく、好きなものを好きだと声に出すのと同じ気持ちで。
その過程で同じ馬やひとを、競馬を愛する誰かと想いを分かち合うことができたのならば、これほど素晴らしいことはない。
だから競馬場へはカメラを持って行く。
思い出を絶やさないために。

 

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わたしの萌えと燃えとゲームの履歴書

競馬にまつわるまじめなお話が続いていたので箸休め的に。
競馬に出会う前までは青春の大半をゲームに捧げたゲーマーであったことには以前触れていたので、そのへんのつっこんだお話。
じゃあ具体的にどういうふうにどんなゲームをプレイしてきたのよという覚え書き。
基本的に思い出という名の個人的見解をつらつら述べているだけなので、山オチ意味なし、得に真新しいことも面白いことも書いてないです。
知ってるタイトルがあったらニヤッとしてください。
(※プレイした順、出会った順の時系列。発売日や新旧は関係なし)

 

聖剣伝説
スクウェアゲームボーイ/小学校高学年頃

記念すべきマイファーストRPGである。
ファイナルファンタジー外伝と銘打っているが、独立した世界観で形成されている。
昔のゲームにはプレイヤーキャラクターにデフォルト名がないのがわりとデフォだったりして、好きな異性で名付けをしてきょうだい友人知人に鼻で笑われた思い出は誰しもあるのではなかろうか。
この作品はヒーローのみならずヒロインの名づけまでできたため、うっかりどうなってしまったかは言うまでもない。
結末が悲恋かつ離別エンドだったのも衝撃的だった。

 

サガ2秘宝伝説
スクウェアゲームボーイ/小学校高学年頃

マイファーストサガである。
ゲームボーイという狭く限られた容量の中、なかなかキャッチーな展開と台詞まわしでストーリーが進んでいく。
が、

「ひほうをよこせ! おれはかみに なるんだ!」
「いまのあんたが いちばん みにくいぜ!」

といった後世まで語り継がれる迷台詞よりもアイテム欄にビームライフルやかくばくだんの並ぶ混沌とした世界観のほうが強く印象に残っている。
子どもはキャッチーなのがお好き。
のちにDS版で発売されたリメイクもプレイした。
小奇麗で遊びやすくなったぶん難易度とインパクトは落ちていたが佳作。

 

ドラゴンクエスト
エニックスファミリーコンピューター/中学校1年生頃

マイファーストドラクエである。
私のキャラ萌えへの目覚めは何をかくそう一章の主人公、王宮戦士ライアンであった。
子ども心にどうやら自分が異端であることが察されて誰にも言えなかった。ちなみに当時中学生。
当タイトルのノベライズ(久美沙織氏による)はマイファースト小説でもあり、そこで描写されたライアンがえもいわれぬ渋さかっこよさだったのだ。
ゲーム自体はつつがなく進行するも4章でパーティーが揃った矢先にぼうけんのしょが無念の消滅。
心が折れていったんドラクエ3に現実逃避。
それから十数年の時を経てDSリメイク版でクリア成った。ただし難易度は数段落ちる。

 

ドラゴンクエスト
エニックスファミリーコンピューター/中学校二年生頃

4のデータ喪失をうけてプレイ。
攻守とも優れた賢者は憧れで、将来の夢に賢者と記したいくらいだった。
そういう人を指す言葉であって職業ではないけど。賢者。

 

ドラゴンクエストⅠ・Ⅱ
エニックススーパーファミコン/中学校二年生頃

スーパーファミコンのリメイク版でプレイ。
『(器用貧乏な)魔法戦士が好き』という嗜好はドラクエ3の賢者で形成され、この物語のサマルトリアの王子で決定づけられた。
大神官ハーゴンの呪いで病に伏した王子を見て、いわゆる『不憫キャラ』としての萌えも見出していた。
その名残か、今もトリオであぶれるタイプに惹かれる。

 

ドラゴンクエスト
エニックススーパーファミコン/中学校二年生頃

ラストダンジョンを目前にセーブデータが飛ぶ。我ながらおきのどくだ。
実はまだクリアしていないのでそのうちに。
さて5といえばビアンカフローラ花嫁論争であるが、私は幼馴染属性にもお嬢様属性にもさほど食指が動かないので、唐突に立たされた人生の岐路にむしろ「なんでおれ結婚せなあかんねん」という戸惑いしかなかった。
その辺りをのみこめなかったのがクリアまで粘れなかった一因かもしれない。
ほかにも奴隷にされたり石像にされたり二児の父になったりと、何かと忙しい物語である。

 

ファイナルファンタジー
スクウェアスーパーファミコン/中学校三年生頃

マイファーストFFである。
この作品には魅力的な二十代後半の青年が多数登場する。
この彼らの27という魅惑的な年齢が肝で、フィガロ兄弟とセッツァーの年を自分が越えたときは内心非常にショックであった。
それから時を経て再プレイしてみたら、メインキャラクターたちもまた完璧な人間でなく悩める等身大の若者であったことが痛いほどに分かり、これは大人向けのストーリーだったのだなぁと感慨深いものが押し寄せた。

 

クロノ・トリガー
スクウェアスーパーファミコン/中学校三年生頃

最愛はサラ、最萌は魔王。
ここで形成された嗜好により、今も私は物語における姉弟という関係性に惹かれる(あくまで創作上の嗜好であり、リアルでは全く当てはまらない)(というのも私には弟が二人いる)(長子が抱きがちなかなわぬ夢ではあるが私はお兄ちゃんが欲しかった)。
ゲームのほうにものめり込んだ。
私はコツコツとポイントを貯める作業が苦ではないので、比較的序盤のうちに持ち技をコンプリートさせて、あとは楽々でストーリーを堪能することに没頭した。
タイムトラベルものっていいよね。

 

ロマンシングサ・ガ
スクウェアスーパーファミコン/中学校三年生頃

人生を最も狂わされたタイトルである。
(とはいってもやることはやって希望の進路に就学したので、あくまで趣味嗜好的な意味で)
当時は受験生だったと記憶しているが、寝ても覚めてもロマサガで、もし頭をかち割ったら伊藤賢治(俗にイトケン)ミュージックが大音量で漏れ出したと思われる。
よいゲームは戦闘に飽きがこない。そして戦闘曲が素晴らしい。
このころは姉弟間でテレビとゲーム機とゲームソフトを共有していたため当然のことながら『ゲームは一日一時間厳守』であった。
にもかかわらずひとつの技を閃くために、レアなドロップアイテムを奪取するために、時間いっぱい数日間を費やしたこともあった。
そんなこんなで毎日一時間の持ちタイムでワンロード何十時間もよくやり込んだものである。


テイルズオブファンタジア
ナムコスーパーファミコン/高校一年生頃

はじめてのスクエニ以外のRPG。
女子高生にとって三十路を目前にした陰のある召喚士は渋いおじさまポジションであった。
しかし助手という建前の同棲相手の存在がさらに大人感あって意味もなくドキドキしたものである。
このクラースという曲者風の男、生活力のなさ甲斐性のなさと戦闘における頼りがいという絶妙なバランスがなんともいえなかった(※褒めている)。
ゲームパートはダンジョンの謎解きとアクションバトル特有の爽快感が、スクエニゲームのコマンド式に慣れ親しんだ身には新鮮だった。主題歌CDも買った。

 

ファイナルファンタジー
スクウェアプレイステーション/高校一年生頃

時代は次世代機へ。
世の中の流れとしてプレイステーションセガサターンとの二択を迫られたが、後々のことを考えて、きょうだい三人でなけなしの小遣いを捻出して前者を購入。
ちなみにこのゲームをきっかけに高校で出会った同好の志がいわゆる同人女腐女子だったため、そちら側の布教という名の手ほどきを受けた。
なのでいわゆるボーイズラブの心得はあるが、嗜好としての定着はしなかった。
そのかわりに一生ものの趣味として書くこと(この時点では物語の二次創作)が定着した。
そんななかクラウドセフィロスの関係性よりも萌えていたのは、神羅カンパニー内における歪な上下関係と因縁関係であった。

 

ファイナルファンタジータクティクス
スクウェアプレイステーション/高校二年生頃

最も時間を費やしたであろう一本(シミュレーションRPGはシステム上戦闘に膨大な時間を要するので、やり込めばワンロード100時間オーバーすることもザラ)。
このころ英語の授業で習った月の英名は星座システムと聖石の名前と神聖ゾディアックブレイブで難なく覚えた。
またシナリオライター松野泰己氏による難解で癖のあるテキストも刺激的で面白く、独特の言い回しから学習した単語や熟語や漢字が数多くある。
物語のテーマは貴族平民間の溝という深淵なる命題から、主人公が世界の中心で妹を叫ぶような内容にいつの間にか移行していたが、それもまあ。

 

サガフロンティア
スクウェアプレイステーション/高校三年生頃

なんといってもアセルス編。
以下は、優しく寄り添ってくれたお友達でおねえさん的存在の白薔薇姫(女)をうしない失意に打ちひしがれている主人公(女)に投げかけられた言葉。

「じゃあ、口に出して言ってみな。好きだって。」

!!!!!??????

のちにそうした価値観と恋愛スタイル、それに伴う同人的ジャンルがあることを知った。
これまでの価値観をぶち壊されたときその世界観にのめり込むのは必然。
ただし百合の世界には全くハマらず、走って通り過ぎるのみに終わった。

 

ファイナルファンタジー
スクウェアプレイステーション/社会人一年目頃

社会人となってから一番はじめにプレイしたのがこれ。
この物語はヒロインのリノアにどのような感情を抱くかによって評価が分かれると思われる。ありていにいえば好き嫌い。
かくいう私の第一印象は、不思議ちゃんで苦手な女子。
ところが話を進めるにしたがって、ポジティブでこれはこれで悪くない…と思えるように。
自身が社会へ出て学生気分を脱したことによる心境の変化も大きかったのだろう。
主人公らがティーンエージャーで学生だったし。
余談だが昔遊んだゲームを今やり直す、というのは価値観や受け取り方の変化と成長を感情レベルで実感できるのでぜひオススメしたい。時間と体力があるならば。

 

サモンナイト
バンプレストプレイステーション/二十代前半

ひさしぶりにスクエニ以外。
このころファミ通を定期購読しており、ちょうどシミュレーションRPGを遊びたかったので、本誌レビューの悪くなかった本作を購入。
今でいう萌え絵と本格派ゲームの融合系の走りだったのだろうか。
キャラクターデザインは飯塚武史(キノの旅シリーズの黒星紅白)氏である。
いたって普通の高校生が突然異世界に召喚されてしまったらこうなるのだろうなぁというなかなか衝撃的なオープニングから物語は始まる(スラム街で不良少年らからカツアゲに遭う。そしてペーパーナイフ一本で立ち向かう)。
どこかノスタルジーを覚えるようなオーソドックスな展開にクスッと笑えるような今風の感覚が盛り込まれており、ゆるい世界観も相まって逆に新しさを感じた。

 

サモンナイト2
バンプレストプレイステーション/二十代前半

シリーズ続編。
前作の項で記述しなかったがこのシリーズはフルボイスがウリなのである。
かけだし召喚師である主人公の先輩キャラの声を当てているのが緑川光氏で、あのボイスでたびたび「君はバカか!?」と叱責されるのだった。
おかげでしばらくこのフレーズが耳から離れなかった。
そしてオープニングテーマとともに流れる異様に力の入ったアニメーション。
ゲームもゲーム要素だけではなくなってきたのだなぁ、と感じたものだった。いろんな意味で。

 

ファイナルファンタジー
スクウェアプレイステーション/二十代半ば頃

一周回ってスクウェアに帰ってくる。
テーマは原点回帰。
進化はしつつ、ゲーム本来の楽しさを追求した内容になっている。
これは持論だがRPGの面白さはやはりバトルパートの出来と比例すると思う。
簡単すぎても難しすぎてもつらくなる。
本作はスーファミ時代のFFを遊んでいるようでとても心地よかった。
物語の方はというと、サブキャラにかっこいい女性騎士がいて、なおかつツンもデレもいかんなく発揮してくれて大満足だった。
この百人斬りのベアトリクスは、前述のFFタクティクスのアグリアスとメリアドールに並ぶ好きな女性キャラクターとなった。

 

タクティクスオウガ
クエスト/スーパーファミコン/二十代後半

FFタクティクスの源流を汲むタイトルとして必ず着手したいとかねてより思っていた。
こちらは民族紛争がテーマ。
ストーリー、システムともによりシビアで骨太。
これを発売当初のリアルタイムでプレイしていたら、また受ける印象も植えつけられる価値観もガラッと変わっていただろうなぁと思われる。
ファーストコンタクトがそこそこ落ち着いた大人になってからだったので俯瞰して見られたのだ(我ながらこれは結構貴重な体験だったと思う)。
よって、より共感できるのはデニムではなくカチュアの方である。
僕は戦いに行く!反対するなんて姉さんは勝手すぎる!と未成年の弟に言わせてしまう戦火の状況こそが狂っているのだ。かなしい。
なおこの物語については、主人公姉弟の機微よりも三章におけるガルガスタン陣営との泥沼合戦に燃えを見出していた。
相対する汎用リーダーにも背景があって奥行きが深い。

 

ドラゴンクエスト
スクウェア・エニックスニンテンドーDS/二十代後半

まさかドラクエの新作を携帯ゲーム機で遊ぶことになるとは思いもよらなかった。
ストーリーよりもコツコツこなすお遣い型クエストや地図探索に精を出した。
装備品が実際のビジュアルに反映するのもモチベーションとなり、自分なりにかっこかわいい着こなしを追求したりしていた。
そして9といえばWi-Fiショッピング(現在はサービス終了)。
毎週マクドナルドへ出向いて通信して、ポテト食べ食べ、装備品やアイテムを買いあさっただものだった。
ゲームと現実の世界がリンクするというのは初めての感覚。
これからはこういうの増えていくんだろうな…新しいムーブメントだな…と言いしれぬジェネレーションギャップのようなものを感じながら、このゲームを最後に新作ソフトはプレイしていない。

 

というのも2007年秋、ちょうど二十代後半の時分にこれまでの価値観を覆す大変なことが我が身に起こり、そして大変なものとの出会いを果たしてしまったためである。
それは冒頭で述べているとおり。
今は競馬というセーブもリロードもきかない、あけてみなきゃわからないびっくり箱のような現実世界のゲームとともに第二の青春を謳歌している。
とはいってもこれまでの私自身をつくりあげたあの魅惑的な箱庭の世界を忘れ去ったわけではない。
今までがあったからこそ、今があるのだ。
だからふと思い出した折にでも、ちょっと帰ってみたいとも常々思っている。競馬にもゲームソフトおよびアプリという展開はあることだし、案外その辺がきっかけになるのかもしれない。

 

転厩しても、愛してる

アマルティア号が転厩した。
いわずと知れたダート界の雄エスポワールシチー号の半妹だ。
兄を手がけた安達昭夫厩舎に所属していたが、馬房調整の目処が立たず、作田誠二厩舎に預託されることになったという。
幾度かの惜敗を重ね、スーパー未勝利戦をラストチャンスで勝ち上がり、さあこれからというところだった。
彼女はターファイトクラブの募集馬で、あいにくと私は出資者ではないので詳しいことは分からない。
まず管理馬のページから彼女の名前がなくなっていることに気づき、次に消息をたどって、散見される出資者の声を拾って事の次第を把握しただけにすぎない。

アマルティア号について見知っていることを少し。
彼女は線が細く、ゲート試験も含めデビューまでにやや時間を要した馬だった。
デビューしてからも乳房炎で熱発したり脱臼、喉鳴りの疑いなど決して順風満帆な道のりではなかったようだ。
華奢なイメージに反して追い切りでは前の馬を追いかけていくような気の強いところがあるらしい。
芝のレースでは伸び悩み、路線をダートに切り替えたところ少しずつ走るようになった。
同じく半兄を手がけた森崎調教助手が担当しており、パドックでいたわるように曳いている様子が印象的だった。

安達昭夫調教師について見知っていることも少し。
メイショウの松本氏やマヤノの田所氏、サウンドの増田氏等、知己の個人オーナーとの取引が大半を占める厩舎で、このアマルティアや友駿ホースクラブの募集馬であるエスポワールシチーの存在は稀有といえる。
レース選択や鞍上などは比較的決まった枠内から采配するが、ここぞという勝負をかけるときは上位騎手への依頼や、時には連闘での出走も辞さない。
いわく『いいときに使っていくのも勇気』とのこと(出典は優駿誌での杉本清氏との対談)。
各馬の状態を見定めたうえで、一度入厩した馬たちはおよそ中一週から中二週の間隔で一開催いっぱいレースに臨む(もちろん馬による)。
リーディング上位に名を連ねる厩舎が望めるような際立った良血馬、素質馬を欠いた状況で、できるだけ数を出して稼がねばならぬ、勝ち上がらせなければならぬという現実的な問題もあるのだろう。

それにしても、“馬房の調整がつかない”とは具体的にどういう状況なのだろう?
勝ち上がれる見込みが薄く厩舎にとって優先順位の低い馬は後回しにされて…とか、放牧先で放置されたまま出走機会を与えられず…などという声は一口界隈ではよく聞かれるが、どうも腑に落ちない(それさえ想像の域を出ない話ではある)。

先生、そんなひとかなぁ?
ここ、そんな厩舎かなぁ?
いま、そんな状況かなぁ?

と真っ先に感じてしまったのだ。
なによりアマルティアを積極的に手放したい理由が見当たらない。
現在の馬房数は20。管理馬は39頭(うち彼女と同世代の4歳馬は10頭)。
もともとこの馬に関してはデビュー前から慎重に慎重を期していたところがあった。
勝ち上がって放牧へ出たのち次走は年明けというアナウンスもされている。
その間、いや預託期間内に、厩舎とクラブとの間にいったい何が起こったというのだろう?

当然ながら私は、経営者としての安達師の顔を知らない。
いち個人としての姿はなおさらのこと。
競馬調教師としての人物像さえも充分に把握できていないのだろうと思う。
こちら側からはほとんどといっていいほど知り得ない情報だからだ。
ジョッキー以上に実態をつかみづらいのがトレーナーだ。
そこを知ろうと思えば、厩舎ごとの管理馬の動き、実際のパドックやレース、コメント等をみて推し量るしかない。あくまで推し量るまで。
たとえば今回のように“馬房調整がつかないから転厩ですよ”とクラブ側から言い渡されたとして、おそらくその言葉の裏には様々なやむにやまれぬ事情が込められてはいるのだろうが、当人らの口から全てが語られないかぎり、こちらが何も知り得ないかぎりは言葉の通りに受けとって受け入れるしかないのだ。
ひとくちに転厩といっても、めちゃくちゃに喧嘩別れしたのと、双方の摺り合わせのうえで致し方なくそうなったのと、前向きな検討のうえとでは印象は全く変わってくるが、残念ながらこちら側から真実を知るすべはない。
だからといって関係者側にいわゆる突撃のようなことをしたりして、暴いてやろうとも思わない。
ファンが一番してはいけないことだからだ。
そうか、よっぽどの何かがあったのだろう、残念だなぁ、と嘆きこそすれ、誰かに憤ったり結果を責めたりする権利などはない。
たとえ私が出資者のひとりであったとしてもだ。

厩舎、調教師との関係、というのは競走馬をメインに応援するようになってからの重要なテーマとなった。
競走馬や競馬そのものに夢を想い描くように、ホースマンに憧れや敬意を抱くことはままある。
実体を知るすべがない以上それらは現実とはかけ離れた幻想なのかもしれない、という自覚もある。
しかし自らが想い描いた偶像を、当事者はもちろん他者にみだりに押しつけたりひけらかしたりしないのであれば、そういう密やかな思い入れはあってもいいのではないだろうか、という結論に達した。
元をたどれば佐藤哲三元騎手との出会いから広がっていった縁である。
彼らは競走馬と競馬を通じて信念を分かち合う同志でありつづけた。そのさまに惹かれたのだ。
先述のエスポワールシチーとともに味わった甘美な想いが忘れられず、またそれはアーネストリーアップトゥデイト佐々木晶三調教師も同様のことで、私はそれぞれを先生と称して信頼している。
幸せや喜びだけでなく、つらく苦しく厳しい試練の月日も、そうした時の真摯な姿を、信念を貫くさまを見つづけてきたからこそだ。
これまでがそうであったように、今とこれからも信じたい。
調教師とはよき競馬の先生であってほしいと願い、信じているのだ。

さて個人的な思い入れという点でいえば、私は作田師のことはもっと何も知らない。
管理馬といえばバイガエシとヴィーヴァギブソンなら知っている。本当にそれくらい。
アマルティアを通してこれから少しずつ知っていくのだろう。
いわばこれもひとつの縁なのかもしれない。
かつて熱い想いで見守ったエスポワールシチーの妹を、まだ2歳だった可憐な少女を競馬場で見つけたときの、あのなんともいえない感情で胸がいっぱいになった日のことを覚えている。
パドックの待機所で、緊張と期待の入り混じる表情でじっと彼女を見守っていた先生の優しいまなざしも覚えている。
私が想い描いているものは幻想なのかもしれないが、少なくとも私がこれまで競馬場で見てきたものは、私の中では嘘偽りのない真実だ。
だからこそ残念だし、寂しいというのが本音だ。
でも、みんながんばってほしいから、これからも変わらず応援しつづける。

どこへいっても、アマルティアはアマルティアだ。
アマルティア、転厩しても、愛してる。

 

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