うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

お化粧コンプレックスと仲直りしました

手持ちのがなくなったのでキャンメイクのクレヨンコンシーラーを手にとった。
いい大人がプチプラコスメなんて恥ずかしい、年相応のものを使うべき、という旨のツイートが瞬間最大風速的に拡散したことは記憶に新しいが(メイク界隈は定期的に炎上するイメージ。こわい)、三十路の私の顔はプチプラコスメでできている。
下地とコンシーラーはキャンメイクだし、ちふれのオールインワンジェルはボディにも使える。
ローションとファンデーションはずっとオルビスだ。
肌に合って使い心地のいいものを模索した結果、現時点ではこのあたりに落ち着いている。
まだまだ模索中だ。

私の母はノーメイクの人だった。
母の母もやはりノーメイクの人だった。
肌の問題や主義主張などでは別段なく、知らなかった、教えてもらえなかったのもあるだろうし、人生において必要に迫られなかったのもあるだろう。
農業を営んでいた祖母はともかく元勤め人の母には機会はあったのかも知れないが、別にすっぴんでいい、自分には必要ないと思って今日まで生きてきたのだ。
ゆえに娘である私にとってもノーメイクが日常で当たり前。
メイクという概念が暮らしの中から完全に抜け落ちていた。
必ずしもしなくていいもの、したい人がすればいいもの、自分とは無関係なキラキラしたもの。
美しい人、美しくなりたい人、意識高い女性の特権として世界の外側に存在していたのだった。
この先天的な価値観が後々の自分自身を長らく縛ることとなる。

社会へ出たら半ば強制的必須項目とされるわりに、メイクを教えてくれる機会や人物というものはほぼ存在しない。
年頃になったら各々が気づき、自覚し、独学で習得していくのだ。
なんのスキルも心構えもないままに私は学業を修めて社会人となった。
さすがに危機感を覚え、売り場カウンセラーの勧めるままにブランドメイク道具一式を揃えたが、使い方が分からなかった。
あまりにも無知で恥ずかしく、世間知らずの十代だった私はカウンセラーのおねえさんに教えを請うことができなかった。
その後も身の周りに教えを請える人がいなかった。
かくして私もノーメイクの人となった。

入社式のときだけ申し訳程度に顔を塗った。
以降は塗らなかった。
暗黙の了解的な義務となってはいるものの、すっぴんでいるからといって特別そしりを受けるというわけでもない。
ただ、あなたはしないひとなんですね、そういうひとなんですねと何となく仕分けされる感覚はある。
差別や区別というよりも許容なのだろう。
気楽でもあり、後ろめたくもあった。
ほんとはすべきなんだよな、でもしないでやってきたのに今さら何をどう、しても顔かたちがこれだからしょうがない。
こんなご面相の私がおこがましくも、さも美しげに装うのはなんだか人を騙しているようで恥ずかしい。
美しく装った人を横目に見ながら自分に言い聞かせ、世間に対して言い訳をしつづけていた。
メイクを強制するくせにやり方を教えてくれない世の中がおかしいのだ、だから私はやりたいようにやらないを貫くんだ、とこじらせつづけた。
年齢を重ねてくると、冠婚葬祭はもちろん遊びに出かけるときにするメイクへの苦手意識そのものは次第に薄れていった。
誰にも何にも強制されていない、自らが望んでする自由な行為だからだ。
行きたいところへ行く、会いたい人に会うときは小綺麗にしていたいというのは至極自然な感情だ。

つい最近まで職場ではノーメイクの人だった。
変わったきっかけは、単に職場が変わったからだ。
はじめが肝心。
初動数日間でしないを貫いたら、しない人で定着する。認識される。
実際にそうして生きてきた。生きづらかった。
ふと気がつくと私は三十代になっていた。
自分を縛り物事を難しく考えて生きてきたせいか、ますはじめに刻まれたのは眉間と額の皺だった。
目元や口角のたるみも目についた。肌も年相応にかさついてくすんでいる。
鏡を見るのが嫌いで、目をそらすあまり自らを客観視できていなかったのだ。
実年齢よりも若く見えると言われつづけてきたが、いつまでも若くはない。もう若くない。
自らの加齢を自覚することにより、衰えや欠点をカバーすることこそがメイクの本来の役目じゃないか!と気づくことができたのだった。
人に世間に強制されるのではなく、世の中に迎合するのではなく、ほかならぬ自分自身のために。
綺麗にしていたい、女性として、もっと自分を大切にしたい。
楽に気分よく生きていくために。
職場を変えたのをきっかけに、ついでに考え方も変えてみようと思った。
私にとってメイクが本当に必要となった瞬間だった。

私のメイクは実際“足りてない”と思う。
通勤時は必要最低限しかしていない。
メイクが当たり前のものとして生きてきた人からすれば、全く足りていないと思う。
化粧水で肌を整えたのち、下地、コンシーラー、ファンデーションを塗り、チークを薄めに乗せる。
ビューラーで睫毛をあげてアイブロウで眉毛を描き、リップを塗ってできあがり。
オフのときはこれにアイラインとアイシャドウとマスカラを足すくらい。
もうちょっと何かしたいなぁと考えながらこのごろは売り場を物色したりしている。
お化粧道具は綺麗で可愛らしくて華やかで、見ているだけで楽しい気持ちになる。
メイクを日常にとりいれる前には気づけなかったことだ。
なんだかキラキラしてるし、小さいのに高いし、使い方がわからないし、得体が知れなくて怖い。
こんな自分には不釣り合いだとずっと避けていた。
しかし自ら求める段になって、まずできることからしてみよう、今すぐ要るものから見てみようと腹をくくったら憑き物が落ちたように平気になった。
毎日メイクをしてみると肌のケアも全く“足りてない”ことを痛感した。
毎晩寝る前に美容パックをしてみた。これもプチプラだ。
やがて肌の状態が安定した。
ちゃんと自分の身体と向き合えばちょっといいことがあるんだ、という発見だった。
心なしか自己肯定もうまくできるようになった気がする。

極論を言ってしまうと、個人的には、メイクは絶対的な義務ではないと私は思う。
私自身が“しない人”だったので、ノーメイクの人を見ても別段マイナスの感情は抱かないし、美しく装った人を見れば素敵だなぁと感心するだけだ。
したいときに、したい人が、したいようにする。だったらもっと楽しいはずだ。
義務だと思うから苦痛に感じる。世間にやらされてると思うから理不尽さを覚える。
なので、もう少し寛容であって欲しいかなとは思う。
本来、メイクとは楽しくて素敵なことだ。
でも、どんなに楽しくて素敵なことも、義務感を覚えてしまえばどこかで重荷と化すこともあるだろう。
肌の調子が悪いとき、寝坊してしまったとき、なんとなく気乗りしないとき。
そんなことって、たとえどんなに習慣づいていたとしても、誰にだって必ずあることだから。
なにより、すっぴんって最高に気持ちいいでしょう。
お化粧がバッチリ決まったときも、何だか嬉しいでしょう。
どっちの喜びも、ある。
あっていいのだ。

春はまた来る。アップトゥデイト、三度目の阪神スプリングジャンプ

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もはや説明がつかない強さだ。
中山グランドジャンプを制したのち、彼の中でいったいどのような変化があったというのだろう。
私がその片鱗を感じたのはJ・G1ではなく、そのふたつ後の東京ハイジャンプだった。
もしかすると、とんでもない怪物ができあがりつつあるのかもしれない。
直線を向いて幾度となく接触してくる空馬を気合一閃、弾き飛ばして完勝するさまを見ながら薄々と戦慄を覚えていた。
予感は暮れの中山で的中する。
応援馬のはるか9馬身かなたでゴール板を駆け抜け春秋障害王者の座をもぎとったその馬を遠くに眺めながら、彼らがこれから歩むであろう道なき道に想いを馳せた。
身震いすらしながら、悔しさをかみしめながら、絶望に限りなく近い敗北感さえ感じながら、それでも私は嬉しかった。
倒すべきライバルが歴代最強レベルの障害馬であることに興奮を禁じえなかった。
夢を託した馬が偉業を成し遂げられると信じてやまなかったからだ。
応援者としてその過程を見てゆけることが、障害ファンとして競馬ファンとして同じ時代に生を受けた名馬の切磋琢磨しあうさまを見届けられることが、たまらなく嬉しかった。
オジュウチョウサン、相手にとって不足なし。
こうしてアップトゥデイトの新たな挑戦がはじまった。

迎えた阪神スプリングジャンプ
逃げるドリームセーリングを見ながら二番手を追走するも、隊列は思ったよりも短く、ペースは落ち着き、背後からぴったりとマークしていた勝ち馬に難なくかわされる。
結果は2着。4馬身差の完敗だった。
さらに4馬身離れてタイセイドリーム、サンレイデューク、クリノダイコクテンがそれぞれ僅差で入線し、二強が突き抜けていることをあらためて証明する結果となった。
しばらくは新旧王者の覇権が続くことだろう。

本音を言えば、もっと縦長の展開になってほしかった。
もっとハイペースとなって、あのスタミナが活かせる展開を望んでいた。
行くべき馬が思ったよりも行かなくて馬群が幾度も詰まったとき、なぜ行かないのか、他馬が行かなければ自分で行ってもいい、彼はそれができる馬なのだからと、やきもきしてしまった自分がいた。
好敵手に及ぶと信じていたからこそ、悔しかった。
レース後も終わったことばかりを考えていた。
たしかにそれもひとつの事実なのかもしれないが、タラレバであり結果論だ。
真実はレース結果の中にある。
オジュウチョウサンが強かった。
アップトゥデイトも強かったが、及ばなかった。
4馬身。たった4馬身。はるか4馬身。
だからこそ悔しかったのだ。

もしもオジュウチョウサンが本格化しなければ、アップトゥデイトは類い希な春秋障害王者としてハードル界に君臨しつづけたことだろう。
だけどそんなことは絶対に言わない。
私の望むところではないからだ。
オジュウチョウサンの底知れぬ強さには、畏怖と同時に惹かれてやまない何かがある。
彼自身からわきあがる力の根源が未知で謎だからこそ、従来のハードル名馬とは一線を画した型破りな闘いぶりから目が離せないのだ。

私にとってそれ以上に底知れぬ力と可能性を感じさせてくれるのがアップトゥデイトという存在だ。
彼を想うとき、いつも不思議と不安というものは全く感じなかった。
あったのはたった一度だけ。大敗を喫した新潟ジャンプステークスの時のみだ。
いつのときも、胸の奥底からわきあがるじんわりとした自信と信頼で心が満たされる。
必ず雪辱なる。大一番につながる競馬ができる。
決戦前夜も、レース直前も、自分でも驚くほどにいいイメージしかわいてこなかった。
もちろん次とこれからを見据える今も。
単なる盲信なのかもしれないし、あくまで精神論であり願望であり、いちファンの見解でしかない。
しかし彼がハードルと、そしてライバルと対峙した時に見せる確固たる力がそう信じさせてくれることもまた、私にとっての真実。
それこそが、説明のつかない彼自身の強さなのだろうと思う。

この闘いを目の当たりにして確信はより強まった。
アップトゥデイトはまた勝てる。勝つための競馬ができる。
衰えは全くない。
次かもしれない。その次なのかもしれない。
いつか必ず、きたるべき時がやってくる。

 

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決戦前夜。アップトゥデイト、三度目の春へ

闘うために生まれてきた馬。
私が現障害王者オジュウチョウサンに抱くイメージだ。
たとえるならば戦車。
圧倒的な力をもって、立ちはだかるものをなぎ倒しながら前進する。
生来の闘志にくわえて飛越という武器を手にした戦士ともいえる。
これから立ち向かうことになる最大のライバルだ。

アップトゥデイトを形容するならば、どんな言葉が相応しいだろうか。
スタミナ?先行力?巧みな飛越?
どれも的確でいて、今ひとつ足りない気がする。
言葉ではとてもいいあらわせないのだ。彼の強さの魅力、その正体は。

障害転向後、順調に勝ち上がったり勝ち負けをしながら、障害重賞初挑戦となった阪神スプリングジャンプ4着を足がかりに、こちらも初挑戦となった中山グランドジャンプ制覇を彼がやってのけたとき、私はいまだかつてないほどに胸が高鳴った。
競馬を観てきてたくさんの馬やひとに数え切れないほどワクワクさせてもらったが、これまでにない種類のときめきだった。
新馬のころから見知っていた情もあったのだろうが、一番は未知への挑戦と開拓。
見事に自らの脚で道を切り開いた王者のひたむきな強さへの驚きと敬意、新たな世界が目の前に拓けていく喜びと興奮だった。

アップトゥデイトは駆け、跳びつづけた。
数々の好敵手を得ながら。人びとを魅了しながら。
ときに悩み苦しみ、ときに闘争心を剥き出しにしながら。
一度目の春で障害王者となり、二度目の冬で王者の座を譲り渡し、そして三度目の春を迎え、今また私は、あのころと同じときめきを胸に抱いている。
もう一度、何度でも、ワクワクしたい。
現に今、このうえない期待に胸躍っているのだ。

阪神スプリングジャンプ
三度目のこの日も笑顔で迎えたい。
いつのときも、いつものように、彼と彼をとりまく陣営の最善と最良を願ってやまない。

 

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退き際の美学

幸せで泣けてきた。
あまりに飄々として爽やかな去りようだったから、そのときはまだ実感がわかなかったのだ。
いま、じんわりとした余韻をかみしめている。
阪神競馬場にて、武幸四郎騎手が20年にわたる現役生活にピリオドを打った。
新たな志を胸に抱いての素晴らしい勇退だった。
希望に満ち溢れた引退式を見届けたあと、帰路につきながら、決して忘れえぬあの日のことを思い起こしていた。

私がこの世で最も敬愛したジョッキーは志半ばでターフを去った。
拗ねて甘えてくるキズナをかわいいと感じ、馬を叱咤し鞭打つ乗り役はもうできないと悟った哲三騎手。
落馬をして、怪我をして、馬に乗れなくなって、入院をして、手術をして、厳しいリハビリに取り組むという、筆舌に尽くしがたい過程を経て、悩み苦しみ抜いて導き出した結論だ。
競馬にタラレバは厳禁だけれども、でなければその境地にたどり着くのはもう少し先のことだっただろう。
日本ダービー有馬記念、ドバイ、凱旋門賞、1000勝達成…
数々のやり残したことと無念を腹に抱え、すべてを飲み込んだうえでのリタイアだった。
心を分け与えてもらったファンとしては、あの日のことを思い出すたびに胸がつぶれそうになる。
しかし決意を語る言葉はよどみなく、前を見据える表情は優しく晴れやかだった。
その毅然としたさまに、逆にこちらが救われたのだった。

あのときの悲しみと悔しさと最愛のものを失う寂しさを知っているからこそ、いま嬉しい。
自ら鞭を置いたひとりのジョッキーの退き際が悔いなきものであったことに喜びと安堵を覚えずにはいられないのだ。
幸せだったと彼はいう。彼を見守ってきたひとたちもきっと同じ気持ちだろう。
夢のつづきを一緒に見ていけるのだから。

とりとめもなく、縁あって応援しつづけているあのひとこのひとは定年までホースマン人生を全うするのかなと考えてみたりする。
だとすればこのさき十年前後の話だ。
そのころ私はどうなっているのかな、まだ競馬をしているだろうか。見ているだろうか。
そんな環境に自分自身があるだろうか。難しいかもしれないが、どうかあってほしい。

秋の天皇賞をもって私の競馬歴は十年を越える。
十年といえば歴史といってさしつかえのない年月であり、ちょっとしたものだ。
長年ひとつの場所で同じことを続けていれば、そのあいだ実にいろいろなことがある。
新たな季節のたびに何人ものホースマンを迎え、見送ってきた。
大願をもってステップアップするものがいるかたわらで、悩み苦しみの中で活路を見いだそうとするもの、あるいは事情を抱えて去らざるを得ないものもいる。予期せぬ別れもあった。

ジョッキーもトレーナーも、いずれ来た道を後にする。
馬に携わるひとはもちろん、競馬ファンとてそれは同じことだろう。
戦い、抗い、足掻き、受け止め、受け入れる。
当事者たちは馬とともに、見守るものは夢とともに。
出会って別れる。迎えて見送る。競馬がつづく限り。
だからこそ願わずにはいられない。
これからもつづく縁の連鎖がよきものであることを、この世界を志し愛するすべてのひとの幸せを。

 

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カメラを持って競馬場へ。 誰のために、何のために撮る

馬のつむじが好きだ。
ぽつんと額に渦を巻くやわらかそうな毛の流れを見つけると、指で触ったり、撫でてみたい衝動に駆られる。
自在に動くかわいらしい耳も好きだ。
濡れたように輝く大きなやさしい瞳も。
写真におさめるようになってから、より馬を美しい、いとおしいと感じるようになった。
好きな馬の美しい毛並みや瞳や仕草、ともに過ごしてる人々とのひととなりをもっとありのままに美しく撮りたいと思うようになった。
他のひとの技術も感性も優れた素晴らしい写真を毎週のように見ていると、明らかに自分のは見劣りしているし、それなりだとよく分かる。
自分の楽しみの範囲内としては充分と納得しつつも、どこか物足りなさを覚えてしまうのだ。

まずは力量不足。もっとうまくなりたい。
好きなこと、楽しいことに向上心がわくのはごく当たり前のこと。
次に得物のスペック不足。コンパクトデジタルカメラ、俗にいうコンデジの性能の限界。
今のままで充分、持っているものへの愛着を大事にしながら磨いていこう。
一度は決意したものの、競馬場へ行くたびに、実際に撮って帰ってくるたびに、上手な作品に魅せられるたびに、蓋をしていた欲求は少しずつ確実に募っていった。

持つならばNikon1シリーズがいい。
実は家電量販店へ足を運ぶたびに物色し、めぼしいものを見初めていた。
別に最新機種でなくてもいい。いっそ型落ち品でも構わない。
この安価でコンパクトなミラーレス一眼ならば値段、質量ともにそこまで重荷にも宝の持ち腐れにもならないだろうと踏んだからだ。
もっと背景をぼかしたい、いい感じに撮りたい。
うまくなりたい、もっといいものに触れてみたい。
…本当は、コンデジで撮っていることに、心の片隅でずっと引け目を感じていた。

立派な一眼レフを構え、使いこなしているひとに?
素敵な写真を撮るひとに?
好きな馬に?
敬愛するホースマンに?
それとも自分自身に?
答えは明白だった。

その道のプロになりたいとか、しかるべき人物や組織に認められたい、確実な評価を得たいという目的があるのであれば、意識を高く持つことは間違ってはいない。
だがその高い意識で他者と自分を貶したり、思い込んだり心構えを押しつけたりするのはもってのほか。本末転倒だ。
こうありたいという想いがこうあらねばという強迫観念と化して、ありもしない型枠におさまらねばならないと、いつしか自分で自分を追い込んでいたのだった。

競馬場で写真を撮るのは誰のため?
ひとのため?
誰かに認められるため?
馬のため?馬に携わるひとのため?
そんな崇高なこと、私には畏れ多くて背負えそうもない。
つたない私には自分のため、楽しむためで精一杯。

この馬が好きだ。このひとたちが好きだ。競馬が好きだ。
愛するものたちの姿を、彼らがいた風景を覚えていたい。形あるものとして残していたい。
別れはいつか必ず訪れる。誰のうえにも平等に。どんな形であったとしても。
ひとは忘れる。どれだけ嬉しいことも、悔しいことも、悲しいことも、淋しいことも、覚えていたい気持ちとは裏腹に。
だからせめて思い出せるようにしておく。
いなくなって永遠に会えなくなっても、愛したものたちと記憶の中でくらいは会いたいのだ。
そう願ってやまない自分自身の心のために撮る。
いずれ会えなくなっても、何度でも心の中で再会するための準備をする。

そしてもうひとつ。“自分のため”が時として想いを同じくするひとのためとなりうることも知っている。
だから撮ったものは共有する。
“ひとのために”と気負うのではなく、好きなものを好きだと声に出すのと同じ気持ちで。
その過程で同じ馬やひとを、競馬を愛する誰かと想いを分かち合うことができたのならば、これほど素晴らしいことはない。
だから競馬場へはカメラを持って行く。
思い出を絶やさないために。

 

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