うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

メイショウアラワシ、京都ジャンプステークスに挑戦

メイショウアラワシ号(以下アラワシ)を応援しに行ってきた。
オープン競走を勝ちあがったのち著しい成長力を見せ、少頭数の中山グランドジャンプにおいて3着入線。
一躍注目を浴びた彼が次に目指すべきものは、もちろん重賞初制覇。
負傷の主戦にかわり高田潤騎手と挑んだ小倉サマージャンプは惜しくも2着(マキオボーラーが強かった)。
引き続き高田騎手とのコンビ続行で臨んだオープン特別の清秋ジャンプステークスは斤量と重馬場がこたえて7着と凡走(ウインヤードが強かった)。
このあと暮れの大一番へ向けていったん仕切り直しかと思いきや、ずっと在厩で時計を出したり障害練習を積んだりしていた。
得意の京都で、主戦の森一馬騎手との再コンビで、ここで決めよう!ということか…
おそらくここがメイチ、目標は京都ジャンプステークス
比較的早い段階で陣営の意図が見え、私もまたここしかない!と強い期待を抱いた。
しかし、いつも強い馬が前を走っているアラワシの前にまたもや強敵が立ちはだかる。
下半期は中山大障害一本に絞ってくるはずだったニホンピロバロンである。
大本命の電撃参戦もあってか、本競走の特別登録馬はわずか6頭と異例の事態に。
ウインアーマー回避の可能性も示唆されていたらしいがレースはなんとか成立し、爽やかな秋晴れのなか精鋭たちが激突した。

タマモプラネット逃げる、ドリームセーリング負けじと追う。
大方の予想通り縦長の隊列となり、末脚にかけるニホンピロバロンはやはり後方から。
アラワシは…
まさかの最後方追走。
スタートがポンと出なかったとはいえ、これも作戦のうちなのか?
後半へ向けて内々で脚をためているのか?
とはいえ脚比べになったら明らかに不利なのに、バロンよりも後ろで大丈夫なのか?
さあ二週目に突入した。
アラワシまだ動かない。
いや、三角あたりからはかったようにじわじわと伸びてくるはず…
………あれ?
もしかして、動けない?

パドック気配は抜群だった。
栗毛の馬体がつやつやと輝くようで、落ち着きを見せながらも気合の乗った周回を見せており、素人目にもこれで勝ち負けできなきゃ仕方なしという出来だった。
斤量も背負わなくてよい。
そのうえ良馬場でやれる。
でも、なぜこんなにも手応えが、得意の飛越までもがあやしいのか…?

アラワシは後方侭で最下位の6着に終わった。 
練習で三段跳びがもうひとつだったらしいとか、あんなにも前に離されると切れる脚があるわけではないので苦しいとか、敗因らしい敗因を挙げることはできるのだが、バロンどころか他の4頭に対してすら何もできなかった…という事実に応援者は思いのほか打ちのめされてしまったのだった。
でも無事完走したんだよ!と応援馬の生還を喜びつつ、なんだか身体がこわばりその場から動けなくなって、ドリームセーリングの凱旋を讃えにいくことができなかった。
ドリームセーリング、平地時代にも馬券買ってたのに。
ニホンピロバロンには競馬に絶対はないこと、ウインアーマーには出走する全ての馬に勝つ権利とチャンスがあること、そして大金星をあげたドリームセーリングには何事も諦めてはならないことを教えられた淀のジャンプ重賞であった。

アラワシに教わったのは、さしずめ競馬ファンにとっての自由と責任についてだろうか。
勝手に期待して勝手に落ち込んで、競馬ファンっていうのはほんと勝手だなぁ、しかし自由なんだなぁと肩を落としながら考えていた。
競走馬を愛する自由、好きな対象を応援する自由、憧れの存在に夢を託す自由、予想して馬券を買う自由。
その自由に伴う責任ってなんだろうかと考えたとき、それはやっぱり喜んだり落ち込んだり訝しんだり悩んだりしながらも、戦うものたちの健闘を讃え、事実と結果を受け入れることなんだろうなぁとひとり頷いていた。
アラワシは大敗してしまった。
しかし3170mに及ぶ戦いを終えて無事に帰ってきた。
これと思われる敗因はいくつかあるが、負けてしまったことが事実で結果。
すべての障害をこなし競走を全うしたこともまた事実で結果。
敗戦を認めたうえでレース内容を残念に思うのも、無事の完走に安堵し巻き返しを願うのもまたファンにとっての自由なのだ。

そういえば、騎手をとても愛するのと競走馬をとても愛するのとでは、同じようでちょっと違うということもあらためて感じていた。
根本の感情は同じところにあるけれど、感ずる場所がほんの少し違うような。
馬はただ無心に走るだけだからだろうか。
馬を愛することには、馬の周りにいるひとを信じることも少なからず含まれるから、ひと一人を一心に見つめるのとは趣が変わってくるからかも知れない(私は彼を導く陣営も同様に信頼し応援している)。
競馬を愛するうえでそのどちらの想いも味わうことができるとは、我ながら競馬ファン冥利に尽きる。

思い通り、能力通り、予想通りにいかないからこそ惹かれる。
印の順、仕上げ通りには決してならないからこそ競馬は面白いし、誰もがレース結果に自分の見たい夢を想い描く。
9歳馬が単勝一倍台の大本命馬を打ち破ったことは大半の障害ファンを驚かせる結末ではあったが、その一方で確かに誰かの信念が結実し、夢が叶った瞬間だったのだ。
私もまたそのどちらとも違う夢を見ていたし、これからも何度も追い求め続けるだろう。

次走予定はさすがにまだ白紙だろうか。
障害が増え距離の伸びる大障害コースでは本来のしぶとさが活きそうだし、それを現地で見たい気持ちもあるが、今回の結果が結果なので無理はしないような気もする。
ずっと在厩で頑張ってきたことだし。
そんなメイショウアラワシ号と陣営の飛躍を願ってやまない。

 

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これまで食べ歩いたパンケーキを並べてみたら壮観だった。

 「なんか最近流行ってるみたいやし、そこに店できたみたいやし食べてみいひん?」

きっかけは些細なことから、はじまりは唐突に。
数年前に巻き起こった空前のパンケーキブームにチョイ乗りする感じで友人と入ったのが天王寺のとある店。
パンケーキといえば私たち世代の認識ではちょっとおしゃれホットケーキにすぎなかったし、ホットケーキといえば初めての調理実習で焼くような軽くて手軽なおやつ。
が、ブームに乗じてやってきたヤツらはどっしりと重たかった。
ひとくちにパンケーキといっても店やタイプにより千差万別で、重いの(アイス生クリームソースフルーツその他盛り盛り系)から軽いの(スフレタイプとか本来のホットケーキ系)までとりどりに存在するのだが、私のファーストコンタクトはどうやら前者だったよう。
ちなみにbutterの窯出しクレームブリュレパンケーキだった。
パンケーキの中にプリンが詰まっていてしっとり重い。
重いぞ重いぞケーキのくせに、と衝撃を受けながら完食した際の妙な達成感だったり甘いもので腹十二分目に満たされる多幸感とで、予期せぬ新しい扉が開いてしまったのだった。

一枚平らげるとさらにもう一枚。
しかも当時は空前のブームのさなかであったから競うように話題の店、話題の商品が出続けた。
次はあの店のあのパンケーキを食べたい、本当においしいのかどうか確かめたい、そして写真に収めてコレクションしたい…
行ったことのない場所へ出向いて、新メニューというレアアイテムとこういう味だったという情報を経て、経験値をあげていく。
店によっては分かりにくい立地にあったり、人気店なら並ぶというミッションが発生する。
あの感覚はいま振り返ればロールプレイングゲームに酷似していた。(筆者は元ゲーム好き)
だから約二、三年ものあいだ飽食の旅人として流浪し続けられたのだろう。
納得がゆくまでハマり、こだわり、極めることができたのだろう。
もちろん食べている最中は幸せそのものだった。
私は生来、甘いものが大好きなのだから。

が、物事にはいつか終わりが訪れる。
食べているさなか、そして完食した際に、

「重いぞ、辛いぞ…、いまとても、おもつらい…!」

という想いが達成感と多幸感を上回りはじめたのである。
食が修行となってはいけない。
パンケーキは女子にとってのラーメン二郎なる名言がいつかだれかどこからか広まったと記憶しているが、そういうことなのだ。
三十路過ぎにパンケーキは重すぎた。
最終的に「やっぱりシンプルなホットケーキが一番おいしいね」という結論に達したところで、私はいまアイスクリームを食べている。

 

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せっかくなので(タイトルどおり)並べてみた。

おおむね五十音順。
可能な限りリンクを張ったので、何かのお役に立てば幸いです。
 ブームからわずかの間にリンクが死んでたり閉業した店もちらほら見受けられ、ものすごく凝縮された栄枯盛衰の理を感じる。
ちなみに今でも通っているのは梅田の雪ノ下くらい。
あそこはかき氷とお茶もおいしい。
いまや全国にフランチャイズ展開している(が、本店にしか行ったことがない)。

これだけ食べに食べて分かったのは、

本当にもう一度行きたい店食べたい料理というのは実はほんの一握りなんだ!

ということ。
あ、でも中山への遠征中に寄り道した柏の三日月氷菓店にはぜひもう一度行きたいです。忘れられない味。
かの店もかき氷がおいしいらしい。

 

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あめりかん(平野)
ホットケーキセット(500)

CRITTERS BURGER(四ツ橋)
クラシックバターミルクパンケーキ(700)

甘党茶屋 京 梅園 CAFE&GALLERY(烏丸)
抹茶のホットケーキ(900)

Eggs'n Things(心斎橋)
ストロベリーホイップクリームマカダミアナッツ(1100)

  

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絵本カフェholoholo(難波)
大きな大きな手作りパンケーキ(700)

mg.(心斎橋)
ブルーベリーとクリームチーズのパンケーキ(1180)

elk(心斎橋)
プレーンパンケーキ (680)

松之助 平野顕子のパイとケーキの店(烏丸御池)
リッチチョコレートパンケーキ(840) 

 

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[大阪] cafe & books biblioteque|カフェ&ブックス ビブリオテーク(梅田)
ベリーとクリームチーズのパンケーキ(1100)

CAFE DI ESPRESSO 珈琲館(平野)
キャラメルナッツホットケーキ(390)

BLUE FIR TREE Cafe(祇園四条)
幻のホットケーキ(400)

Veganバーガーが食べられるカフェ! "cafe MATSUONTO"京都四条河原町(河原町)
パンケーキ(780)

 

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喫茶アカリマチ(中崎町)
自家製ホットケーキ(550)

京都西院の町家カフェ・喫茶と焼き菓子ダバダバ・パンケーキ(西大路三条)
ホイップパンケーキ(750)

木村屋(※閉店)(天王寺)
プレーンスフレパンケーキ(1150※ドリンクつき)

KUA`AINA クア・アイナ(難波)
パンケーキブリュレ(単品655、ドリンクセット745)

  

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gram 天王寺店|株式会社gram(天王寺)
焼きリンゴと紅茶のパンケーキ(1050)

香月(仁川)
特製ホットケーキ(750)

KOQUA(※閉店)(心斎橋)
パンケーキ(600)

ココノハ | ヘルシーな和ぱすたやパンケーキが楽しめるナチュラルカフェ(難波)
メープルシロップ発酵バターのパンケーキ(500)

  

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Sarabeth's「ニューヨークの朝食の女王」- サラベス(新宿)
レモンリコッタパンケーキ(1400)

サンシャイン(梅田)
ホットケーキセット(780)

J.S. PANCAKE CAFE | J.S パンケーキカフェ オフィシャルサイト(天王寺)
j.s.pancake(780)

juen(天神橋筋六丁目)
パンケーキ(季節のフルーツと生クリーム)

  

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juenベリーとチョコがけパンケーキ(1200)

純喫茶アメリカン(難波)
特製ホットケーキ(550)

SHIN-SETSU(公式) (@teramachi.shinsetsu) • Instagram photos and videos(河原町)
プレーンパンケーキ&アイスクリーム(600)

なんば 深夜のケーキ&スイーツバル - 夜遅くまで営業しているスイーツ&カフェとバル アンジュジュメール(日本橋)
アンジュジュパンケーキ(680)

 

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sweets & cafe Juicy Trump(※閉店)(梅田)
メープルハートパンケーキ(800)

スイーツ・オ・レ(※閉店)(四ツ橋)
日本一分厚い半熟パンケーキ(680)

3 octave(※閉店)(梅田)
こだわりたまごのパンケーキ(600)

天満橋・シティモールのカフェ TABLES LOUNGE(タブレス ラウンジ)(天満橋)
ブルーベリーコンポート & AOPバター(950)

 

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Taste the Difference | TULLY'S COFFEE(阿倍野)
T'sパンケーキ チーズハニー(530)
T'sパンケーキ キャラメルチョコ(560)

CIAO PRESSO あべのハルカス店(天王寺)
あべのべあパンケーキセット(780)

De Niro(三宮)
スタンダードパンケーキ(735)

 

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紀州備長炭自家焙煎炭火珈琲-なかおか珈琲(難波)
プレーンホットケーキ(単品430、セット価格で280)

NORTH ROUNGE 北欧館(梅田)
とろける3種のベリーソース リコッタパンケーキ(750)

ばさら梅々庵(大阪)
和風パンケーキ(680)

カフェ&パンケーキ【Butter(バター)】江坂・茶屋町・梅田・阿倍野・神戸・甲子園・豊洲・横浜 ::: 高級発酵バターを使用した焼きたてパンケーキ :::(阿倍野)
バターミルクパンケーキ 純生クリーム添え(3枚880) 

 

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butter窯出しフレンチパンケーキ 純生クリーム添え(780)

butterランと紅あずまのキャラメリゼパンケーキ 純生クリーム添え(1380)
butterカスタードブリュレパンケーキ(1000)

Babeurre(四ツ橋)
鉄板メルトチョコとナッツのパンケーキ(1080) 

 

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PANCAKE DAYs・パンケーキデイズ(阿倍野)
シンプルパンケーキ(500)

ハンズカフェ - 『SHAKE HANDS』(梅田)
パンケーキ クラシック(700)

bills(明治神宮前)
リコッタパンケーキ w/フレッシュバナナ、ハニーコームバター(1400)

BROTHERS Cafe(難波、梅田)
ブラザーズパンケーキ(850) 

 

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BROTHERS Cafeふわふわたまごとスパムのパンケーキ(1000)
BROTHERS Cafeたっぷり苺のパンケーキ(990)

fulfill(天神橋筋六丁目)
プレーン(380+生クリーム100)
berryベリー(580) 

 

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ドーナツのフロレスタ(四天王寺前夕陽ヶ丘)
プレーンパンケーキ(600)

Bechamel Cafe(梅田)
バーグ&エッグディッシュミールパンケーキ 80's(682)

VERY FANCY | PANCAKES, TEA, COFFEE, and HAPPY!(なんば大国町)
プレーン(850)

ぱんのいえ|焼きたて食パン・菓子パン・ホームベーカリー(志紀)
パンケーキ(530※モーニング) 

 

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HOKUHOKU(※閉店)(心斎橋)
バターとソフトクリームのパンケーキ(780)

星乃珈琲店 オフィシャルサイト(梅田)
スフレパンケーキ(シングル530、ダブル680)

『ほそつじいへえ TEA HOUSE supported by MLESNA』オープン | 伊兵衛日記(祇園四条)
究極のパンケーキ(1470)

pollo(松屋町)
オリジナルパンケーキ(トッピング3種600) 

 

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polloバレンタインパンケーキ(850)

HONOLULU COFFEE(大阪)
コナコーヒークリームパンケーキ(900)

ポルコ|なんばパークス -NAMBA PARKS-(難波)
PORCO プレーンパンケーキ(680)

Matilda|マチルダ|西宮(西宮北口)
バナナショコラパンケーキ(1080) 

 

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【丸福珈琲店】公式ホームページ(阿倍野、梅田)
特製ホットケーキ(588)

MARUFUJI CAFE(天王寺)
米粉と豆乳の抹茶パンケーキ(930)

Micasadeco&Cafe(難波)
リコッタチーズパンケーキ(900)
ココナッツカスタードのパンケーキ(1050)

 

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三日月氷菓店(柏)
練乳で食べるパンケーキ(700)

味季屋本店(※閉店)(平野)
和菓子屋さんのパンケーキ

モエナカフェ MOENACAFE(※河原町店は閉店)
シナモンロールパンケーキ(1100)

mog(京橋、難波)
クラシック・バターミルクパンケーキ(650) 

 

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mogスペシャルパンケーキ(950)

パンケーキとかき氷だけじゃない「雪ノ下」(梅田)

ココアチョコの黒いパンケーキ(700)

国産レモンのパンケーキ(700)

四つ葉のクリームチーズ使用 チーズのパンケーキ(800) 

 

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雪ノ下練乳生地の白いパンケーキ(700)

雪ノ下森半抹茶使用のパンケーキ(700)
雪ノ下蜜柑蜂蜜とバターのパンケーキ(600)
雪ノ下林檎コンポート 発酵バターと(800) 

 

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雪ノ下鹿児島産安納芋のモンブラン仕立て(800)
雪ノ下静岡産紅ほっぺ(900)
雪ノ下岩手産かぼちゃ(900)

パンケーキが人気の名古屋 名駅4丁目のカフェ | Light Cafe スパイラルタワーズ店(名古屋)
アップルティーのパンケーキセット(1500)

“好きだから言えなかった”を言うために。

障害競走を愛好するようになって、より強くなったこだわりがある。
放馬落馬空馬を笑ったりネタにするひととは、私は分かり合えない。
馬や騎手や関係者を訳知り顔に否定批判したり、罵倒するひととも。
ギャンブルであり娯楽である競馬にそういう見かたがあり関わりかたがあるのもまた現実で、温度差のある相容れないひととは、棲み分けをすればいいだけのお話。

とはいえ、いつも何かに対して怒っている人間にはなりたくない。
相容れぬものにわざわざ目くじらを立てる人間にも、いつも正論しか言わない面白みのない人間にもなりたくはない。
私にだって、なぜなにどうしてと感情で言いたくなることはあるし、あーあとため息をついたり、ヘタうったなぁと笑い飛ばしたいことだってある。
と思っているのに、大好きな競馬に真面目になればなるほど、どこか狭量になっていく自分がいる。
好きなことや嬉しいことと正比例して、嫌だなと感じることや許せないと思うこともそれなりにできてくる。
そのとき、ふと心が頑なになる瞬間がある。

何かを好きになる、真剣に取り組むということは、ときに対象を神聖化・聖域化することなのかも知れない。
好きなものを信じようとするあまり、疑念が生じたときに何も言えなくなってしまったりすることがあるのだ。
対象のファンである前に競馬ファンであるというフラットな立場で語りたいのに、肯定しかできない信者になってしまったりすることが。
自分で思っている以上に、他ならぬ自分の信念に、自分の言動が縛られる場面に出くわすようになってきた。
疑念を打ち消して肯定するためにポジティブな材料探しをしたりする。
外側にいる自分たちは内側から知らされたことを受け入れ、見えることから紐解くしかないのだから、そのうえで思ったこと感じたことを忌憚なく言えばいいだけのことなのに。
それくらいの権利は与えられているとも思うのに。

たとえば今年の新潟ジャンプステークス
アップトゥデイトはなぜわざわざ夏の新潟へ行くんだろう」
「厩舎のメモリアル達成のためもあるのかな」
「だとしたら、ちょっと心配だな」
とは、どうしても言えなかった。
信じているものを信じつづけるために、それ以上の意味と意義を結果から見出したかった。
しかし杞憂は現実のものとなり、結果は伴わず、自分の想いを偽ったことに後ろめたさを覚えた。
まずは愛すべき馬と陣営に。
そして、いつも私の話を聞くとはなしに聞いてくれる、誰ともつかぬひとたちに謝りたい気持ちになった。
本音を言えば心配で不安で、私はこの遠征には心から賛同できなかったのです。
後出しでごめんなさい、と。

好きとはなんだろうか。
信じるとはどういうことだろうか。
愛ゆえに自分の気持ちをごまかしたり、口をつぐんですべてを肯定するというのはただの盲信ではないだろうか。
自分の想う対象にだって間違うことや失敗することはある。
たとえ最善、最良の選択をしたからといって、必ずしも努力や健闘が報われるわけではない。
だからこそ目が離せないのだ。
明確な正解のない世界で、勝つために、目的のために邁進する彼らを応援している。
応援とは決して、ただただ肯定しつづけることではない。
間違いや失敗そのものがいけないことなのではなく、大切なのはそうした時にどんな姿勢で見守っていくのか。
思い感じるままに受け入れること。
心を偽らないこと。
想いを吐露するときは感情的にならないこと。
自分は分かっているんだと過信しないこと。
ただの価値観の押しつけになってしまうから。
先ほど述べた“狭量な厄介さん”になってしまわないために。
自分自身の心には正直に、他者には寛大に、言動には責任を持つこと。

自分を不自由たらしめるのは自分。
強すぎるこだわりはときに自分を縛り、頑なにし、他を排する。
趣味とは、競馬とは、もっと自由で楽しいものだ。
なぜなにどうしてと喜怒哀楽を語ることもまた、ファンの楽しみであり、競馬の醍醐味のひとつなのだから。

アップトゥデイト、真価を問われた二戦目。阪神ジャンプステークス

新潟ジャンプステークスから予定外の連戦。
アップトゥデイトは大外枠から単騎逃げて自らレースを引っ張ったが、道中じりじりと差を詰めてきたニホンピロバロンに捕まり、最後の直線における叩き合いで惜しくも競り落とされた。
わずかに半馬身及ばなかった。

なぜ新潟を使ったのか。
どうしてあんなにも、何もできずに負けてしまったのか。
競馬においてはタラレバも否定批判もしないというのが信条ではあるが、内心では疑問と不安とを覚えずにはいられなかった。
コースが不得手だったからという以前の負け方だと感じたし、パドック気配からしてすでにこれまでとは様子が違っていた。
それが体調や調整等の問題だったかどうかは知る由もないが、あの不可解な敗戦があったからこそ急遽阪神ジャンプステークスを使うこととなったのだろう。
とはいえ叩き二戦目で軌道修正をかけようという陣営の判断を信じて見守るのみ。
襷を含む阪神の障害コースは決して不得手ではない。
実績もある。
むしろ前走よりもぐっと有利になるはずだ。
相手は強いけれど…

細かいことを挙げていけばきりがない。
まずスタートで一瞬つまづきを見せる。
不安こそ感じさせはしないが、全盛期に比べるとやや精細を欠いた飛越。
大きくリードをとるも早い段階で距離を縮められる。
ところどころちぐはぐとしたレース運びで、並みの馬ならばリズムを欠き著しく消耗して、最後の直線にさしかかるかというところで馬群に飲み込まれていたに違いない。
しかし、彼はやはり、障害王だったのだ。
自ら先陣を切り、途中後続に詰め寄られながらも凌ぎ、内に秘めた闘争心を剥き出しにしてニホンピロバロンに食らいつくアップトゥデイトに新たな一面を見た。
初めて見る顔だった。
勝負根性というよりも本能、執念と言い表したい。
この馬本来の競馬をさせねば、この馬にふさわしい結果を出さねばというジョッキーの矜持もあったのだろう。
鞍上の意図を汲み叱咤に応える障害王者の気迫を見せつけられたのだった。
わずかに半馬身及ばなかったのは、相手がニホンピロバロン高田潤騎手だったからだ。
彼らでなければ押し切っていたに違いない。
斤量差も味方しただろうが、あれで七分の出来だったというのだからとんでもなく強い。
文字通り、勝った人馬に敗れたのだ。
高田騎手はこのレースをもって同一重賞7年連続連対および4連覇という大記録をうち立てた。

ライバルのレース運びは終始スムーズで完璧だった。
まさにはかったように差し切られてしまったわけだが、敗因は明確なのでこの半馬身の差をつめることは充分に可能だ。
中山大障害はさらにタフな戦いとなるのだから。
敗因という意味では、“この馬はこういうときにこうして負ける”という敗戦パターンが目に見えてはっきりと分かった新潟参戦にも収穫はあったと思っている。
何より、前走との違いは一目瞭然。
良い意味でそわそわと物見をし、パドックめいっぱい外側を元気いっぱいに周回する様子を見て「ああ、今日は大丈夫」とようやく胸をなでおろせたのだった。
マイペースな天才肌というイメージをずっと抱いていたが、アップトゥデイトは我々が思っている以上に、気持ちで走る馬なのかも知れない。


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佐藤哲三元騎手の引退表明から二年。

月日の流れとはおそろしく早いものだ。
「ご本人が諦めるまでは、諦めない」
「語られるまで、進退について推し量らない」
信じて待つだけ。
心の奥底では薄々分かっていたけれど考えたくはなかったことを、
「どんな結末になっても受け入れる」
という覚悟をもって過ごしていた日々に、ついに終止符が打たれた一日だった。
夢の終わりはつらく悲しく淋しいものだった。
いつかは必ずおとずれる日が思っていたより早くきてしまったことに、ただただ涙がこみあげるばかりだった。
あれほど強く激しくひたむきに競馬を愛したジョッキーが志半ばで夢を諦めなければならない。
ダービーを勝ちたい。
有馬記念を勝ちたい。
ドバイへ行きたい。
もう一度凱旋門賞へ行きたい…
それらすべてはファンの夢でもあった。
無念としかいいようがなかった。

当人は思いのほか前向きで、競馬評論家、大山ヒルズの騎乗技術アドバイザー職を筆頭に、イベントに予想に配信活動にと寝る間もないほどで、勝負師時代には知り得なかった優しく明るい顔を見せるようになったことはもう言わずもがな。
(もちろん未練や悔しさを滲ませるシーンも時にはあり、それらを見聞きしたくて目耳を傾けていた向きもある)
ツイッターのアカウントもとり競馬ファンとの交流も楽しまれている様子。
実は私もオンオフで数回やりとりをさせていただいたことがあり、これまで競馬場で見ていたのはあくまで“騎手佐藤哲三”であり、競馬から離れた生身の“佐藤哲三さん”はこうして今も昔からも実在していたのだと実感するに至ったのだった。

これからも変わらず、ずっと応援しつづける。
同じ競馬ファンという立場で見て感じて考えて、理解しようとしていたい。
分かりうることを分かっていたい。
その想いのもと、彼の信念に添おうとしていたのが、夢を失って一年目の心境だった。
我ながら“イレ込んでいた”のだと思う。
忘れるまい、変わるまいと必死だった。
行き場のなくなった想いは執着として残った。

あるとき哲三さんはそんな私に「まだまだ。もっと勉強しなさい」とおっしゃった(※要約)。
拘泥と執着から離れて視野を広げ、客観的に物事を見るように。
もっと競馬そのものを自由に楽しむようにと諭してくださったのだろう。
憧れと敬愛の対象を神にしてはいけないし、神をあがめる崇拝者になってもいけないよと。
具体的な真意は語られなかったが私はそのように受けとっている。
いや、解釈しなおした。
思えばそれまでは彼の視点と感性を共有したいと気負うあまり、できもしないことを成し遂げようと無我夢中だった。
思いあがりといわずしてなんと云おう。
私は私自身の目で見て、耳で聴いて、心で考え感じることしかできないというのに。

始まりは憧れだった。
憧れが敬愛となり、敬愛がやがて執着となり、その執着の先には何が残るのか。
二度目の季節はそのことを考え感じるための期間だった。
ひとつの夢と青春が終わり、流れゆく月日の中で、忘れるまい変わるまいと頑なにあらがいつづけた。
途方もなくゆるやかで長い二年間だった。
憧れと敬愛、執着の果てにたどりついたのは自由と解放だった。
そして数え切れないほどの思い出が残った。
すべての始まり、あの秋華賞からじつに八年の月日が流れようとしている。
あのプロヴィナージュが仔を産んで母となり、アーネストリーエスポワールシチー種牡馬となった。
時代が変わり、世代が変わり、世界が変わり、そうして自分自身が変わる。
変化とは人生における必然だ。
執着の薄らぎは依存からの自立であり、変わることは成長と前進だとようやく気づけたのだった。

変わらない想いは今も心の中にある。
過去に抱いた想いそのものは決して変わらない。
それらを思い出として取り出してきたとき、懐かしみ回顧し、考え感じることもまた同様。
その思い出さえも幾度もの脳内補正をうけてかたちを変えてゆくものではあるが、思い出をかたち作る事実は決して変わらない。
佐藤哲三元騎手”と“佐藤哲三さん”を想うとき、私の心の根幹にあるのは今もやはり憧れと敬愛の念なのだ。
ゆえに今後のさらなるご活躍を願ってやまない。