うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

新潟ジャンプS まさかの大敗。アップトゥデイトに見た変化

障害競走にグレード制が導入されて以降、J・G1馬の新潟重賞への参戦は史上初。
今年度の初動をまさかの敗戦で迎え、続く中山グランドジャンプを骨瘤により回避。
そんなアップトゥデイト陣営が満を持して復帰戦に選んだのが新潟ジャンプステークスだった。
あえて挑戦するからには新潟の地に積ませたい経験とつかみたい手応えがあったのだろう。連覇のかかる中山大障害へ向けて。
そう信じている。疑いはない。
平地力はあるが平坦コースが決して得意なわけではない。
障害はオール竹柵。
襷もバンケットもない。
すべてが芝。
今思えばそうだったのだ。
もちろん新潟という可能性が現実味を帯びたときから考えていないわけではなかった。
しかし次走を思い描いていた時点では、細かい条件を問うような馬ではないというゆるぎない信頼と確信があった。
盲信といっていいかも知れない。

結果は大敗。
レースは終始3番手からスムーズにすすめたタイセイドリームが押し切って大金星。
後方から終盤追い込んだアロヒラニが2着。
3着には前年度の覇者ティリアンパープルが入線。
アップトゥデイト掲示板をも外した。
中団以降から内々を追走するもエンジンがかからず、ついに見せ場もなく8着に終わった。

スタートが決まらなかった瞬間から予感はあった。
それでも、どこかで必ずと見守っていても、位置取りはいっこうに変わらない。
決してまずいわけではない。しかし跨ぐような飛越。
以前のように体全体を使って弾むような躍動感を見いだせなかった。
どうひいき目に見ても重そうに走っていたのだ。
絶頂にあった頃と見比べているからだろうか。
それもあるかも知れない。
別段まずくはないのに、どうしてこんなにも、小さくまとまってしまっているのだろう…
ただ言えることは、これは新潟うんぬんの問題ではない。 
わからないのだ。主戦の林騎手がコメントしている以上のことは。

「出負けはしたが、この馬がこんなにハミを取らないのも珍しい」
「ケガではないと思うけど、こんなに負けた原因がわからない」

障害競走はいかに自分たちのかたちで競馬できるかが勝敗を分ける鍵となる。
鞍上から出負けという言葉が出ているということは不本意に控えざるをえなかった、出していけなかった、ということだろう。 
いつにない位置取りに戸惑い、リズムを欠き、気分を損ねてしまったのだろうか。
アップトゥデイトはジョッキーの懸命なステッキにも反応せず、ようやく馬体を外へ持ち出せた最後の直線でも伸びあぐねた。

競馬が勝ち負けを競うレースである以上、勝者にも敗者にも等しく、その着順に到達した何かしらの理由がある。
しかし部外者、私のようなただ見ているだけの人間が何かに敗因を求めて羅列したところでただただ言い訳がましくなるだけだ。
負けたことを何かにこじつけて肯定はしたくはない。否定もしたくない。
だからここからはただただ主観で感じたことをいう。
誤解を恐れずにいうならば、
「彼は大人になったのかも知れない」と私は感じた。 
パドックでの様子を思い起こす。
あんなにも物見が激しく、慎重でせわしなかった彼が終始落ち着いて周回していたことを。
別馬を見ているかのようにおとなしく曳き手に従って歩いていたのだ。
まるで剥き出しの警戒心、あるいは闘争心、あるいは好奇心の一角が削れてとれたような。
尖っていたものが磨かれて丸くおさまったような。
ひとはそれを成長、成熟と呼ぶのではないだろうか。
春から不本意な流れが続いた。
思いがけない乗り替わり、敗戦、故障、長期にわたる休養。
不運と我慢の続いた月日が無邪気だった少年をやがて大人の男に変えたのではないだろうかと。

もちろんこれは勝手な想像でしかない。
個人が見えている部分だけを見聞きして感じたことでしかない。
加齢と成熟を敗因にあげるような意図もない。
精神的に成長してなお強さを増した馬だってごまんといるからだ。
ただパドックで再会したアップトゥデイトの静かな瞳を目の当たりにして、どうやら彼は変わった、とだけ強く感じた。
今までの彼とは違うと感じたとき、よぎったのは期待ではなく不安だった。
それでも信じて託した。馬券を買った。
盲信であり過信だったのだろう。
でもそんなことは当たり前なのだ。ずっと思い入れて応援してきたのだから。

アップトゥデイトは故障を克服し、厳しい調教に耐え、レースを終えて無事に帰ってきた。本当はそれだけでいいのだ。
しかし時として期待が過ぎて、ふと初心を置き去りにしてしまう瞬間がある。
期待に舞い上がっていたそんなとき、メインレースより数時間前、パドックすぐ隣の馬頭観音に手を合わせる佐々木師の姿を偶然見かけた。
長いあいだ拝んでいたらしい様子に、馬に携わる人間がまず一番に祈ることは無事にほかならないのだと実感するとともに、私もまた初心を取り戻すことができた。
勝ちを観にきたのではない。
ただ好きだから応援しに、好きな馬の無事を見届けにきたのだと。
回ってくればそれでいいだなんて、最優秀障害馬にかける言葉としてはふさわしくないのかも知れない。
しかし出走するすべての馬に勝利をつかむ権利とチャンスが与えられているように、これが競馬でレースである以上、敗者となる可能性と失敗をおかすリスクも平等にもたらされる。
今回思いもよらぬかたちで敗戦を喫したことで想いはより深まった。
ただ信じて見送って、結果を受け入れよう。
負けを嘆くよりも無事を喜ぼう、これからもずっと見守っていこう。
あのとき何が起きてなぜ負けてしまったのか。
本当に歯車が噛み合わなくなってしまったのか、一時的な低迷なのか、それとも成長と復活を遂げてさらなる新天地へとたどり着けるのか。
すべての疑問に対する答えはこれからの競走生活の中で明かされてゆくはずだ。
障害馬は比較的高齢でも活躍できるとはいえ、体質のことなど鑑みるに、残された時間はおそらくそれほど長くはない。
最後のときまでファンとして彼の成長と戦いの年月に添っていようと思う。


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メイショウアラワシ勇躍の夏。小倉サマージャンプ

小倉サマージャンプを観に行ってきた。
一年ぶり二度目。
小倉競馬場というハコを私はとても好きで、何かしら目的を作ってはほぼ毎年のように出かけている。
タムロスカイが出走する小倉記念を観に。
負傷療養中の佐藤哲三騎手(当時)の近況報告を聴きに。
一年あいて、アップトゥデイトの小倉サマージャンプを応援しに。
そして今年は、メイショウアラワシを応援しに。
以前述べたようにこのメイショウアラワシという馬を私は縁あって応援していて、本当は応援幕のひとつも作って出したいところなのだが、今後の重賞なり暮れの大一番なりでいま幕を出しているアップトゥデイトとの二択を迫られたときに頭が割れるほど悩むことうけあいなのであえて自重している。
いいのだ、すべてのメイショウ馬を応援する素敵な幕が出ていたし、今後も出るだろうから…。

オープン戦を勝って臨んだペガサスジャンプステークスは4着。
前走で大障害コースの一部を経験し入念なスクーリングを経て挑んだ中山グランドジャンプを3着。
よくいえば堅実で大崩れしない、しかし、もうひといき勝ちきれない…
そんな彼が主役に躍り出る最大の好機がやってきた。
今春のJG・1馬オジュウチョウサンは放牧。
アップトゥデイトは新潟。
サナシオンは秋の東京か大障害に直行。
ニホンピロバロンもおそらく秋からの始動。
そう、王者不在の重賞なのだ。
ここを予定していた馬で次走報がアナウンスされたのは、私が把握している限りでは長い休養から復帰するマキオボーラーのみだった。
千載一遇のチャンス。
相手は休み明けのマキオボーラーだ…

と算段していたら緊急事態が発生した。
主戦の森一馬騎手が開催中に負傷してしまったのだ。
レースまであと一週間。
軽症でなおかつ来週の騎乗が可能であることを祈るより他なかったが、月曜の時点での想定は空白。 
では誰が乗るのか、元の主戦である植野貴也騎手にはクリノダイコクテンというお手馬がいるので望み薄い…とやきもきしていたら、水曜日の調教には高田潤騎手がまたがっている。
なるほどそうきたか。
得心するとともに感心し、同時にデジャヴも覚えていた。
アップトゥデイトのときに感じた代打騎乗にまつわるあれこれを、まさかこの馬でも味わうことになろうとは。
調教の段階から厩舎サイドと主戦騎手と馬とが三位一体となって実戦へ向かう障害競走において、乗り替わりはまさに致命。
しかしレースの特性上、落馬のリスクがより高いがゆえに致命となりうる乗り替わりは珍しいことでもないという矛盾と難しさ。
乗せて走る馬も、携わるスタッフも、障害騎手も、三者三様におそらくそういう怖さをもって臨むことになると思われる。
とはいえ小倉巧者の高田騎手。
よくぞ身体が空いていたものだ。
アラワシについても、こと障害競走においては乗り手を問う馬ではないイメージ。
森騎手も幸い軽症だったようで、今回の結果がどうあれ高田騎手にはニホンピロバロンがいるので、すべてが順調ならば今後はすんなりと元鞘におさまることだろう。
そんな先々のことを皮算用しつつ、いよいよ勝負のときがおとずれた。

 

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淡々と周回するメイショウアラワシ。
なかなかに味のある顔をしていて、彫りの深い二枚目半だと思っている。

 

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軽く鼻面を撫でていたところを撮り逃す…
この馬に限らず、師は管理馬とジョッキーをいつもさりげなく送り出す。

 

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ジョッキーが騎乗して気合が乗ってくる。

相手はやはりマキオボーラーだった。
いやマキオボーラーの相手がメイショウアラワシだった。
中段に位置どり徐々に押し上げ終盤にかけてしぶとく脚を伸ばす最善の競馬をもってしても、果敢に逃げた勝ち馬をついにとらえることができなかった。
着差じつに7馬身。完敗だった。
半信半疑。
侮っていた。
長期休養明けでああまで以前の実力そのまま、力通りに走るとは思わなかったのだ。
素養と質で跳ぶ障害競走においては備わった能力が心身の状態(おそらく多少なりともあったであろう不安要素)を大幅にカバーしうるのだろうか。
お手馬を知り尽くした障害騎手の機知とパートナーを信じる勇気、それに応えうる障害馬の力強さをあらためて思い知らされたのだった。

 

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人馬ともに嬉しい重賞初制覇となったマキオボーラーと平沢健治騎手。
ハードな調教にたえられたのもすごいの一言。
見事な逃げ切り勝ちだった。

ペガサス4、
グランドジャンプ3、
そしてサマージャンプ2。
本当に、こういっては何だが、一段ずつというのが実にこの馬らしい。
「火曜日に頼まれて水曜日にまたがった」という高田騎手が限られた時間と機会の中で当馬の特徴をつかみ素晴らしいエスコートをしてくれた。
「トモが緩く左右に流れるところがあるが、飛越がうまく、すごい素質を秘めている(要約)」との力強いコメントもいただいた。
急な乗り替わりについてはただただ残念という気持ちが強かったのだが、違うジョッキーがまたがってみて、それにともなう意見も聞くことができて、漠然とではあるものの違った角度から新たな面が見えたような感覚もあり、今ある中で最善の結果に至ったのだなぁというのが偽らざる気持ち。
これはもう、次こそは一着しかないだろう。
もしかして新潟にも来るかも…と期待していたら早々と放牧に出たようなので、大障害へ向けてどんなローテーションを組んでくるのか楽しみに待ちたい。
見たいのだ。アップトゥデイトとその陣営とはまた違った景色を、勝ち負けに至る過程を、信念のかたちを。 

メイショウアラワシ号とその陣営を、心から応援している。

船旅のすすめ

旅と競馬は相性がいい。
目的地と開催スケジュールがあらかじめ決まっているので予定が立てやすい。
予算と都合にあわせて好みの交通手段を選べるのがいい。
定番の新幹線から高速バス、LCCに夜間急行に寝台特急
試せるかぎり乗ってきた私が中でも一番好きな移動手段がある。
それがフェリー。
小倉へ行くときにしか利用できないレアな乗り物だ。
フェリーに乗る楽しみが含まれているから小倉競馬場が好きなのかもしれない。逆説的に。 

 

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大阪南港フェリーターミナルにて。
乗船前からすでに情緒たっぷり。 

 

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利用するのは名門大洋フェリー。行先は新門司港
(ちなみに阪九フェリーで神戸、泉大津からのアクセスも可能)

 

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今夜お世話になる寝床。
6000円少し(インターネット予約割引適応)で個室スペースが確約される。
掛け敷き布団枕にスリッパ、コンセントと照明、カーテン仕切り付き。
レディースルーム(予約時に空きがあれば同額で指定できる)だとさらにバスタオルがつき、部屋ごとに暗唱キーによる施錠が可能に。
バスタオルが備え付けてあるということは、大浴場があるということ。
大海原を眺めながら湯船につかってサッパリ汗を流すのも一興。
(新造船ならいつでも利用可のシャワールームにパウダールームもある)

 

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夜の明石海峡大橋をのぞむ。
この航路では3つの橋の下を潜る。
おおよその通過時刻がアナウンスされているので、見比べてみたり写真を撮ったりするのも楽しい。
もちろんデッキにも出られるし、わざわざ外へ出なくとも展望ラウンジで一杯やりながら…というのもいい。

この他にも船内にはバイキングレストラン、売店、自販機、コインロッカー、ゲームコーナー等、一晩を快適に過ごすための充分な設備が整っている。
移動時間としてはおそらく最長。
だけど、

気兼ねなくご飯を食べて風呂に入って足を伸ばして朝までぐっすり眠れる、そしてゆっくり身支度ができる!

ストレスほぼフリー!

体にも財布にも優しい!

というのが船旅の魅力。
船=船酔いのイメージが根強そうではあるものの、穏やかな瀬戸内海をゆく大型客船なのでそれほど揺れは感じない。個人的には。

なので関西、特に大阪近辺在住の、小倉遠征を検討している・するかもしれない競馬ファン同志には「こういう素敵な旅程もありますよ」とプレゼンをしてみたく筆をとった次第。
もちろん早く行くなら飛行機か新幹線最強なのだけれど、過程も楽しむのならあえて時間をかけて行くのもありかと。ある程度時間の都合がつくならば。

 

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 一晩経って、

 

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船上で迎える夜明け。 

 

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こちらは朝の顔(※復路より)。

翌朝に新門司港へ到着、速やかに下船すれば無料送迎バスで小倉駅まで乗せて行ってもらえる。
そこからただちにモノレールで小倉競馬場へ向かっても朝いちレースのパドックには間に合ってしまう。
帰りも小倉駅から無料送迎バスに乗って新門司港へ向かえばいい。
乗る便にもよるが2便なら最終レースまで遊んでも差し支えない。
あまりに至れり尽くせりすぎて、これは小倉で競馬するために存在する船なのではないか説が私の中ではアツい(多少の時間の調整は必要になってくるけれど)。

そういうわけで、小倉へ向かうときはできる限りフェリーに乗る。
ほんとうに、日本全国どこへでも船で行けたらいいのに。
(新潟や北海道へは航路がないこともないが、敦賀舞鶴まで出なければならないうえ時間と曜日の兼ね合いがうまくいかない。残念!)

 

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最後に乗り物おまけ。
小倉といえばモノレール。
ラッピング車両に遭遇できたのと、ICカード(私は関西人なのでICOCA)で改札パスできるようになっていたのがさりげない感動だった。
来年もぜひ乗りたい。乗ろう。

ホウライアキコ入障。才能に二度出会う。

西の夏競馬開催を告げる7月最終週。
小倉サマージャンプが行われるまさにその数時間前、もうひとつのメインレースが静かな注目を集めていた。
どうか止まらないでと、きっと見守る誰もが祈っていたであろう障害未勝利戦。
かつての小倉2歳ステークス覇者は小倉の地で鮮やかに返り咲いた。
 
ホウライアキコ、障害デビュー。
悩める重賞ウイナーの次走を示唆するニュースは瞬く間に広がり、ほどなく障害試験を94秒5という破格の走破時計をもってクリアしたことはさらに大きな話題を呼んだ。
重賞を2つも勝っている5歳牝馬の進路としては極めて珍しく、その理由を「試しに障害を飛ばせてみたら抜群にうまかった」とトレーナーが話したというのだから、ハードル界に久々の女傑誕生かといやがうえにも期待は高まった。
またスプリンターとしての彼女を知る競馬ファンの間では賛否両論が入り混じった。
いつのときも入障をめぐる声というのは、そう変わるものではない。
 
障害競走に新馬戦が設けられていない以上、来た方向を転換しての未勝利戦からしか参戦の道はない。
そのためには厩舎の方針とノウハウ(調教に参加可能な障害騎手の存在と常日頃からの信頼関係)、可能性を見抜く目、そして何より前へと進む勇気が必要。
もちろん調教と実戦は別物なので、レースへ行くのはほとんど賭けに近いと思われる。
困難な状況下にあってなお、ひとが馬を信じたからこそ私たちは新たな才能に出会えるのだ。
 
かくしてホウライアキコは二度、再び才能の花を開かせた。
平地競走で見せた天性のスピードそのままに繰り出される流麗な飛越。
追跡者に影すら踏ませず、ついには7馬身差の逃亡Vで魅せたのだった。
手綱をとったのは先日1000勝を達成した平障二刀流の大ベテラン、熊沢重文騎手。
勝者たちが帰還した瞬間、ウイナーズ・サークルは興奮とあたたかな祝福にわいた。
 

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課題も見えた。
初障害ということもあり、後半にやや危うさを感じさせた飛越の質とスタミナ面の懸念だ。
レースグレードが上がれば距離も延びる。
が、これらは経験を積むことによって、鞍上とのコンタクトによっても改善していけるだろう。
私が目の前で観ていて一番感じたのは、彼女自身のありあまるセンスとこれからへ向けての可能性だった。
走るごとに、飛ぶごとに、きっとうまくなる。
確信というよりも、そうなってほしいという願望だった。
この恐るべき才能にふたたび出会えた驚きと喜びとときめき、さらなる進化を見守っていけることへの感謝の念に他ならなかった。

入障は決して嘆かわしいことではない。
リスクは確かに高い。
不安で怖くて心配で、ひとによってはあまり喜ばしいことではないと感じるかも知れない。
しかし戦い抜いて生き残ってほしい、願わくばもう一度輝いてほしいという、馬に携わるひとびとの切なる希望であり可能性のひとつとしてあるのが障害競走なのだと思う。
障害未勝利戦は、いわば、二度目のメイクデビューなのだ。
馬を信じた陣営を、馬に携わるひとびとを、勇気ある決断を、そして何よりも馬自身を。
いち競馬ファンとして私は信じて託したい。

この道を選ぶ人馬の無事と成功を心から祈り、これからの活躍を楽しみにしている。

競馬に出会ったら人生が変わりました

競馬に出会う前、私は何をしていただろう。
まだ世界が小さな箱庭だった頃の、それほど遠くもない少し過去の話をしてみようと思う。

二十代半ばを過ぎたとき、私はある大失敗をやらかした。
罪を犯しただとか物理的、法的に他人様に過失を与えたとかでは決してなく、しょうもない自爆だったとだけ言っておく。
世界も人間も自分でさえも好きになれず、何ものにもなれずにいた私の人生はわずか四半世紀と少しで大いに詰んだ。
あとには絶望しか残らなかった抜け殻の私を迎え入れてくれたのは家族だった。
かくして実家で再起を図ることとなったのだが、心は壊れかかっていた。
が、しかるべき医療機関で診てもらった結果、異状はまったく認められなかった。我ながら頑丈なことだ。
カウンセリングにも少し通ったがすぐにやめた。話したい相手はカウンセラーではなかった。
家族や周りの人間は「がんばって元の私に戻って」と口に出しこそしないが、そう願っていたであろうことは無言のプレッシャーとして伝わってきて、それがしばしば私を追いつめ苛立たせた。
元の私とは何ぞや。
今の私も私なのに。
がんばれって、がんばりすぎてこうなったのに、これ以上まだ何をがんばれというのか。
やっぱり誰も何もわかってくれない…

間違うこと失敗することを極度に恐れ、友達にも家族にも誰にも苦境を打ち明けることができずに、限界を超えて抱え込んだものが積もりに積もったすえの自爆だった。
全てをリセットして原点回帰した今も私は誰にも何も、希望はおろか不平不満でさえ口にすることができない。
この世のあらゆるすべてに対して後ろめたく、絶望を超えて自己嫌悪の念に苛まれた。
そんな月日がしばし続き、その間していたことといえば、就職活動のちに仕事を除いては、ゲームと二次創作だった。
子どもの頃から続けてきた唯一の趣味だった。
ロールプレイングゲームの中の登場人物と物語に没頭し、劇中で語られなかったあれやこれやを夢想し、推し量って文章に落とし込む手遊び。
これがあれば自分は見たいものを見て、したいことをして、何かを感じ考えながら生きていられると思っていた。
それらをとても愛していたことは事実だったが、現実逃避に他ならなかった。
手の中の完成された箱庭がその頃の世界の大半だった。
競馬に出会うまでは。

運命の瞬間はあっさりとおとずれた。
誰も何も好きではなかった私が、私を分かってくれないと思っていた家族の導きと手ほどきを受けて馬券を買った。
談義に談義を重ね予想をした時間の長さに比べて、実際のレース時間のなんと短いことか。
駿馬たちは一瞬の風のように走り抜けていった。
自分の胸の内にぽっかりと開いていた穴を埋めるように。
それは今までに感じたことのない衝撃だった。
私が競馬とは予想とは何たるかをよく分からないままに賭けた金と数字の向こう側に生き物がいる。
馬とひとが共に生きて呼吸を合わせて、広大な馬場を命がけで駆けている。
そのさまに圧倒され、世界の広さ大きさと美しさを知った。
なんて綺麗なんだろう。
そうか、世界とは命そのものなんだ。だからこんなにも美しいんだ、と。
なんともいえないすがすがしい感情で胸がいっぱいになって、誰も何も自分さえも好きではなかったけれど、何をどうがんばるかなんて分からないけれど、先行きが見えるわけではないけれど。
もうちょっとだけ生きながらえてこの美しい世界の続きを見ていたい、と心から思った。
完結された手遊びの小さな箱庭から、自分以外の誰か何かがいる広い世界へと足を踏み出してみようと思えた。
きっと勇気が要るけれど、私には家族も友達もいるのだから。

世界を知りたい、ひとを知りたい、自分自身を知りたい。
どこかへ行きたい。
本当はずっと願っていたのに、私を抑圧していたのは他ならぬ自分自身の陰だった。
私が自分自身を分かっていないのに、ひとに自分というものを分かってもらえるわけがない。
まずは私が自分自身を理解し、自己否定の念を解き、そのうえで自分自身を認め許すところからはじめなければならなかったのだ。

競馬との出会いは我が人生における大きなターニングポイントとなった。
引け目と負い目しかなくうまく対話すらできなくなっていた家族とのやりとりは必然的に増えたし、予想と馬券を通じて間違うこと失敗することなど何ということもない些細なことだと知ることができた。
競馬場へ足しげく通うようになった。
馬とひとの姿に、まずは自分以外の誰か何かに託す夢を見出すようになった。
したいことや行きたい場所が次から次へとでき、次第にそれが自分自身の夢や目標になった。
小さなカメラを持つようになった。
ひととの出会いにも恵まれた。
拙いながらも他者に思いの丈をぶつけることも、できるようになっていった。

競馬が好き、馬が好き、馬に携わるひとが好き、競馬を愛するひとが好き。
家族が好き、ひとが好き。
そんな自分をちょっと好きになれた気がした。
道のりはまだまだ長いけれど。
私自身が心を開いて物事に向き合っていける限り、これからも縁や喜び楽しみの連鎖は続いていくことだろう。
だからこそどんな苦境にも立ち向かっていけると今ならば確信できる。

かつての私が執着したあの小さな箱庭は、今も胸の奥底にしまってある。
情熱が褪せても、心を割く時間や労力が次第にすり減っていっても、愛着ゆえに捨てることはできなかった。
これまでの自分自身そのものだからだ。
作られた世界であれ、手遊びの真似事であれ、幼く若かった私に夢と安らぎを与え続けてくれたことに何ら変わりはない。
いったん蓋を閉めたのは、同時にふたつ以上のものに傾倒できない自らの不器用さゆえだった。
いつの間にか心を割く比重が逆転していたのだ。
しかし、想像し表現することに対しひたむきにさせてくれたあの年月の積み重ねがあったからこそ、競馬というまったく異なるものを愛するようになった今もなおこうしてツイッターやブログというかたちで書くことそのものを続けている。
うまくいえるわけではないけれど、確実ではないけれど、私が誰かに何かを伝えるための最も好きな手段であり作業なのだ。

生涯現役でいたいと思ってはいるものの、人生何が起こるかは分からないものだし、あの箱庭を手放したときのように様々な事情から、いつの日か競馬を手放すときがいずれ来るのかもしれない。
しかし、捨てはしないだろう。
一度は愛したものだから。
捨てさえしなければ、ふたたび拾うことができる。
縁というつながりがあれば何度でも。
そういうものを、これからの人生の彩りとしていきたい。