うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

食わず嫌いの作法

いよいよ桜花賞だ。
今年もクラシックの季節が到来した。
ひとあし先にプロ野球ペナントレースも開幕した。
競馬も野球もどちらも大好きだ。
スポーツが好きだ。
馬も人も、勝利や達成を目指して闘うアスリートはかっこいい。

実は、少し前までは野球のどこが面白いのかがわからなかった。
投げて打って走るだけの競技になにを何時間もかけているのかが理解できなかった。
あの選手たちは大人数でいったい何をしていて、ファンがどこに面白さを見いだしているのかが単純に疑問だったのだ。
そんなナイター中継に子どものころはアニメやバラエティ番組、大人になってからは毎週欠かさず観ていたドラマをつぶされたり延長で押し出されるたびに「ああ、またか」と苦々しく感じていた。
あるとき本当に腹に据えかねて、つぶやきに洩らしてしまったことがある。
ほぼ延長することになるんだから住み分けしたらいいのにと。
諭されて冷静になって大人げなかったとすぐに猛省したが、「でも、私は間違ったことは言ってないよ…」という、モヤモヤとした気持ちはずっと晴れなかった。
人間、よくわからないものに対しては恐れを抱くものなのかもしれない。
怒りや不安を感じるものなのかもしれない。
だからとりあえず拒絶する。
自分はこれが嫌いだと心に決めておく。
すべては子どものころからの積み重ねだったのだ。

しかし私は、長らく嫌いだと信じて疑わなかった競馬を大好きになった。
この成功体験をもってすればどんなことも克服できるという自信が今はあった。
なぜ好きになれたのだろう?とふり返ってみたとき、競馬の魅力はさることながら、競馬というものを具体的に“知ること”ができたからだと思い至った。
知る前までは、知らないままにこれが嫌いなのだと頑なに思い込んでいた。
知ろうとしなかった。食わず嫌いだった。
物事を知るというのは自分の気持ちを紐解くこと、感情の正体をつきとめることでもある。
どうして嫌いだと思うんだろう?どうして腹が立つんだろう?
なにがわからないんだろう?ルールなのか、システムなのか、その周辺なのか?
なぜ野球の試合は長引くのか?9回表裏の中でいったいなにが起こっているのか?
ギャンブルって本当に悪いことなのか?競馬は賭博でしかないのか?
etc.etc.

知りたいという私の疑問に快く応えてくれたひとが身近にいてくれた。
これも大きな幸運だった。
競馬のときのようにナイターも一緒に観てくれた。
どちらも、もともと観ていたところに私が参加するようになっただけなのだが。
球種の見分け方がイマイチわからないとか今でも他愛もない質問を投げかけるが、無知を笑ったり責めたりもしてこないし、はじめてのときのように喜んで答えてくれる。
自分の好きなものを知ろうとしてくれるのが嬉しいのだそうだ。
その感覚は、競馬をおよそ十年見てきた私の中にもある。
自分の好きなものをひとと共有できるのはとても嬉しい。
たとえ細かいことはよくわからないうちでも、真剣に見ていると伝わってくるものはあるからだ。
これができるけどあれは苦手だというひとを、あれが得意だというひとがカバーする。
なんでも一人で全部できる人間なんていない。完璧な人間なんてどこにもいない。だから高めあってサポートしあう。
野球選手ってかっこいい、プロの職人集団なんだと初めてわかったとき、形は違えど一頭の競走馬とともに勝ち星を目指す競馬と同じだと自分なりに理解できたのだった。

とはいえ、不安定に延長するから腹立つというひとの気持ちも、ギャンブルなんて嫌いだというひとの言い分もわかる。
好く権利も、嫌う権利も、誰にだってある。
好きと嫌いのどちらも経験した私にはどちらの気持ちも理解できるというだけだ。
「ドラマ録り逃した!延長なんなの!」と怒ったときに「まあまあ」と諭してくれたひとの気持ちも今ならわかる。
この心の移り変わりは我ながら大きい。
だからといって他人に対してとやかくいう権利はないし、なにかを押しつけるつもりもない。
ちょっとだけ知ってみればもしかしたら嫌な気持ちが解消されるかもしれないよ…と、自らの経験を踏まえて独り言をつぶやくだけだ。

ちょっと一口つまみ食いしてみて、おいしかったらもうけもの。
やっぱりおいしくなかったら、口に合わなかったでいい。
ただ、つまみ食いにもマナーがある。
それを料理したひとも、おいしいというひともいる。
口に合わなかったからといってバンと席を立ち「これ嫌い!」と言い放ってしまうと、せっかくの宴席が気まずくなって、みんなおいしくなくなってしまうかも。
あと、食わないうちから嫌いだと罵っていると、いつか自分の言葉に追いつめられる日がやってくるかもしれない。

というわけで、ごめんなさい、競馬も野球も面白かったです。

わたしは拡散しません

拡散するのはアイスの新発売情報と好きな馬の近況と面白い読み物くらいでいい。

数の協力をあおいだり信を問うたり罪を告発する旨のリツイートを毎日のように目にするが、そういうやり方だったり肝心の内容だったりは、ほとんどはすすんで拡散したいと思うような内容じゃない。
信頼できる人間のあいだでやればいいのにと思う。
ネットで不特定多数へ向けて晒すというのが問題なのだ。
私怨だともっと問題。
要らないところまで飛び火する。
悪意を持った人間、面白がるだけの人間をも引き寄せるからだ。
そして悪意を持たない人間の強い善意と正義感が誰か何かを傷つけることもある。

切実ならば手段を選ばなくてもいいのか?
自分が正しければ間違いをおかした人間を攻撃してもいいのか?
罪をおかした人間ならば晒しものにしてもいいのか?
それはただの私刑で公開処刑だ。
そんな権利、いったいどこの誰にあるというのだろう。
めざましい発達に法が追いついていないというだけで、ネットはけっして無法地帯ではない。
無法地帯にしてはならない。
ありとあらゆる夢や可能性をちりばめた素晴らしい世界なのだから。

ネットは世界であると同時にツールだ。
そして言葉は力だ。画像もそう。
力も道具も使う人間の心持ち次第で善し悪しが決まる。
だからこそ、嫌いなものにはわざわざ関わらない、むやみに拡散しない、感情にまかせて無責任な発言はしない。
生半可に関わりを持ってしまえば、誰もがいとも簡単に被害者にも加害者にもなりうる。
何が真実かなんてどうせ人によってそれぞれ違うのだから、自らが培ってきた眼と良心に基づいて判断するしかないのだ。
自分の言葉で覚悟をもって語れないのならばそっと聞き流す。
関わらない勇気、受け流す胆力を持つこと。
わたしは拡散しません。

騎手が馬から降りるとき。春に残した未練の話

クラシックの季節がやってくるたびに思い出すことがある。
春に残したふたつの未練だ。
2010年、ショウリュウムーン桜花賞
チューリップ賞を快勝し有力馬の一角として、のちの三冠牝馬に挑んだ華の舞台。
最内枠からの位置取りに苦慮しながらも、抜け出したゴール前で確かな末脚を見せて4着に食い込んだ。
2011年、デボネア皐月賞
弥生賞で優先出走権を手にして挑み、前走をフロック視する低評価を覆しての4着入線。ダービーへの切符を掴みとった。
そして迎えた次走。
オークス、ダービーという夢の舞台へとパートナーを導いた佐藤哲三騎手は、その鞍上にはいなかった。

やむにやまれぬ事情があった。
どちらもオーナーの強い意向が働いたとのことだ。
レース結果を不服とし騎手の乗り替わりを指示、これに反対した厩舎サイドに転厩を示唆してまで意見を通した、というのがショウリュウムーンのオーナー。
ダービーに臨むにあたってはぜひうちの主戦騎手を乗せたい、と手を挙げたのがデボネアのオーナー。こちらはいわずと知れたシェイク・モハメド殿下である。
結果、オークスでは内田博幸騎手が、ダービーではこの一鞍のために招聘されたL.デットーリ騎手がそれぞれ手綱をとることとなった。

陣営とて断腸の想いだった。苦渋の決断だったのだろう。
ほかにどうしようもなかったのだ。
ショウリュウムーンの佐々木師も、デボネアの中竹師も、これまで信頼し共に携わってきた主戦騎手を降ろしたくて降ろしたわけではなかったはずだ。
あれが大きく取沙汰されて責められるような騎乗ミスでは決してなかったこと、あるいは好騎乗であったことは誰の目にも明らかだ。
しかし、たとえ最善を尽くしたとしても叶わない、届かないことはある。
誰も何も悪くない、でもどうにもならないこと、さまざまな感情や利害関係のうねりの中で物事の流れが急激に変わっていくことは、勝負の世界ならばままあることだ。
競馬がみんなのものであるように、競走馬はファンのものでも、調教師のものでも、騎手のものでもない。
頭では、理屈では分かっている。誰だって。
それでも、悔しい、悔しい、悔しい、納得がいかない、こんなことがまかり通る競馬なんてと、かのひとのひたむきさを見つづけてきた私は涙をこらえられなかった。
涙をのむこともまた競馬と向き合うことだと思い知らされた春だった。

オークスもダービーも、馬券は買えなかった。
結果、どちらも大敗を喫した。
タラレバを言うつもりはなかったし思う隙間もなかった。
思い入れを抱き応援した馬が思いがけず敗れていくさまが、その背にいるはずのひとがいなかったことが、ただただ悲しかった。
哲三騎手がふたたび彼らの鞍上に迎えられることはなかった。
ショウリュウムーンはオーナーサイドの意向が働きつづけていたのだろうし、デボネアはダービーを最後にひっそりと競走生活を終えた。
2010年、2011年の春は重いしこりとして、いちファンの心に残りつづけた。
季節がめぐるたびに癒えない古傷のように鈍く疼きつづけた。

傷を忘れさせたのはやはり人馬の活躍だった。
プロヴィナージュとは彼女がターフを後にするまで、アーネストリーエスポワールシチーとはジョッキーそのひとが引退するまでのあいだ苦楽を共にした。
そして、キズナとはわずかに二戦。
翌年への希望が大きく芽吹いたまさにその直後、袂を分かつこととなった。
彼の活躍をもはや手と意識の届かぬ遠いところから見つめつづけることは嬉しくもまぶしくもあり、つらくもあった。
ダービーという栄光を掴んだときに流れた涙には、ありとあらゆる感情が複雑に入り混じっていた。
かつてあの背にいたひとを想わずにはいられなかった。

騎手が馬から降りるとき。
それは馬が引退するとき。騎手が引退するとき。騎手が馬から降ろされるとき。
昨今の馬の育成と教育には大一番での乗り役のスライドが大前提となり、よくいえばフレキシブル、しかし効率性と利便性を追求した人選はどことなくビジネスライクでもあり、競馬歴わずか十年足らずの私でさえ戸惑いを覚えている状態だ。
同じ馬に同じ主戦騎手がずっと乗りつづける、乗せつづけることのほうがもはや稀有な例で、だからこそ酒井学騎手が駆りつづけたニホンピロアワーズジャパンカップダートには感銘を受けたし、あるいはメイショウマンボから武幸四郎騎手が降りたことは晴天の霹靂だった。
昔は調教師が身を挺して弟子の面倒を見たとか、名馬が名手を育てたとか、今となっては終わってしまった憧れや美談として語られる古きよき時代を実際に私は知っているわけではないのだが、それでもほんの十年前はもうちょっと馬も人も今より深く関わりあっていたように感じる。
だから厩舎陣営が一丸となって飛べる馬を作っていく、馬と騎手が長い時間をかけて信頼関係を築いていく、いわば昔の香りのようなものが色濃く残っている障害競走に惹かれたのもあるかも知れない。

デボネアのダービーから約ひと月後、アーネストリーとともに春のグランプリを制した哲三騎手は勝利ジョッキーインタビューの席で当時の悔しさを口にした。あいつには負けないと息巻いた。
喧嘩を売ったのでも、恨みごとを吐いたのでも、過激なマイクパフォーマンスを披露したのでもない。自らを鼓舞したのだ。
それくらいのことは分かる。ずっと見てきたのだから。
今度は歓喜の涙が止まらなかった。
あんなにもひとりのひとを想って熱い涙を流すことは、おそらくもうあるまい。
今思い返せばあの瞬間こそが、我が青春の終わりのはじまりだったのだろう。

私がこの世で最も敬愛した騎手は、馬と人に深く携わるジョッキーだった。
限りある自身のフィールドではそれが許されていたし、そうすることができる環境と関係を自らの流儀と実績によって切り開き、確かなものとして築き上げてきたのだ。
そのさまに憧れ、強く惹かれた。
だからこそあのふたつの春だけが苦い未練として残り続けていた。
桜花賞を目前に今が2017年ということにあらためて気づき、あれから実に6年と7年もの歳月が流れたことを実感した。
傷は時間が癒す。記憶はその過程でやさしく形を変える。
ショウリュウムーンデボネアの記憶をおそるおそる紐解いたとき、もう以前のように悲しみや悔しさに駆られることはなかった。
あるのはただただ懐かしさといとおしさだけだ。
まだ記憶に新しいキズナのことも、産駒が出てくるころにはまばゆい思い出して思い起こしていることだろう。

彼らの背にいたひとはもう馬から降りて久しくなってしまったが、彼の、彼らの、そして私の競馬はきっとどこかで繋がっていて、これからも、どこまでもつづいていく。

お風呂と漫画喫茶とおしゃれカフェのいいとこどり銭湯があると聞いて!

今週はひさびさの三連休。
競馬のほうもお休みしてリフレッシュ放牧。
book and spa uguisuへ行ってみた。
スーパー銭湯好きネカフェ好きの私としては、togetterのまとめで見て以来とても気になっていたところ。
仕事に競馬にと忙しくオーバーワーク気味で、この頃は大好きで足しげく通っていたスーパー銭湯ともご無沙汰だったので…。
富田林駅から徒歩15分くらい(終盤は住宅地の細い道を突っ切っていくので、ほんとにこの道で合ってるのかだんだん不安になってくる)。
よくいえば程よい郊外。

 

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おしゃれなたたずまい。

 

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屋号がさわやか。

 

入館したらまずカウンターで受付。 
時間制で区切ってあって、フリータイム(タオルと館内着込み)あり。
今回はランチつきフリータイムにしてみた。
こちらはタオルと館内着は別料金。家から持参すればよかった(完全に手ぶらだったため、タオルのみ200円でレンタルした)。
靴箱の鍵とリストバンド(館内ではこれを使って飲食したりサービスを受ける)を受け取って、あとはフリー。
清算は後払い制。

ほぼ開店と同時に到着してまだ人もまばらだったので、先にぐるっとひととおりまわってみた。

 

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飲食スペース。 

 

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自販機もある。

 

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さすがに一人ではこれに乗れなかった。。。

 

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日当たり良好。

 

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オープンテラスもある。

 

ひととおり見てまわったら大浴場へ。
屋内は定番のジェットバス、電気風呂に塩・高温サウナが二種類に水風呂。
露天はヒノキ風呂、炭酸風呂、壺湯に寝ころびどころもあって広々としていた。
シャンプーリンスボディソープは備えつけ。洗顔ソープやタオルは持参されたい。

いったんあがって腹ごしらえ。

 

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オシャレカフェで肉うどんをすするの巻。
フリータイムとセットのランチは、丼もの系とうどん系の中から選べる。

 

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こ、これは、人をダメにするソファ!! 

 

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コミックは約13000冊。週刊誌もある。
少ないといえば少ない、多いといえば多いのか。
定番どころのタイトルはひととおり揃ってた印象。

 

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こういう個室がいくつも(狭いとこ大好きなので絶対これに入りたかった)。
畳! そしてコンセントもある。

 

というわけで、ごろごろと本を読んだりスマホ(Wi-Fiもフリー)でネットサーフィンしつつ、またお風呂入ったりを繰り返しながら何時間か過ごす。
こんなにダラダラ、、、のんびりと一日を過ごしたのはひさしぶり。
ここ、気に入ったのでたまに来よう。

 

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帰りは送迎バスで駅まで(行きの時に乗らなかったのは、歩いたらどんな感じか知りたかったから)。
人数が限られるものの、三時半の最終便に私が乗ったときは二人だけだった。
車で来る地元の人が多いのかもしれない。

 

このブックアンドスパウグイス、もともとはうぐいすの湯という地域密着型のスーパー銭湯だったそう。
近頃はこういう思い切ったリニューアルが流行っているのだろうか。
下調べの段階でもともとの客層からは「前のほうがよかった」などなどマイナスな声も散見されたものの、老若男女そこそこにぎわっていて、ほどよくくつろげて私は気に入った。
立地がもう少し大阪市寄りだったらもっと若者や家族連れでにぎわってたのだろうなぁ。
でもあんまりにぎやかになりすぎても何なので、気持ちもうちょっと流行るくらいでいいです。個人的には。

お化粧コンプレックスと仲直りしました

手持ちのがなくなったのでキャンメイクのクレヨンコンシーラーを手にとった。
いい大人がプチプラコスメなんて恥ずかしい、年相応のものを使うべき、という旨のツイートが瞬間最大風速的に拡散したことは記憶に新しいが(メイク界隈は定期的に炎上するイメージ。こわい)、三十路の私の顔はプチプラコスメでできている。
下地とコンシーラーはキャンメイクだし、ちふれのオールインワンジェルはボディにも使える。
ローションとファンデーションはずっとオルビスだ。
肌に合って使い心地のいいものを模索した結果、現時点ではこのあたりに落ち着いている。
まだまだ模索中だ。

私の母はノーメイクの人だった。
母の母もやはりノーメイクの人だった。
肌の問題や主義主張などでは別段なく、知らなかった、教えてもらえなかったのもあるだろうし、人生において必要に迫られなかったのもあるだろう。
農業を営んでいた祖母はともかく元勤め人の母には機会はあったのかも知れないが、別にすっぴんでいい、自分には必要ないと思って今日まで生きてきたのだ。
ゆえに娘である私にとってもノーメイクが日常で当たり前。
メイクという概念が暮らしの中から完全に抜け落ちていた。
必ずしもしなくていいもの、したい人がすればいいもの、自分とは無関係なキラキラしたもの。
美しい人、美しくなりたい人、意識高い女性の特権として世界の外側に存在していたのだった。
この先天的な価値観が後々の自分自身を長らく縛ることとなる。

社会へ出たら半ば強制的必須項目とされるわりに、メイクを教えてくれる機会や人物というものはほぼ存在しない。
年頃になったら各々が気づき、自覚し、独学で習得していくのだ。
なんのスキルも心構えもないままに私は学業を修めて社会人となった。
さすがに危機感を覚え、売り場カウンセラーの勧めるままにブランドメイク道具一式を揃えたが、使い方が分からなかった。
あまりにも無知で恥ずかしく、世間知らずの十代だった私はカウンセラーのおねえさんに教えを請うことができなかった。
その後も身の周りに教えを請える人がいなかった。
かくして私もノーメイクの人となった。

入社式のときだけ申し訳程度に顔を塗った。
以降は塗らなかった。
暗黙の了解的な義務となってはいるものの、すっぴんでいるからといって特別そしりを受けるというわけでもない。
ただ、あなたはしないひとなんですね、そういうひとなんですねと何となく仕分けされる感覚はある。
差別や区別というよりも許容なのだろう。
気楽でもあり、後ろめたくもあった。
ほんとはすべきなんだよな、でもしないでやってきたのに今さら何をどう、しても顔かたちがこれだからしょうがない。
こんなご面相の私がおこがましくも、さも美しげに装うのはなんだか人を騙しているようで恥ずかしい。
美しく装った人を横目に見ながら自分に言い聞かせ、世間に対して言い訳をしつづけていた。
メイクを強制するくせにやり方を教えてくれない世の中がおかしいのだ、だから私はやりたいようにやらないを貫くんだ、とこじらせつづけた。
年齢を重ねてくると、冠婚葬祭はもちろん遊びに出かけるときにするメイクへの苦手意識そのものは次第に薄れていった。
誰にも何にも強制されていない、自らが望んでする自由な行為だからだ。
行きたいところへ行く、会いたい人に会うときは小綺麗にしていたいというのは至極自然な感情だ。

つい最近まで職場ではノーメイクの人だった。
変わったきっかけは、単に職場が変わったからだ。
はじめが肝心。
初動数日間でしないを貫いたら、しない人で定着する。認識される。
実際にそうして生きてきた。生きづらかった。
ふと気がつくと私は三十代になっていた。
自分を縛り物事を難しく考えて生きてきたせいか、ますはじめに刻まれたのは眉間と額の皺だった。
目元や口角のたるみも目についた。肌も年相応にかさついてくすんでいる。
鏡を見るのが嫌いで、目をそらすあまり自らを客観視できていなかったのだ。
実年齢よりも若く見えると言われつづけてきたが、いつまでも若くはない。もう若くない。
自らの加齢を自覚することにより、衰えや欠点をカバーすることこそがメイクの本来の役目じゃないか!と気づくことができたのだった。
人に世間に強制されるのではなく、世の中に迎合するのではなく、ほかならぬ自分自身のために。
綺麗にしていたい、女性として、もっと自分を大切にしたい。
楽に気分よく生きていくために。
職場を変えたのをきっかけに、ついでに考え方も変えてみようと思った。
私にとってメイクが本当に必要となった瞬間だった。

私のメイクは実際“足りてない”と思う。
通勤時は必要最低限しかしていない。
メイクが当たり前のものとして生きてきた人からすれば、全く足りていないと思う。
化粧水で肌を整えたのち、下地、コンシーラー、ファンデーションを塗り、チークを薄めに乗せる。
ビューラーで睫毛をあげてアイブロウで眉毛を描き、リップを塗ってできあがり。
オフのときはこれにアイラインとアイシャドウとマスカラを足すくらい。
もうちょっと何かしたいなぁと考えながらこのごろは売り場を物色したりしている。
お化粧道具は綺麗で可愛らしくて華やかで、見ているだけで楽しい気持ちになる。
メイクを日常にとりいれる前には気づけなかったことだ。
なんだかキラキラしてるし、小さいのに高いし、使い方がわからないし、得体が知れなくて怖い。
こんな自分には不釣り合いだとずっと避けていた。
しかし自ら求める段になって、まずできることからしてみよう、今すぐ要るものから見てみようと腹をくくったら憑き物が落ちたように平気になった。
毎日メイクをしてみると肌のケアも全く“足りてない”ことを痛感した。
毎晩寝る前に美容パックをしてみた。これもプチプラだ。
やがて肌の状態が安定した。
ちゃんと自分の身体と向き合えばちょっといいことがあるんだ、という発見だった。
心なしか自己肯定もうまくできるようになった気がする。

極論を言ってしまうと、個人的には、メイクは絶対的な義務ではないと私は思う。
私自身が“しない人”だったので、ノーメイクの人を見ても別段マイナスの感情は抱かないし、美しく装った人を見れば素敵だなぁと感心するだけだ。
したいときに、したい人が、したいようにする。だったらもっと楽しいはずだ。
義務だと思うから苦痛に感じる。世間にやらされてると思うから理不尽さを覚える。
なので、もう少し寛容であって欲しいかなとは思う。
本来、メイクとは楽しくて素敵なことだ。
でも、どんなに楽しくて素敵なことも、義務感を覚えてしまえばどこかで重荷と化すこともあるだろう。
肌の調子が悪いとき、寝坊してしまったとき、なんとなく気乗りしないとき。
そんなことって、たとえどんなに習慣づいていたとしても、誰にだって必ずあることだから。
なにより、すっぴんって最高に気持ちいいでしょう。
お化粧がバッチリ決まったときも、何だか嬉しいでしょう。
どっちの喜びも、ある。
あっていいのだ。