うまいこといえない。

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“好き”が繋いだ縁。メイショウアラワシ、J・G13着までの覚書

新星誕生。
春のグランプリにはそんなイメージを抱いている。
10頭立てであらそわれた中山グランドジャンプは、終始レースを引っ張ったサナシオン西谷誠騎手をオジュウチョウサン石神深一騎手が最後の障害飛越にて競り落とし、人馬陣営ともに嬉しいJ・G1初制覇となった。
単勝1.3倍に推されたサナシオンは自分の競馬に徹するも、悲願の戴冠ならず2着。
さらに9馬身離れた3着には、中団から虎視眈々とレースを運び、終盤にかけてじわじわと脚を伸ばしてきたメイショウアラワシが入線した。

 
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7番人気。
侮られたものだ。
それも好都合、いかにもこの馬らしいと電光掲示板のオッズを見上げながら私は一息ついた。
信じて疑わなかったのだ。
前々でつぶし合う消耗戦になれば、どんな相手どのコースでも堅実に伸びるあの脚ならば必ず届くと。
私はゆえあってこの馬を応援している。
メイショウアラワシを語るには、まず指揮官の安達昭夫調教師について紐解かなければならない。

師を見知ったのは2009年のジャパンカップダート
エスポワールシチーというダート界の新星誕生にわいた阪神競馬場パドックで行われたレース回顧でのことだった。
当時の私は佐藤哲三騎手を熱烈に応援しており、敬愛するジョッキーのG1制覇の瞬間に立ち合えた喜びの余韻に浸り、馬と真摯に向き合い馬を育てる彼のどんな秘話が聞けるのかしらと期待に胸をおどらせていた。
回顧イベントには騎手のみならず調教師も招かれるという。
“職人・勝負師サトテツ”と密に連携をとりあい“エスポくん”を作りあげたトレーナーのことは存在として把握はしていたが、お目にかかるのは初めてだった。
漠然と抱いていたイメージは“昔気質のテキ”。
それとも、名コンビと名高い佐々木晶三調教師のように雄弁で朗らかな方かしら…
パドックに姿をあらわしたのは、思いもかけず温厚で理知的な紳士だった。
話しぶりも柔和で如才なく、このひとがあの気難しいエスポの…という意外性と、なるほどこのひとならば独自の理論を持つ哲三騎手を理解し受け入れられそうだ…と腑に落ちたのとで、このいかにも優しげな物腰の先生は勝ち馬や乗り役と同じくらい強く印象に残った。

エスポワールシチーはダート界の一線級で輝きつづけた。
その間にさまざまな出来事があった。
翌年のフェブラリーステークスを完勝し王者として君臨するもオーナーサイドが馬場への適性を懸念し、陣営悲願のドバイ行きが断念された。
のちにブリーダーズカップクラシックへの参戦が発表された。
前哨戦に選んだ南部杯オーロマイスターの後塵を拝した。
BCクラシックを戦ったのち、腹痛で著しく体調を崩した。
名古屋大賞典にてようやく復活の勝ち星をあげられた。
主戦であり相棒の佐藤哲三騎手が落馬負傷するたびに、幾度も他のジョッキーに手綱を委ねられた。
哲三騎手が長きにわたる闘病生活の末に鞭を置いた。
彼の意志を継ぐ後藤浩輝騎手が鞍上に迎えられた。
そしてふたたび交流G1を勝利した。
ラストランの予定はその年の暮れのジャパンカップダートまで延びた。

ときにもがきながら、苦しみながら、エスポワールシチーは力の限りに砂上を駆けつづけた。
彼は一口馬主クラブの所有馬。
談話の最後に師が必ずといっていいほど「オーナーと相談して…」と締めくくっていたとおり、ローテーションや海外遠征など次走の意向についてはほぼ友駿サイドに決定権があったと思われる。
揉めに揉めた遠征費用の徴収やラストランについては言わずもがな。
思い入れるひとの中には大勢の出資者がいた。
賞賛とともに批判があった。肯定とともに否定があった。
出資者でも関係者でもない私は当馬のいちファンとして、メディアから聞こえうる情報以外(掲示板やSNS)には極力触れないようにしていたが、いやがうえにも漏れ聞こえてくるものには耳を覆いたくなるような辛辣な内容が多く見受けられた。
師ものちに「勝っても負けても叩かれる」と述懐しているように、スターホースを手がける喜びと苦悩とに日々頭を悩ませていたことは想像に難くない。
窓口となるのも、間に立つのも、矢面に立たされるのもテキの役目なのだ。
それでも私の記憶の中にいる“エスポくんの先生”は、決して表に出すぎず必要以上を語らず、殊勲はジョッキーやスタッフに譲り、いつのときも穏やかに微笑みながら管理馬を見守っているのだった。
優しさ柔らかさの中に強い芯を持ったひとだと思った。

やがてエスポワールシチーを育てあげた名手は、ふたたび鞍上にという望みかなわず現役を退く。
私にとって競馬は青春の残滓となった。
この行き場を失いくすぶった情熱もいずれ消えゆくのだと思うと虚しささえ覚えた。
世界はこんなにも魅力的な馬とひととレースであふれているのに、何を観ればいいのか分からなくなった。
しかし一度愛した競馬からは離れられず、障害競走の世界へと楽しみを見出してゆく。
もともと好きで片足を踏み入れており、かつて平地で応援した馬が多数活躍していたのもある。
なによりそこでは敬愛したジョッキーの面影を探さずに済んだ。
哲三元騎手には障害競走への騎乗経験はない。
早い段階から障害免許を返上し、じつに二十数年にわたる騎手人生を平地一本槍で勝負してきたのだった。

ほどなくシャロームと出会う。
障害競走において私に初の予想的中をもたらしてくれたのは、くしくも安達厩舎の管理馬だった。
ステイヤーズステークス目黒記念を制し晩年は障害競走でも活躍したチャクラの全弟で、厩舎ゆかりの血統馬でもある。
縁を感じ、思い入れを抱かないわけがなかった。
しかし彼はしばらくしてこの世を去ってしまう。
連闘。
重賞。
競走中止
予後不良
どんな否定批判にさらされるかは火を見るより明らかだった。
状況こそ違えど、“あのとき”と同じ。
「違う。先生はそんなひとじゃない。目先の利にとらわれて、功をあせって、いたずらに馬に鞭打つようなひとじゃない。」
思い入れた馬を亡くした悲しみのあまり、悔しさが声に出かかった。
しかし私だとて、何も知らない。
馬のこと。レースのこと。障害競走のこと。厩舎のこと。何ひとつ。
知識がなく根拠もなく言葉を持たない者は、じっとこらえ、押し黙るより他なかった。

あのとき無知ゆえに何も言えなかったことは、シャロームを忘れえぬ馬にするとともに、自分自身の競馬観を今一度見直す大きな転機となった。
私は今までいったい何をし、何を見てきたのだろうか。
“好き”をうたいながら、自分の好きな対象とその周りのごく狭い世界しか見ていなかったのではないかと。
だからもっと自分なりにきちんと知りたいと思った。
まずは最愛のジョッキーと信念を分かち合ったホースマンがどんな調教師で、どんな先生で、どういう人間なのか。
師の管理する馬の走り、馬たちと日々向き合いレースに送り出すスタッフの仕事ぶり、間近に接するオーナーやジョッキーの表情、人となり…
いち競馬ファンにすぎない私は、自分が関わりうる見渡せるだけの範囲の、競馬の中で自分なりに知っていこうと決めたのだ。
熱烈に追いかけるとか、推すとかいうのではなく、ごく自然に競馬を楽しむうえで。
知る術も知る由もきっと、大好きな競馬の中にある。 
こうして数年のときをかけ、堅実に、着実に花開くさまを見つめつづけてきたのがメイショウアラワシだった。

同じく応援している佐々木晶三厩舎からはひと足先に、アップトゥデイトという新星が誕生した。
このうえなく幸せでまばゆい瞬間に立ち合いながら、
(安達先生のところのあの馬も、いつかきっとこの舞台に…)
と新たな夢を思い描いていた。
夢はまさにその翌年に実現し、ほどなく大願となる。
今の私には、暮れの中山J・G1を制してほしいと願う馬が二頭いる。
なんて幸せなことだろう。

いち競馬ファンである私は、今もただ“好き”という想いで競馬を観ている。
関わりうる見渡せるだけの範囲の中で、あのころは知識としてしか把握していなかった事柄を日々かみしめながら。
一勝の重み。
勝ちあがることの難しさ。
それを成し得る喜び。
重賞、G1への出走がいかに狭き門であるか。
そして何よりも、人馬ともに無事レースを終えて帰ってきたときの安堵感と感謝の気持ち。
ひとつの夢と情熱が終わり、視点と心持ちを変えたことで、閉じかけていた世界は再び大きく拓けていった。
もっと知りたいと願うことで、新たな夢と情熱を得ることができた。
馬とひととの縁が築きあげる競馬というノンフィクション・ドラマこそが、今の私にとっての夢なのだ。
勝ち上がる馬がいて、条件の壁に苦戦する馬がいて、去っていく馬とやってくる馬がいて。
師は変わらず穏やかに微笑みながら、今日も馬とひととを見守り続けている。

そして最後に。
メイショウアラワシの現在の主戦は森一馬騎手となっているが、当馬をはじめに障害馬として手がけ実戦で作っていったのは植野貴也騎手である。
詳しいいきさつはわからないが同じレースで騎乗馬が重なり、植野騎手がマイネルフィエスタに、メイショウアラワシには森騎手が跨がったのが、いわゆる節目だったと思われる。
植野騎手は(旧)梅内忍厩舎の門下生で、安達師が騎手として(障害競走への騎乗経験と勝ち鞍もある)の晩年と調教助手時代に所属したのがこの厩舎。
二人は同時期に新人騎手と調教助手として梅内厩舎に在籍しており、そのころからの浅からぬ繋がりがあるのだろう。
前述のシャロームの最後のレースに騎乗していたのも植野騎手で、その後も安達厩舎の障害馬の手綱をとっている。
私にとってはすべて、何もかもが繋がっているのだ。
“好き”が繋いだ縁で。