うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

カメラを持って競馬場へ。

開催が終わり、日が暮れてひと心地ついたころ、ぼちぼち風呂も晩御飯も済ませた頃合いだろうか。
競馬場から帰ってきたひとたちの思い出がツイッターのタイムラインにならびはじめる。
思い思いに撮られたそれぞれを眺めながら今日一日の出来事をふりかえる時間が好きだ。
私もまた、気に入ったものが撮れたときはコメントとともにツイートする。
カメラを手にするようになって自ら撮る喜びを知った。
これまではひとに分けてもらっていた思い出を、自分の目と手で自由に切りとっていける至福を日々感じている。

私が初めて買った旧型のデジカメにとって、競馬場はあまりに広く遠すぎた。
だからというわけではないけれど、最愛のジョッキーの姿はほんの数枚しかおさめられていない。
今にして思えば若気の至りでしかないのだが、あまりに敬愛の念が強すぎてレンズ越しでさえ畏れ多くて、そしてなにより恥ずかしくてシャッターを切れなかったのだ。
そんななかで奇跡的に撮っていた数少ない習作を挙げてみる。

 

f:id:satoe1981:20160527035931j:image

 

f:id:satoe1981:20160527035953j:image

 

f:id:satoe1981:20160527040015j:image

 パドックを周回するプロヴィナージュと佐藤哲三騎手の姿が、ものの見事にピンボケしている。
馬のからだが途切れていたり(とんでもない!)、ひとの頭が入っていたりと(これまたとんでもない!!)、ただ撮るにまかせただけの写真ではあるが、下手くそなりに、人混みの隙間から苦心して撮りたかった理由がありあまるほどにあった。
私を彼と引き合わせてくれた彼女は、これからも競馬を好きでいるかぎりずっと私の最愛の馬でありつづけるだろう。
出来の大変よろしくない写真でも、今より幾分か若かった自分があのとき勇気をふりしぼって撮ってきたものがこうして確かなかたちで手許に残っている。
その事実に心が慰められる。
眺めているだけで、つい昨日のことのように胸が熱くなる。
だから新しいカメラに買い換えた。
昨年の初夏のころ、ふと思い立って福島競馬場へ経つ直前に。
もっとちゃんと撮りたいと思った。
大好きだった彼も彼女もターフを去って久しかったが、彼と彼女を好きでいつづけたからこそ繋いで繋がれて今もなお広がり、繋がりつづけている縁を大切にしていきたかったからだ。

目の前にいることが当たり前だったときは、自分の目と心こそがもっとも優秀なカメラだと信じて疑わなかった。
しかし記憶というものは、何度も取り出したり眺めたり仕舞ったりを繰り返すうちに色合いや手触りが変わってゆくものだ。
想いという補正を加えながらかたちを変え、美化され、あるいは脚色され、やがて本来の姿から遠ざかり、曖昧な輪郭になってゆく。
文字が示すとおり、思い出として昇華されてゆくのだ。
思い出は思い出として美しいものに変わりはないけれど。
目の前からいなくなったことで、人間は忘れゆく生き物であることをあらためて痛感すると同時に、記憶を呼び起こすためのたしかなものを残したいと思った。
私は想いこそ文字にしたためているが、それは限りなく純度の高い主観でしかない。
呼び水とするにはそのとき起こったありのままを客観視できるものが必要不可欠。
なにものにも左右されないたしかな目が要る。
若さに驕った思い込みをあらためるところから、第二幕がはじまった。

二代目にして今の愛機はカシオ製のコンパクトデジタルカメラ
高機能、小型、軽量を重視した、いわゆるコンデジと呼ばれるもの。
もう少し頑張ればミラーレス一眼カメラに手が届かないこともなかったが、悩んだうえであえてこちらを手にした。
カメラを持って競馬場へ行くのか、写真を撮りに競馬場へ行くのか。
ここが分かれ目だったのだろう。

私の競馬場での一日は多忙を極める。
パドックスマートフォンのなかの馬柱を見比べながら予想をし、マークシートを塗って発券機で紙の馬券を買い、本馬場でレースを観戦し、ことによっては払い戻しをしてから、そしてまたパドックへと引き返す。この繰り返し。
さすがに途中で休憩を入れるものの(このごろはUMAJO SPOTでひと息ついている。とてもありがたい)、朝から最終までほぼ立って歩きながら一日を過ごす。
現地へ足を運んだからにはライヴ感を味わえるだけ味わい尽くしたいからだ。
とにかく体力を使うので装備は最軽量で臨む。
帰りの電車にようやっと乗り込んだときには心身ともにくたくたに疲れはてている。
寄る年波には勝てない。

もしも、さらにここにずっしりと重みのある高価な機材が投入されたら…
と、幾度となく想像してみたのだ。
もちろん実際に手にすれば撮ることを純粋に楽しめるに違いない。
シャッターを切ればより綺麗な画が一瞬にして切りとれる。
そのための修練もいとわないだろう。
楽しくないわけがない、嬉しくないわけがないからだ。
しかし競馬場で納得いく写真を撮るということはやはり、ただ手遊びで撮りたさに任せて撮るだけではない、撮りたいものを撮るための下準備だとか努力だとかがある程度必要になってくる。
真摯にとり組もうとすればするほどに入念なものになるだろう。
好きな馬やジョッキー、陣営の様子を最高の構図でとらえたい。
そのためにはまず撮れるポジションを確保しなければならない。
レースのグレードによっては開門前から並んだり走ったり場所取りをしたりするのだろう。
それほどでなくとも、フレームの内にギャラリーは極力入らないようにしたい…
もしも自分がこれらを完璧にこなそうと思ったら、今ある楽しみのいくつかをあきらめなければならなくなる。
人混みのなか重い精密機械を身体から下げて、撮ることに集中しながら馬柱をにらんだり、マークシートを塗ったり、小銭を出して馬券を買い求めたり、パドックから本馬場からと軽快に歩きまわれるとはおよそ思えない。
できたとしても、どれもがなにかしら中途半端になってしまうだろう。
そこまでしなくても撮ること自体はできるのだろうけど、自分はくそまじめで融通がきかないので撮る楽しさを追求するあまり、やるからにはとことん徹底したくなるに違いない。
いっそカメラに傾倒する道もあるが、しかし私の楽しみは競馬のなかにこそあるのだ。

私にとっての競馬というのは、目の前の馬とひとであり、予想と馬券であり勝ち負けであり、レースでありスポーツであり、ドラマであり物語であり、そのあらゆる全ての結果である。
思い出として残したいものは全てそこから生まれる。
覚えていたいからこそカメラを手にとった。
手段であり、目的ではない。
だからコンデジを選んだ。
要するに、競馬のなかの全部を選び取りたいのだ。
とんでもなく不器用なくせに欲張りなのだ、私は。

というのはあくまで自分基準に考えた場合の結論なので、違う方法論で楽しんでいるどこかの誰かへ向けたなにかでは決してない(全てを両立できるひとも存在するだろうし)。
むしろ純粋に撮ることに特化できる、対象に没頭できる才能には憧れと感嘆を禁じえないのだ。
自分にはできないからこそ、その道を選ばなかったからこそ。
カメラは機材であり道具である。
愛機、相棒と呼ぶひともいるだろう。
重要なのは持つひとにとってどんな道具なのか、という点だ。
あえて例をあげるとすれば、画材ととらえるのか筆記用具ととらえるのか、だと私は思っている。
撮ることそのものを楽しみ、無機のなかで有機を、揺れ動く感情のうつろいを巧みに切りとれるひとにとって、カメラは絵筆なのだろう。
真実、すばらしい写真は絵画に勝るとも劣らない芸術となりうる。
さしずめ私にとっては記憶を書き留める万年筆といったところ。
事実を記録するだけなら造作もない。
しかし早く簡単に文字を書けるからといって、ただただ書きなぐるのではいかにも味気がない。
筆記用具にも正しい持ち方、使い方がある。
綺麗な字でしっかりと、きちんとした文章をしたためるにはやはり日ごろの精進が必要。
感性を研ぎ澄ますことも大事。
ペンや筆だって使い方次第で画を描けるのだ。
そのために今持っている愛機を理解し、腕を磨き、大切に使いこなしていきたい。
楽しみながら、できる範囲で。
そうして撮れたものは愛おしい記憶の元であり、いち競馬ファンとしての観戦記録であり、時が経っても決して忘れたくない思い出であり、永遠の習作でありつづける。

競馬が好きだ。
競馬場には会いたい馬とひとがいる。
憧れてやまない景色が無限に広がっている。
だから明日も私は、カメラを持って競馬場へ行く。

 

悩んで考えて買って賭けて。馬券のお話を少し。

はじめて馬券を買ったときのことを、覚えていますか?
それとも馬券は買わない?
応援はするけれど賭け事はしない?
それはそれは、ちょっともったいない、かも。

もともと大のギャンブル嫌いのあたまでっかち女が何の縁か家族のすすめで馬券からこの世界に足を踏み入れ、予想の面白さレースの迫力そしてサラブレッドの美しさに魅せられ、大好きな競走馬やジョッキーとの出会い別れを経て。
まごうことなき競馬ファンができあがってしまった。
かれこれ9年近く競馬を、6年以上ツイッターをやっている。
その間じつにさまざまな“競馬ファンのかたち”をまのあたりにしてきた。

 

これは私の普遍的なポリシー。
もちろん好きな馬や彼らに携わるひとたちの無事や健闘を願う気持ちが一番。
しかし競馬の中には、賭けてこそ見えてくるもの、味わえる想いもある。
競う人馬に賭ける。
予想して馬券を買う。
勝つために負けないために、ありとあらゆる知恵と記憶を駆使する。
このめちゃくちゃ楽しいプロセスをはじめから手放している層はやはり存在していて、いわゆる“推し”を熱心に応援していたり、「ギャンブルでなく競馬が(馬が)好き」と公言しているような層。
バリバリのガチガチの馬券派ではない私もどちらかといえばこっち寄りではあるものの、決定的な違いは“ギャンブルとしての競馬”もそれとして楽しんでいるところ。
競馬場に行けば馬券を買っているし、行けない日も重賞はほぼIPATから投票している。
その程度といわれればその程度で、額もせいぜい一口100円からカフェでセットメニューが食べられるくらいまで。
なんとなくの上限つきではあるけれど、勝ちたくて考えてやっているという点では博打たりえる。
そう、私は大の負けず嫌いなのだ。
戦わなければ負けることはないが、勝つこともできない。

冒頭でも述べたとおり、過去の私は大のギャンブル嫌いだった。
競馬に興じる家族を冷ややかな目で見ていたし、馬券を買って負けた金でおいしいものがたらふく食えるのに…などと本気で思っていたし、実際に口に出して非難していた。
単に他者の価値観を許容できないひどいやつだ。
家族はよく笑って許してくれていたと思う。
私、いや私が見ている世界にとって賭け事は悪だったし、悪への否定はこれすなわち正義。
手前勝手な正義感をふりかざして、自分はまともな人間だとただただ安心していたかった。
間違えることが怖かった。
若さゆえに頑なだったのだ。今にして思えば。

そんな自分がはじめて馬券を買った。
文句は一度やってみてから言え、というような流れでそうなったのだと思う。
とはいえ険悪なムードは一切なく「お前みたいなのが一番ハマるタイプ」「そんなばかな」「たぶんお前が性格的にこの中で一番の博打うち」「いやいや、ギャンブルがしたいんじゃなくて、いっぺん体験してみるだけだから」というようなやりとりの中、まずは券種から予想の仕方をざっくりと教えてもらいつつマークシートを塗った。
数時間後にこれが金に換わるかも知れないと思うと、ちょっとした高揚感があった。
そんな自分が怖くもあり、不思議と面白くもあった。
忘れもしない、2007年秋の天皇賞
メイショウサムソンの2着にアグネスアークが突っ込んできて小波乱になったあのレース。
大事な金をドブに捨てたくない、負けたくないと考えに考えて選んだ枠連が的中した。
絵に描いたようなビギナーズラックだった。
その次のG1、ウオッカが右寛ハ行で回避しダイワスカーレットフサイチパンドラで決まったエリザベス女王杯も的中した。
絵に描いたようなビギナーズラックふたたび。

勝ち得る喜びを味わいながら、競馬っていうのはなんて簡単なんだ、と笑いがこみあげた。
予想をして馬券を当てることが、という意味ではない。
あんなに嫌っていたギャンブルに興じ、馬券を買うことなんて、なんてこともないたやすいことだという実感だった。
悪でも堕落でも間違いでもなかった。
ささやかなスパイスとでもいおうか。
競馬を楽しむ大多数のひとたちは、日常の中のちょっとした非日常を、自分の持てる範囲内で勝った負けたあの馬が好きこの騎手に賭けたい…と思い思いに楽しんでいるだけ。
自分の最も身近にいる家族がまさにそうだったのだ。
そんな諸々の想いも込めてこの世界を勧めてくれたのかも知れない。今にして思えば。

競馬との出会いは、これまで許せなかったものを受け入れ、知る由もなかった想いに触れ、他者の価値観を許容し、頑なに閉じていた世界が大きく開けていくきっかけにもなった。
自身を抑圧していたタブーがなくなったことで、私の遅れてきた最後の青春の幕が開けたのである。
もちろん二度あることは三度なく、あの秋天エリ女ビギナーズラック以来、長い探求の旅をいまだに続けている。
こんなにも勝負にこだわるのは、敬愛してやまない佐藤哲三元騎手が「ファンのために馬券に絡む騎乗を、ひとつでも上の着順を」と公言し常に実行していたからというのも大いにある。
まず賭ける楽しさを知り、その縁で好きな馬やひとと出会い、どんどん世界が広がり。
それからの人生、今に至るまで本当に楽しい。

話は横道に逸れてしまったが、自身の経験上、ギャンブルへの忌避というのは後ろめたさや罪悪感からくる感情と思われる。
博打は悪いことだという先入観、金は形なき不確かなものに浪費すべきではないという正義感、人間は快楽に溺れてはならないという自尊心もあったりなかったり。
私の場合はやはり実際にやってみて、興奮の中にあっても自分自身を律することができ、自分には自身を律するだけの理性が備わっているのだと分かった瞬間に、馬券を買うことへの後ろめたさや罪悪感は露と消えた。
一番の理由は競馬が、競馬というスポーツが大好きで、馬と馬に携わるひとたちを敬愛してやまないからなのだけれど。

結局何が言いたいのかというと、馬やジョッキーが好きで応援馬券を買うようなひとは、精神的にとても強いひとです。
(というのが、これまでに恵まれたご縁の中で最も実感したこと)
そういうひとが、ただただ賭けることのみに溺れるわけがない。 
ので、個人的には、そういう競馬を愛してやまないひとにこそ、競馬の楽しさをより味わってもらえたらいいのに…なんて思ってしまうのです。余計なお世話ながら。
賭けることは競馬ファンに与えられた喜びだから。

ただ、本当にギャンブル苦手なひとに馬券買わないの?と訊くことは、焼肉好きだけどホルモン食べられないひとにモツも食べなよ!と食い下がるような感覚に近いものがある(気がする。人間、だめなものはだめ)ので、あくまで心の中でぼんやりと思っているだけです。
本当に楽しみ方関わり方はひとそれぞれなので。
長年心の中で思っていたことがようやくポリシーとして固まってきたので文にしてみただけで、特定の誰かに向けた怪文でもなければ、価値観を否定批判するためのものでも、自身の考えを押しつける目的でもないです。
前述のツイートにしてみて、もしかしたら受けとるひとにとってはそう受けとれてしまうのかな…と猛省しつつ、いよいよ書くべきときがきたと思いながら纏めた次第。
ぜんぜん纏まってなくて、本当にうまいこといえてなくて、拙さの極み。

ちなみに、私の渾身の馬券はたいてい1着馬が抜けるか2着馬にブチ割られる。
実に悩ましい。
そしてホルモンは食べられなかったけれど美味い店に当たってこのごろは克服できつつある。
余談も余談でした。

“好き”が繋いだ縁。メイショウアラワシ、J・G13着までの覚書

新星誕生。
春のグランプリにはそんなイメージを抱いている。
10頭立てであらそわれた中山グランドジャンプは、終始レースを引っ張ったサナシオン西谷誠騎手をオジュウチョウサン石神深一騎手が最後の障害飛越にて競り落とし、人馬陣営ともに嬉しいJ・G1初制覇となった。
単勝1.3倍に推されたサナシオンは自分の競馬に徹するも、悲願の戴冠ならず2着。
さらに9馬身離れた3着には、中団から虎視眈々とレースを運び、終盤にかけてじわじわと脚を伸ばしてきたメイショウアラワシが入線した。

 
f:id:satoe1981:20160809000537j:plain
7番人気。
侮られたものだ。
それも好都合、いかにもこの馬らしいと電光掲示板のオッズを見上げながら私は一息ついた。
信じて疑わなかったのだ。
前々でつぶし合う消耗戦になれば、どんな相手どのコースでも堅実に伸びるあの脚ならば必ず届くと。
私はゆえあってこの馬を応援している。
メイショウアラワシを語るには、まず指揮官の安達昭夫調教師について紐解かなければならない。

師を見知ったのは2009年のジャパンカップダート
エスポワールシチーというダート界の新星誕生にわいた阪神競馬場パドックで行われたレース回顧でのことだった。
当時の私は佐藤哲三騎手を熱烈に応援しており、敬愛するジョッキーのG1制覇の瞬間に立ち合えた喜びの余韻に浸り、馬と真摯に向き合い馬を育てる彼のどんな秘話が聞けるのかしらと期待に胸をおどらせていた。
回顧イベントには騎手のみならず調教師も招かれるという。
“職人・勝負師サトテツ”と密に連携をとりあい“エスポくん”を作りあげたトレーナーのことは存在として把握はしていたが、お目にかかるのは初めてだった。
漠然と抱いていたイメージは“昔気質のテキ”。
それとも、名コンビと名高い佐々木晶三調教師のように雄弁で朗らかな方かしら…
パドックに姿をあらわしたのは、思いもかけず温厚で理知的な紳士だった。
話しぶりも柔和で如才なく、このひとがあの気難しいエスポの…という意外性と、なるほどこのひとならば独自の理論を持つ哲三騎手を理解し受け入れられそうだ…と腑に落ちたのとで、このいかにも優しげな物腰の先生は勝ち馬や乗り役と同じくらい強く印象に残った。

エスポワールシチーはダート界の一線級で輝きつづけた。
その間にさまざまな出来事があった。
翌年のフェブラリーステークスを完勝し王者として君臨するもオーナーサイドが馬場への適性を懸念し、陣営悲願のドバイ行きが断念された。
のちにブリーダーズカップクラシックへの参戦が発表された。
前哨戦に選んだ南部杯オーロマイスターの後塵を拝した。
BCクラシックを戦ったのち、腹痛で著しく体調を崩した。
名古屋大賞典にてようやく復活の勝ち星をあげられた。
主戦であり相棒の佐藤哲三騎手が落馬負傷するたびに、幾度も他のジョッキーに手綱を委ねられた。
哲三騎手が長きにわたる闘病生活の末に鞭を置いた。
彼の意志を継ぐ後藤浩輝騎手が鞍上に迎えられた。
そしてふたたび交流G1を勝利した。
ラストランの予定はその年の暮れのジャパンカップダートまで延びた。

ときにもがきながら、苦しみながら、エスポワールシチーは力の限りに砂上を駆けつづけた。
彼は一口馬主クラブの所有馬。
談話の最後に師が必ずといっていいほど「オーナーと相談して…」と締めくくっていたとおり、ローテーションや海外遠征など次走の意向についてはほぼ友駿サイドに決定権があったと思われる。
揉めに揉めた遠征費用の徴収やラストランについては言わずもがな。
思い入れるひとの中には大勢の出資者がいた。
賞賛とともに批判があった。肯定とともに否定があった。
出資者でも関係者でもない私は当馬のいちファンとして、メディアから聞こえうる情報以外(掲示板やSNS)には極力触れないようにしていたが、いやがうえにも漏れ聞こえてくるものには耳を覆いたくなるような辛辣な内容が多く見受けられた。
師ものちに「勝っても負けても叩かれる」と述懐しているように、スターホースを手がける喜びと苦悩とに日々頭を悩ませていたことは想像に難くない。
窓口となるのも、間に立つのも、矢面に立たされるのもテキの役目なのだ。
それでも私の記憶の中にいる“エスポくんの先生”は、決して表に出すぎず必要以上を語らず、殊勲はジョッキーやスタッフに譲り、いつのときも穏やかに微笑みながら管理馬を見守っているのだった。
優しさ柔らかさの中に強い芯を持ったひとだと思った。

やがてエスポワールシチーを育てあげた名手は、ふたたび鞍上にという望みかなわず現役を退く。
私にとって競馬は青春の残滓となった。
この行き場を失いくすぶった情熱もいずれ消えゆくのだと思うと虚しささえ覚えた。
世界はこんなにも魅力的な馬とひととレースであふれているのに、何を観ればいいのか分からなくなった。
しかし一度愛した競馬からは離れられず、障害競走の世界へと楽しみを見出してゆく。
もともと好きで片足を踏み入れており、かつて平地で応援した馬が多数活躍していたのもある。
なによりそこでは敬愛したジョッキーの面影を探さずに済んだ。
哲三元騎手には障害競走への騎乗経験はない。
早い段階から障害免許を返上し、じつに二十数年にわたる騎手人生を平地一本槍で勝負してきたのだった。

ほどなくシャロームと出会う。
障害競走において私に初の予想的中をもたらしてくれたのは、くしくも安達厩舎の管理馬だった。
ステイヤーズステークス目黒記念を制し晩年は障害競走でも活躍したチャクラの全弟で、厩舎ゆかりの血統馬でもある。
縁を感じ、思い入れを抱かないわけがなかった。
しかし彼はしばらくしてこの世を去ってしまう。
連闘。
重賞。
競走中止
予後不良
どんな否定批判にさらされるかは火を見るより明らかだった。
状況こそ違えど、“あのとき”と同じ。
「違う。先生はそんなひとじゃない。目先の利にとらわれて、功をあせって、いたずらに馬に鞭打つようなひとじゃない。」
思い入れた馬を亡くした悲しみのあまり、悔しさが声に出かかった。
しかし私だとて、何も知らない。
馬のこと。レースのこと。障害競走のこと。厩舎のこと。何ひとつ。
知識がなく根拠もなく言葉を持たない者は、じっとこらえ、押し黙るより他なかった。

あのとき無知ゆえに何も言えなかったことは、シャロームを忘れえぬ馬にするとともに、自分自身の競馬観を今一度見直す大きな転機となった。
私は今までいったい何をし、何を見てきたのだろうか。
“好き”をうたいながら、自分の好きな対象とその周りのごく狭い世界しか見ていなかったのではないかと。
だからもっと自分なりにきちんと知りたいと思った。
まずは最愛のジョッキーと信念を分かち合ったホースマンがどんな調教師で、どんな先生で、どういう人間なのか。
師の管理する馬の走り、馬たちと日々向き合いレースに送り出すスタッフの仕事ぶり、間近に接するオーナーやジョッキーの表情、人となり…
いち競馬ファンにすぎない私は、自分が関わりうる見渡せるだけの範囲の、競馬の中で自分なりに知っていこうと決めたのだ。
熱烈に追いかけるとか、推すとかいうのではなく、ごく自然に競馬を楽しむうえで。
知る術も知る由もきっと、大好きな競馬の中にある。 
こうして数年のときをかけ、堅実に、着実に花開くさまを見つめつづけてきたのがメイショウアラワシだった。

同じく応援している佐々木晶三厩舎からはひと足先に、アップトゥデイトという新星が誕生した。
このうえなく幸せでまばゆい瞬間に立ち合いながら、
(安達先生のところのあの馬も、いつかきっとこの舞台に…)
と新たな夢を思い描いていた。
夢はまさにその翌年に実現し、ほどなく大願となる。
今の私には、暮れの中山J・G1を制してほしいと願う馬が二頭いる。
なんて幸せなことだろう。

いち競馬ファンである私は、今もただ“好き”という想いで競馬を観ている。
関わりうる見渡せるだけの範囲の中で、あのころは知識としてしか把握していなかった事柄を日々かみしめながら。
一勝の重み。
勝ちあがることの難しさ。
それを成し得る喜び。
重賞、G1への出走がいかに狭き門であるか。
そして何よりも、人馬ともに無事レースを終えて帰ってきたときの安堵感と感謝の気持ち。
ひとつの夢と情熱が終わり、視点と心持ちを変えたことで、閉じかけていた世界は再び大きく拓けていった。
もっと知りたいと願うことで、新たな夢と情熱を得ることができた。
馬とひととの縁が築きあげる競馬というノンフィクション・ドラマこそが、今の私にとっての夢なのだ。
勝ち上がる馬がいて、条件の壁に苦戦する馬がいて、去っていく馬とやってくる馬がいて。
師は変わらず穏やかに微笑みながら、今日も馬とひととを見守り続けている。

そして最後に。
メイショウアラワシの現在の主戦は森一馬騎手となっているが、当馬をはじめに障害馬として手がけ実戦で作っていったのは植野貴也騎手である。
詳しいいきさつはわからないが同じレースで騎乗馬が重なり、植野騎手がマイネルフィエスタに、メイショウアラワシには森騎手が跨がったのが、いわゆる節目だったと思われる。
植野騎手は(旧)梅内忍厩舎の門下生で、安達師が騎手として(障害競走への騎乗経験と勝ち鞍もある)の晩年と調教助手時代に所属したのがこの厩舎。
二人は同時期に新人騎手と調教助手として梅内厩舎に在籍しており、そのころからの浅からぬ繋がりがあるのだろう。
前述のシャロームの最後のレースに騎乗していたのも植野騎手で、その後も安達厩舎の障害馬の手綱をとっている。
私にとってはすべて、何もかもが繋がっているのだ。
“好き”が繋いだ縁で。

サンライズ出雲で上京しました。

移動手段を考えるのも旅行の楽しみのひとつ。
今回の中山グランドジャンプツアー、確実にパドックに応援幕を出すためには競馬場の開門前に現地入りしている必要があった。
なお飛行機の早朝便でもJRの始発でも微妙に間に合わない模様。
高速バス?
乗り物酔いするのでできるかぎり避けたい。
前回利用したムーンライトながら
期間外で青春18きっぷの恩恵を受けられないし、消灯をしないためアイマスクをしても眠りが浅くなり、体力的にかなりきつかった。
疲労度でいえばバスと大差ない。
新幹線で前日入り?
寝るだけの宿代もったいない。

ということで、寝ながらにして移動できる神のような手段を確保した。
ずっとずっと乗ってみたかったのだ、サンライズ出雲
週末はなかなか予約がとれないことで有名なこの寝台特急、予約開始日のお昼休みに電話をかけて、かろうじて切符をもぎとる。
それにしても、まあつながらないつながらない。
予約をとりたいほうも、電話をとるほうも、本当に大変だ。ありがとうございます。

 

 f:id:satoe1981:20160808235809j:plain
大阪駅から乗車。
北陸方面とはちょっと意外。

 

 f:id:satoe1981:20160808235825j:plain
さあ出発。


 f:id:satoe1981:20160808235846j:plain
本当は特急料金のみで乗車できるノビノビ座席を希望するもすでに完売とのことで、個室最安値のソロで予約。
毛布と枕と浴衣つき。
ゴミ箱、照明、空調、アラーム、ラジオ(自前のイヤホンが必要)完備。
暗証番号方式で施錠ができる。

 

 f:id:satoe1981:20160808235903j:plain

快適すぎてネルトスグアサ。
数に限りのあるシャワーカードを買い忘れる大失態をおかす。
朝シャワーしたかったのに。

 

 f:id:satoe1981:20160808235923j:plain

予定の7時8分を30分近く過ぎて列車は東京駅に到着。
ここから乗り継いで船橋法典へ向かう。
さてこの経路、運賃としてはふつうに大阪東京間を新幹線で移動するよりもやや割高。
目的のために前乗りして宿泊費用を捻出したりハードな移動手段を選ぶことを考えたら…というところで利用価値は見出せる。
(本来は出雲東京間を移動するための特急なのだし)
何よりも、足を伸ばして寝られるって素晴らしい!!
秋の東京もぜひこれで移動したい。予約がとれれば。
秋こそは応援幕を出せたらいいな、順調に運んで予定のレースに出走できたらいいなと祈るばかり。

※応援馬のアップトゥデイトは骨瘤のため中山グランドジャンプを回避。
これにより開門前に現地入りする必要はなくなったが、列車のキャンセル料が発生するとのこと。
せっかくなので予定通り旅を楽しんだ。
ちなみに帰路はLCC
こちらは強風による遅延であわや終電を見送るところだった。
予想外のアクシデントも旅にはつきもの。
なかなか愉快な旅路だった。

出走確定。長い道のりを経て、メイショウアラワシ

中山グランドジャンプの出走馬が確定した。
海外遠征勢が出走を辞退し、前年度の最優秀障害馬は骨瘤による回避。
さらには大障害2着馬の屈腱炎による引退…
あれよあれよという間に登録馬は減ってゆき、今年度春のグランプリはわずか10頭であらそわれることとなった。
障害競走、特に中山の大障害コースという特性上、「出られるものなら出よう!」という類のレースではないので少頭数になるのはさして珍しいことでもない。
この頭数、このメンバーだからこそ落ち着いて競馬ができる(サナシオン一強に加えて軒並みオープンで勝ち負けした馬が中心なので、比較的予想はしやすい)、という利点と妙味もありそう。
なにより、ここでこそ活路を見出せる馬がいるのではないだろうか…
そんな馬を探すのもまた一興。

 

f:id:satoe1981:20160808235304j:plain
彼の名はメイショウアラワシ。
障害馬としてはまだまだ若い5歳馬だが、3歳夏に入障して以来ハードルを跳び続けているベテランである。
トレーナーの安達師いわく「障害向きの気性」で「飛越の上手な馬」。
無難ではあるが「安心して見ていられる」とのこと。
「平地力は低い」がすこぶる丈夫で、どの競馬場のどんなコースも堅実にこなし(中でも福島が一番合っているそうな。覚えておきたい)、どういうわけか人気はしないが人気以上の着順で無事に帰ってくる。
2月21日の京都にてオープン競走を勝ったのち、前日スクーリングを経てペガサスジャンプステークスに出走。
4着とまずまずの結果で初の中山コースへの適性を示した。
陣営の視線の先には早くから大障害コースが見据えられていたのだろう。
この大舞台への参戦は悲願だった。
いずれは、もしかして、と漠然と夢に見ていたことが、長い道のりを経て堅実に花開こうとしている。
この馬を、陣営を、私はゆえあって応援している。
がむしゃらに追うとはなしに、めちゃくちゃに推すでもなく淡々と、しかし格別の想いと思い入れを抱きながら、競馬という障害競走という一連の流れの中で見つめ続けている。

歓喜の戴冠から一年。
この春にアップトゥデイトはいない。
一番いてほしかったけれど。
この馬はアップトゥデイトとは違う。
戦績も道程も何もかも。
しかし比較するまでもなく、彼は彼で、この馬はこの馬で、それぞれに見つめる理由と熱意、感情がある。
そんな存在が少ないながら何頭かいる。
何頭いてもいいのだ、競馬には。

好きなレースを好きな馬が走る。
彼らを間近に応援できる。
競馬ファンとしてこれ以上に嬉しいことはない。