うまいこといえない。

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『該当馬なし』に思うこと

2015年度JRA賞が発表された。
最優秀障害馬部門はアップトゥデイト号が受賞。
年度代表馬を狙っている。勝ち続けていきたい」とインタビューで幾度となく応えていた林満明騎手の悲願がこのうえない形で達成された。
一度は道を閉ざしたものの再びハードル界に足を踏み入れた佐々木師ならびに陣営の信念が実ったのだ。
この馬をデビュー当初から応援し続けてきたファンにしても、とても嬉しく感慨深い。

さてこの部門、全会一致の満票かと思いきやそうはならなかった。
サナシオンに。
該当馬なしに。
それぞれ一票ずつが投じられていたのだ。
これに対する反響が思った以上に大きかったようだ。
選ばれるべき馬が選ばれたこととはまた別の意図で波紋を呼んだ。
「こんな投票をする記者は何を考えてるんだ」と。

競馬というものは、やり続けて見知っていくほどに、真面目にならざるを得ないものだ。
真剣に向きあえば向き合うほどに一頭の馬の背景にあるものが見えてきて、だんだんと軽く茶化したり流せなくなってくるのだと、自身のファン生活からも痛感する。
馬や陣営を応援していても、予想をし馬券を買っていても、結果とは受け入れるべきもので、戦った彼らはねぎらうべきもので、そうなってくると
「あーあ負けちゃったよ~なにやってんのよw」
とか、ケラケラと笑い飛ばせなくなってくるのだ。
うんそうだったね、と達観し受け入れるぶんだけ言動はおさえられていく。
あるいはその逆で、真剣になるあまり深刻に思いつめ、怒ったり嘆いたり批判する方向へむかっていくパターンもあるかもしれない。

今回のことはいかにも後者だなぁと感じられた。

「誰がどうみてもアップトゥデイト一択。一年間何を見てきたのか?」
「該当レースを知らない、見ていない人間に投票権があるのはおかしい」
「競馬記者は有識者らしくしかるべき見解で公正な票を投じるべき」

散見された声を要約するとこう。
サナシオンのかたにはサナシオンに投じるにいたった主観と見えていた世界があったとして、該当馬なしの記者は前年、前々年も同じ内容の投票をしていたのだという。
障害競走廃止論者なのだろうともっぱら推察されている。
それはそれとして筋が通っているともいえるし、こんなの無効票だといいたい気持ちもわかる。
障害競走を愛するファンとして、できればレースに理解と敬意をもっている人物にこそ評価を託したい想いは私にだってある。
でも、投票する内容は、あくまで投票する権利をもったひとの自由なのだ。
そのひとの競馬に対する根本的な価値観なのだから。
事実が圧倒的にこうなのだからそのとおりに意思表示しなさい、 こんな意見は間違っている、このひとおかしい、この場にふさわしくない…
怒って論じて犯人探しのようなことをしてあぶりだしたところで、自分自身を変えるのと同じように他人を変えることなんてできはしない。
価値観の強要でしかない。

ひとはそれぞれ自身の中にひととは異なる価値観をもっている。
ファンの数だけ違うかたちの競馬があるのだ。
障害競走廃止論者云々の真偽はさておき、その記者の中では“最優秀障害馬は該当馬なし”だったのだろう。
それは不思議で残念で悲しいことだとは思うが、決して悪ではない。
何で?どうして?といいたい気持ちはあるけれど、だからといって見解をあらためよとも思わない。
ひとの価値観を否定批判する権利など、すくなくとも私にはないのだから。

ただ個人的な考えを述べさせてもらえば、意図的に該当馬なしを含む白紙投票を繰り返す記者は回答が一定数に達すると選考からはいったんはずすとか、そういうシステムがあってもいいのではないかな…とは思う。

最後に、サナシオンについて。
アップトゥデイトがいなければ一番惹かれていたのが、きっとこの馬。
とも切磋琢磨しあいハードル界を盛り上げていってほしい。
新星登場も大歓迎。
来年の今頃は三つ巴くらいで票が割れて各方面の競馬ファンによる熱い議論が…なんていうのも面白い。