うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

それはイヤだ。

自分が自分の欠点や改善点を自認して口に出すのと、他人の欠点や改善点に口出しするのは似て非なることなんだけど、それを優しさや親しさだと思い込んでる人ってわりと多い。
身内とか友達とかパートナーとか。
よかれと思って言ってくれてるのがわかるから強くは言い返せないんだけど。

どんなときもどんなときもワイはワイらしくあるためにイヤなものはイヤと言える気持ち抱きしめてたい…

変わる、情熱の温度

いま、わたしの競馬熱はいったん落ち着いている。
好きなものだけが好き、という省エネ活動に切り替わっている。
前ほど熱心に競馬の話をしなくなったし、自ら情報に触れる時間も減った。
「そもそもわたしはどうして競馬が好きなんだろう?本当に競馬が好きなのかな?」
と基本にたちかえったとき、この十数年の間でわたしの“好き”のかたちが変わってきたのは事実。
いろんなことが見えてきた。
嬉しいこともあれば、その逆もある。
時代はめまぐるしいスピードでうつりかわり、義理人情や職人とよばれる名手・勝負師たちの応酬といった、わたしの観たい競馬はもう見られないのかなという淋しさとともに少しずつ冷めていった熱もあった。
それでも。
家族にいざなわれ初めてテレビでレースを観たとき、初めて馬券を的中させたとき、初めて競馬場へ行ったとき。
敬愛するジョッキーやホースマン、好きな馬たちとの出会いと別れ…
このときめきや喜び、悔しさ、悲しみは言葉にできないくらいに大きく、ひとつひとつをまるで昨日のことのように思い出せる。
思い出はいま、じっと心の中にしまってある。
いつかまた競馬場で喜びを爆発させる日が帰ってくるまで。
これを愛といわずして何と呼ぼう。
わたしが最後に帰る場所は変わっていない。

情熱には温度がある。
ひとそれぞれ平熱が違うように、あたたまりかたも冷めかたもみんな違う。
熱しやすく冷めやすいひと。
じっくりと長いあいだ燃えられるひと。
切り換えの早いひと。
情熱の燃やしかたは十人十色だ。
想いが可視化される世の中だからといって、誰とはつかない普通のみんなと足並みをそろえる必要はない。
友だちと同じテンションで楽しめないからといって引け目を感じることもない。
自分のタイミングで、自然に熱くなればいいのだ。
この厳しい世の中を生きていれば、どんなに好きでも熱くなれないときだってある。
恥ずかしいことでも悪いことでもない。生きるために気力の配分が本能的に切り替わっているだけなのだから。
いまは特にコロナ禍による世界の変化によってそういうひとが多いように感じる。わたし自身も含めて。
生きていくって、本当にたいへん。

情熱を燃やしつづけるには燃料が必要だ。
でも大事なのは、燃料を断たれたときの受け止めかた。過ごしかた。
真面目なひとほど燃えられない自分に幻滅したり、責めたりしてしまいがちだけれど。
たとえば強すぎるこだわりや決まりごとだったり、かつて愛だった執着だったり、ちょっと形の変わってしまった大切なものをいったん手放したとしても。
一度心から求めた好きなことって、不思議と自分の元へときれいな姿で帰ってきてくれるから、わりと大丈夫だったりする。
とろ火になっても、種火になっても、いったん消してしまってもかまわない。
その逆で、燃えすぎて焦げついたり、煮詰まってどろどろになってしまうまえに。
いつお休みしても、いったん終わっても、また再スタートしてもかまわない。
好きを愛でるのは、情熱を燃やすのは、誰に何に決められるんじゃなくって、いつもわたしのタイミングで。

 

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朝活を通して、食生活を考える

ストレッチの次は、食の改善に取り組みます。
口に入れるもの大事。

毎朝、起きていちばんに白湯を飲みます。
朝食はグラノーラ
いろんなメーカーのを食べくらべする予定。
今はごろっとグラノーラのフルーツ、チョコレート、大豆味をローテしてます。
大豆味、こうばしくておいしい。

日清シスコ ごろっとグラノーラ 3種のまるごと大豆 400g

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  • 発売日: 2019/02/26
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 フルーツのときはヨーグルトで、チョコレートや大豆のときは豆乳で割ります。
オリーブオイルをスプーン一杯入れます。これは腸活の一環。

 毎日グラノーラではさすがに飽きてしまうので、ときどきは違うものも食べます。
あったかいものを食べたい日はトースト焼いてジャムを塗って、つけあわせにヨーグルトとか。
りんごが安くなったら、一口大に切って柚子ピールと一緒に和えて食べる予定。
りんごはお腹の健康のために食べたい。

昼食はおにぎりと味噌汁を持って出勤。
これも何かもうひと工夫したい。
食べものを変えるのか、飲みものを変えるのか…
でも勤務先であったかい味噌汁が飲めるの、ホッとするんですよねぇ。
味噌汁にはお米。これはゆずれない。
おにぎりの具材を考えてみよう…梅とかいいな。
ついつい便利でふりかけごはんにしてしまうけれど。

平日のおやつは干し芋蒟蒻畑、ナッツ類、ヤクルトなどなど。
小腹がすいたときにちょっと口に入れる程度。
それよりもまずこまめに水分を摂ります。
最近の干し芋はおいしいですね。
ねっとりして、半生で、“干し”というより“芋”感がより強くてホクホク。
甘くて食べごたえがあるので一本で満足感が得られます。
コンビニで手に入るものの中ではセブンイレブンの角切り干し芋が好き。
一気に食べるものではないから保存用チャックつけてほしいなぁ(なぜかほとんどついてない)。

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さて、平日をのりきったらワクワクの休日。
出かけるときや人と会うときは好きなものを食べます。
そのかわり朝晩のストレッチは必ずこなします。
「ダイエットしてるんだよね~」と気遣いさせると楽しみが半減してしまうので。相手も自分も。
やるときはやる!遊ぶときは遊ぶ!そのための節制です!

もっとも、今やってるのはダイエットというよりも体と心をととえてるという感覚に近いんですけどね。
食は人生の楽しみです。
豊かに生きていくためにもここはゆずれない。
だからできるところで、できる範囲でコントロールしていきたいものです。
ゆるゆるコントロールですけど。

筋トレと朝活で、なくした心をとりもどす

コロナ禍のストレスで激太りしました。
数字のうえでは数キロ増えただけなんですが、まあ、その、つくところに余分なお肉が。
わたしはストレスで過食するタイプ。
晩におやつを食べずにはいられなくなり。
競馬場で動きまわっていた週末は消滅。
あれよあれよという間に肥え太ってしまったというわけです。
とにかく体が重いし体調もよろしくない。
朝スパッと起きられない。日中ずっと眠い。晩はおやつ食べて夜ふかしの悪循環。
着てた服がきつくなっていく、着たい服が着られない、そもそも自粛生活で買い物にも行けない…。
なにより、見てくれがひどい。
着替えるたびに(このお腹…太もも…)と、自分をこうしてしまった自分自身を責めてしまうのですね。
「ダイエットはあしたから」なんてCMがありましたが、「明日じゃなくて今でしょ今!」と思いたった次第でございます。

というわけで、わたしが実践しているのは朝晩30分ずつのストレッチです。

www.youtube.com

アットコスメさんがツイッターのタイムラインに流してくれたので知りました。圧倒的感謝!!
一日計一時間、じっくり体を伸ばします。
メニューをいくつか選んでお腹、太もも、二の腕を中心に負荷をかけてます。
そんなにハードではないです。でもやってみるとけっこうきついです。筋肉に効いてる実感があります。
走ったり動いたりして汗をかくよりも、ゆっくり負荷をかけるほうが好きだし性に合ってるなぁと気づきました。
部活は体操部だったので昔からそんな感じです。
できる素養はあるんです!体がなまって硬くなってしまっただけで…。

1ヶ月くらい無理なく気持ちよく続いています。
前の仕事で肩を壊してからずっと両肩のバランスが悪かったんですが、だんだん楽になってきました。
自然と背筋が伸びて、お腹にぐっと力が入るようになりました。
一分一秒でも寝ていたかったのが、ストレッチ効果か自然と寝起きできるようになったので朝活をはじめました。
体をほぐして朝ごはん摂る。それだけ。
グラノーラ、豆乳、牛乳、ヨーグルト、オリーブオイル。これは日によって変わります(毎日同じだと飽きるので)。
とにかく体が軽い。
毎日心地よい疲労感とともに眠れる。朝スパッと起きられる。
依存状態になっていた夜ふかしもおやつも必要なくなりました。
筋トレは最高の自己肯定獲得ツールです。毎日つづけててえら~い。

わたしには、競馬しかありませんでした。
余裕がなくて、何も見えてなくて、ただでさえちっちゃい器からいろんなものが漏れてこぼれていました。
好きなことだけをして、詰められるだけ食べ物を詰め込んで。
でも、もっとできるはずだと自分を追い込んでいました。楽しさにかまけて欲をむさぼっていました。
競馬場へ行けなくなって心と暮らしに隙間ができたと悲しんでいたけれど、いい余白がもどってきたのかもしれません。
自粛期間のおかげだなんて言いたくないけれど、なにごとも前向きにとらえたい。
楽しみをとりあげられて以来ずっと心と向き合ってきたのだから、これからは体とも向き合おうと自然に思えたのです。

筋トレって、体をいじめて追いつめて鍛える修行みたいなものだと思っていました。
だから覚悟がいったし、つらかった。きつくて続かなかった。
できない、続かないことに罪悪感を覚えながら、しょうがないよ…と目をつぶる。そのくりかえしでした。
でもそうじゃなくて、自分で体を手入れしていたわるためのものなんですね。
だから自分の体と心に合った方法を選ぶのが大切。
なにごとも楽しくないと続かないのです。
調子のいいときはもちろん、そうでないときもよくないなりに続けていく。
たとえば今日は体調悪いので軽いメニューだけとか、何もできなかったけど朝ごはんはしっかり食べたよ!とかそういう感じでやっていきたいものです。がんばるけどがんばれないときも自分を責めない。
わたしは美人でもいい人でもないので、モテや美容というよりも意識や習慣から前向きになっていきたい。
いつも健康で豊かに生きていきたい。好きなことを楽しんでいくためにも。
ついでに体が絞れてきたらラッキーというもの。いまはそれくらいの気持ち。

 

ミルクコーヒーと、まじめと、いいねと

茶店でひと息つくのが好きです。
コメダのミルクコーヒーが特に好き。
あれは飲みものと一緒に空間も買ってる。コメダは落ち着く。あそこで手紙書いたりもする。
ホッとするついでに飲んだものを撮ってツイッターにあげたりするんですが、これが不思議とつくんですよね。
いいね!が。
何時間いや何日間もかけて推敲に推敲を重ねて書ききったブログやツイートよりも。
そんなとき、ふと、おお…そうなのかぁ…と感じたりします。
SNSとは。いいねとは。わたしの悩みや考え感じたこととは。
そう、重たいのだ。ちゃんと文章にしたら。しってる。
わたしの好きなものを必ずしもみんなが興味関心あるわけでもないし。わかる。

長いことツイッターやってると、そこで独立したキャラみたいなのができてきて、だいたい何を求められてるかがわかってきます。
わたしは馬とアイスと酒の人です。それでたまにくそまじめなブログを書く人。たぶん。
趣味の話、食べものの話、お出かけした話。
それらは誰にもわかりやすくて楽しい。だから求められるし反応がライトに返ってくる。
文字どおり、見たまんま、いいね!なのです。
わたしだってコメダのミルクコーヒーいいね!と思いながらあげてるのだから、そこには幸せしかないのです。
でもたまに、誰かの重くてくそまじめな話をこそ訊きたいし訊いてほしいんだよ~!という気持ちにもなります。
ツイッターだからでしょうか。たぶんそう。常に反応が可視化されてるからね。
もちろんそれがすべてではないのですよ。ちょっと気になっちゃうだけで。

いま、みんながみんないっぱいいっぱいなんだろうなぁと思います。
ひとの悩みや真剣さ、くそまじめさに触れるだけの心の余裕がなかったり。
それよりも癒されたい。ホッとしたいひとが多い。
タイムラインの誰かがどこかでくつろいでることで自分もホッとした気持ちになります。
いいね!の正体はきっとそういう気持ち。
だからわたしはミルクコーヒー撮ってツイッターにあげるし、たまにはくそまじめな記事も書きます。

 

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