うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

林満明騎手とアップトゥデイト、ふたりの時間

この日は4度目の挑戦だった。
冬に逆戻りした冷たい青空のもと行われた阪神スプリングジャンプ
パドックで背に跨がってから地下馬道、返し馬を経て輪乗りのさなか、ジョッキーは何度も何度もくり返し白い馬体に手を重ねた。
まるで相棒に、親友に、子どもに接するような優しい愛撫だった。
残り少なくなった時間を惜しむように。ふたりきりでの会話をかみしめるように。
障害界の鉄人は残すところあと12鞍、ジャンプレース通算2000回騎乗を区切りに現役を退くことを表明していた。
誰もが彼らの勝利を信じて疑わなかった。
きょうは林満明騎手の日だ。 

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 ゲートが開けば、あとはもうふたりだけの時間だった。
あっという間に後続を置きざりにして、悠々と。
懸命に追い込んできたグッドスカイとはじつに8馬身の着差がついた。
鮮烈で、軽やかでいて、力強い独走。
3900メートルの遥かな道のりを、ふたり旅で駆け抜けた。
さながら春を告げる嵐のように。

「次は阪神障害ステークスかな。」
愛馬が同一年J・G1連覇の偉業を成し遂げたとき、今後の展望をたずねられた佐々木晶三調教師は、今はもう存在しなくなって久しいレースの名を挙げた。
阪神スプリングジャンプがかつてそう呼ばれていた時代があった。
過去に管理馬の落馬事故により自ら障害競走への道を閉ざした16年もの歳月の重みを感じさせるには充分すぎる言葉だった。
完全に止まったままの時計。
ふたたび針をすすめたのはトレーナーの相馬眼と勇気ある決断。
見いだされた可能性をひとつひとつ現実のものへと叶えていったのが、鞍上にと選ばれた林騎手だった。
砂の雄であったアップトゥデイトをいちからつきっきりで手ほどきし、ついには障害王者にまで育てあげた。
繊細にして慎重という生来の気質に加えて心肺機能の高さとスタミナ、タフなレースを最後まで戦い抜く根性と、ジャンパーにとって必要不可欠な素養すべてをあわせ持つ名馬へと進化させていったのだ。
そして何よりも、果敢に仕掛けていく強気な騎乗が噛み合い、ロングスパートはコンビの代名詞となった。
幾多の記録と記憶に残る名勝負が生まれた。

「やっぱり強い馬に乗れないと勝てないよ。」
この馬で確信したよと、じつに30年越しの悲願を達成したのちに林騎手は述懐した。
思い出されるのはタマモグレアーと挑んだ2010年中山大障害での惜敗。
4000以上走ってきて何でハナ差なんだと勝ち馬のすぐ隣でがっくりと頭を垂れた、決して忘れることのできなかった後悔だ。
掴めるところだった栄光にすんでのところですり抜けられてしまった彼が、縁につぐ縁の重なりで“強い馬”アップトゥデイトとめぐり会った。
ノースヒルズの生産馬。
仲人でもある代表の前田幸治氏。
管理する佐々木厩舎。
周囲に引退をほのめかしさえしていた大ベテランの闘志に、運命の邂逅がふたたび火をつけた。
G1を勝ちたい。
諦めきれなかった執念につき動かされ、満を持して夢を掴んだ。
林騎手は“出会えた人”なのだ。
その縁を築きあげてきたのはむろん自身の競馬への情熱と、ひたむきに打ち込む姿勢だった。
鞍上の熱意に呼応して陣営が一枚岩となり、ダートの自条件で足踏みしていた馬はやがて破竹の勢いで最優秀障害馬にまでのぼりつめることとなる。
そして、歴代最強とうたわれるオジュウチョウサンに王座を譲り渡した今も多くの人馬たちを奮い立たせている。

長かった現役生活にピリオドを打とうとしている騎手と、齢8歳にしてなおも成長しつづける競走馬。
林騎手が引退したら、アップトゥデイトはどうなるのだろう。
誰もが抱く想いに応えるかのような快勝だった。
いなくなっても大丈夫。
自分がそう作ってきた。
俺のゴールドシップは、みんなのアップトゥデイトだ。
お手馬への揺るぎない信頼があの愛撫には感じられた。
無骨なはにかみ屋が垣間見せたまっすぐな愛情だったと思わずにはいられない。
障害一本で生きた名手がまもなくホースマン人生の第一幕を閉じる。
くしくも元オーナーの志を継ぎ黄色と黒の勝負服に装いを戻しての、阪神競馬場での勝利。
きょうという日が糧となり、来月の中山での悲願成って、やがて別々の道をゆく人馬のはなむけとなることを切に願う。