うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

船旅のすすめ

旅と競馬は相性がいい。
目的地と開催スケジュールがあらかじめ決まっているので予定が立てやすい。
予算と都合にあわせて好みの交通手段を選べるのがいい。
定番の新幹線から高速バス、LCCに夜間急行に寝台特急
試せるかぎり乗ってきた私が中でも一番好きな移動手段がある。
それがフェリー。
小倉へ行くときにしか利用できないレアな乗り物だ。
フェリーに乗る楽しみが含まれているから小倉競馬場が好きなのかもしれない。逆説的に。 

 

 f:id:satoe1981:20160809002859j:plain
大阪南港フェリーターミナルにて。
乗船前からすでに情緒たっぷり。 

 

f:id:satoe1981:20160809002919j:plain
利用するのは名門大洋フェリー。行先は新門司港
(ちなみに阪九フェリーで神戸、泉大津からのアクセスも可能)

 

 f:id:satoe1981:20160809003628j:plain
今夜お世話になる寝床。
6000円少し(インターネット予約割引適応)で個室スペースが確約される。
掛け敷き布団枕にスリッパ、コンセントと照明、カーテン仕切り付き。
レディースルーム(予約時に空きがあれば同額で指定できる)だとさらにバスタオルがつき、部屋ごとに暗唱キーによる施錠が可能に。
バスタオルが備え付けてあるということは、大浴場があるということ。
大海原を眺めながら湯船につかってサッパリ汗を流すのも一興。
(新造船ならいつでも利用可のシャワールームにパウダールームもある)

 

f:id:satoe1981:20160809003006j:plain 

 

f:id:satoe1981:20160809003046j:plain 
夜の明石海峡大橋をのぞむ。
この航路では3つの橋の下を潜る。
おおよその通過時刻がアナウンスされているので、見比べてみたり写真を撮ったりするのも楽しい。
もちろんデッキにも出られるし、わざわざ外へ出なくとも展望ラウンジで一杯やりながら…というのもいい。

この他にも船内にはバイキングレストラン、売店、自販機、コインロッカー、ゲームコーナー等、一晩を快適に過ごすための充分な設備が整っている。
移動時間としてはおそらく最長。
だけど、

気兼ねなくご飯を食べて風呂に入って足を伸ばして朝までぐっすり眠れる、そしてゆっくり身支度ができる!

ストレスほぼフリー!

体にも財布にも優しい!

というのが船旅の魅力。
船=船酔いのイメージが根強そうではあるものの、穏やかな瀬戸内海をゆく大型客船なのでそれほど揺れは感じない。個人的には。

なので関西、特に大阪近辺在住の、小倉遠征を検討している・するかもしれない競馬ファン同志には「こういう素敵な旅程もありますよ」とプレゼンをしてみたく筆をとった次第。
もちろん早く行くなら飛行機か新幹線最強なのだけれど、過程も楽しむのならあえて時間をかけて行くのもありかと。ある程度時間の都合がつくならば。

 

f:id:satoe1981:20160809003110j:plain
 一晩経って、

 

f:id:satoe1981:20160809003131j:plain
船上で迎える夜明け。 

 

f:id:satoe1981:20160809003149j:plain
こちらは朝の顔(※復路より)。

翌朝に新門司港へ到着、速やかに下船すれば無料送迎バスで小倉駅まで乗せて行ってもらえる。
そこからただちにモノレールで小倉競馬場へ向かっても朝いちレースのパドックには間に合ってしまう。
帰りも小倉駅から無料送迎バスに乗って新門司港へ向かえばいい。
乗る便にもよるが2便なら最終レースまで遊んでも差し支えない。
あまりに至れり尽くせりすぎて、これは小倉で競馬するために存在する船なのではないか説が私の中ではアツい(多少の時間の調整は必要になってくるけれど)。

そういうわけで、小倉へ向かうときはできる限りフェリーに乗る。
ほんとうに、日本全国どこへでも船で行けたらいいのに。
(新潟や北海道へは航路がないこともないが、敦賀舞鶴まで出なければならないうえ時間と曜日の兼ね合いがうまくいかない。残念!)

 

f:id:satoe1981:20160809003208j:plain
最後に乗り物おまけ。
小倉といえばモノレール。
ラッピング車両に遭遇できたのと、ICカード(私は関西人なのでICOCA)で改札パスできるようになっていたのがさりげない感動だった。
来年もぜひ乗りたい。乗ろう。

ホウライアキコ入障。才能に二度出会う。

西の夏競馬開催を告げる7月最終週。
小倉サマージャンプが行われるまさにその数時間前、もうひとつのメインレースが静かな注目を集めていた。
どうか止まらないでと、きっと見守る誰もが祈っていたであろう障害未勝利戦。
かつての小倉2歳ステークス覇者は小倉の地で鮮やかに返り咲いた。
 
ホウライアキコ、障害デビュー。
悩める重賞ウイナーの次走を示唆するニュースは瞬く間に広がり、ほどなく障害試験を94秒5という破格の走破時計をもってクリアしたことはさらに大きな話題を呼んだ。
重賞を2つも勝っている5歳牝馬の進路としては極めて珍しく、その理由を「試しに障害を飛ばせてみたら抜群にうまかった」とトレーナーが話したというのだから、ハードル界に久々の女傑誕生かといやがうえにも期待は高まった。
またスプリンターとしての彼女を知る競馬ファンの間では賛否両論が入り混じった。
いつのときも入障をめぐる声というのは、そう変わるものではない。
 
障害競走に新馬戦が設けられていない以上、来た方向を転換しての未勝利戦からしか参戦の道はない。
そのためには厩舎の方針とノウハウ(調教に参加可能な障害騎手の存在と常日頃からの信頼関係)、可能性を見抜く目、そして何より前へと進む勇気が必要。
もちろん調教と実戦は別物なので、レースへ行くのはほとんど賭けに近いと思われる。
困難な状況下にあってなお、ひとが馬を信じたからこそ私たちは新たな才能に出会えるのだ。
 
かくしてホウライアキコは二度、再び才能の花を開かせた。
平地競走で見せた天性のスピードそのままに繰り出される流麗な飛越。
追跡者に影すら踏ませず、ついには7馬身差の逃亡Vで魅せたのだった。
手綱をとったのは先日1000勝を達成した平障二刀流の大ベテラン、熊沢重文騎手。
勝者たちが帰還した瞬間、ウイナーズ・サークルは興奮とあたたかな祝福にわいた。
 

f:id:satoe1981:20160809001208j:plain

課題も見えた。
初障害ということもあり、後半にやや危うさを感じさせた飛越の質とスタミナ面の懸念だ。
レースグレードが上がれば距離も延びる。
が、これらは経験を積むことによって、鞍上とのコンタクトによっても改善していけるだろう。
私が目の前で観ていて一番感じたのは、彼女自身のありあまるセンスとこれからへ向けての可能性だった。
走るごとに、飛ぶごとに、きっとうまくなる。
確信というよりも、そうなってほしいという願望だった。
この恐るべき才能にふたたび出会えた驚きと喜びとときめき、さらなる進化を見守っていけることへの感謝の念に他ならなかった。

入障は決して嘆かわしいことではない。
リスクは確かに高い。
不安で怖くて心配で、ひとによってはあまり喜ばしいことではないと感じるかも知れない。
しかし戦い抜いて生き残ってほしい、願わくばもう一度輝いてほしいという、馬に携わるひとびとの切なる希望であり可能性のひとつとしてあるのが障害競走なのだと思う。
障害未勝利戦は、いわば、二度目のメイクデビューなのだ。
馬を信じた陣営を、馬に携わるひとびとを、勇気ある決断を、そして何よりも馬自身を。
いち競馬ファンとして私は信じて託したい。

この道を選ぶ人馬の無事と成功を心から祈り、これからの活躍を楽しみにしている。

競馬に出会ったら人生が変わりました

競馬に出会う前、私は何をしていただろう。
まだ世界が小さな箱庭だった頃の、それほど遠くもない少し過去の話をしてみようと思う。

二十代半ばを過ぎたとき、私はある大失敗をやらかした。
罪を犯しただとか物理的、法的に他人様に過失を与えたとかでは決してなく、しょうもない自爆だったとだけ言っておく。
世界も人間も自分でさえも好きになれず、何ものにもなれずにいた私の人生はわずか四半世紀と少しで大いに詰んだ。
あとには絶望しか残らなかった抜け殻の私を迎え入れてくれたのは家族だった。
かくして実家で再起を図ることとなったのだが、心は壊れかかっていた。
が、しかるべき医療機関で診てもらった結果、異状はまったく認められなかった。我ながら頑丈なことだ。
カウンセリングにも少し通ったがすぐにやめた。話したい相手はカウンセラーではなかった。
家族や周りの人間は「がんばって元の私に戻って」と口に出しこそしないが、そう願っていたであろうことは無言のプレッシャーとして伝わってきて、それがしばしば私を追いつめ苛立たせた。
元の私とは何ぞや。
今の私も私なのに。
がんばれって、がんばりすぎてこうなったのに、これ以上まだ何をがんばれというのか。
やっぱり誰も何もわかってくれない…

間違うこと失敗することを極度に恐れ、友達にも家族にも誰にも苦境を打ち明けることができずに、限界を超えて抱え込んだものが積もりに積もったすえの自爆だった。
全てをリセットして原点回帰した今も私は誰にも何も、希望はおろか不平不満でさえ口にすることができない。
この世のあらゆるすべてに対して後ろめたく、絶望を超えて自己嫌悪の念に苛まれた。
そんな月日がしばし続き、その間していたことといえば、就職活動のちに仕事を除いては、ゲームと二次創作だった。
子どもの頃から続けてきた唯一の趣味だった。
ロールプレイングゲームの中の登場人物と物語に没頭し、劇中で語られなかったあれやこれやを夢想し、推し量って文章に落とし込む手遊び。
これがあれば自分は見たいものを見て、したいことをして、何かを感じ考えながら生きていられると思っていた。
それらをとても愛していたことは事実だったが、現実逃避に他ならなかった。
手の中の完成された箱庭がその頃の世界の大半だった。
競馬に出会うまでは。

運命の瞬間はあっさりとおとずれた。
誰も何も好きではなかった私が、私を分かってくれないと思っていた家族の導きと手ほどきを受けて馬券を買った。
談義に談義を重ね予想をした時間の長さに比べて、実際のレース時間のなんと短いことか。
駿馬たちは一瞬の風のように走り抜けていった。
自分の胸の内にぽっかりと開いていた穴を埋めるように。
それは今までに感じたことのない衝撃だった。
私が競馬とは予想とは何たるかをよく分からないままに賭けた金と数字の向こう側に生き物がいる。
馬とひとが共に生きて呼吸を合わせて、広大な馬場を命がけで駆けている。
そのさまに圧倒され、世界の広さ大きさと美しさを知った。
なんて綺麗なんだろう。
そうか、世界とは命そのものなんだ。だからこんなにも美しいんだ、と。
なんともいえないすがすがしい感情で胸がいっぱいになって、誰も何も自分さえも好きではなかったけれど、何をどうがんばるかなんて分からないけれど、先行きが見えるわけではないけれど。
もうちょっとだけ生きながらえてこの美しい世界の続きを見ていたい、と心から思った。
完結された手遊びの小さな箱庭から、自分以外の誰か何かがいる広い世界へと足を踏み出してみようと思えた。
きっと勇気が要るけれど、私には家族も友達もいるのだから。

世界を知りたい、ひとを知りたい、自分自身を知りたい。
どこかへ行きたい。
本当はずっと願っていたのに、私を抑圧していたのは他ならぬ自分自身の陰だった。
私が自分自身を分かっていないのに、ひとに自分というものを分かってもらえるわけがない。
まずは私が自分自身を理解し、自己否定の念を解き、そのうえで自分自身を認め許すところからはじめなければならなかったのだ。

競馬との出会いは我が人生における大きなターニングポイントとなった。
引け目と負い目しかなくうまく対話すらできなくなっていた家族とのやりとりは必然的に増えたし、予想と馬券を通じて間違うこと失敗することなど何ということもない些細なことだと知ることができた。
競馬場へ足しげく通うようになった。
馬とひとの姿に、まずは自分以外の誰か何かに託す夢を見出すようになった。
したいことや行きたい場所が次から次へとでき、次第にそれが自分自身の夢や目標になった。
小さなカメラを持つようになった。
ひととの出会いにも恵まれた。
拙いながらも他者に思いの丈をぶつけることも、できるようになっていった。

競馬が好き、馬が好き、馬に携わるひとが好き、競馬を愛するひとが好き。
家族が好き、ひとが好き。
そんな自分をちょっと好きになれた気がした。
道のりはまだまだ長いけれど。
私自身が心を開いて物事に向き合っていける限り、これからも縁や喜び楽しみの連鎖は続いていくことだろう。
だからこそどんな苦境にも立ち向かっていけると今ならば確信できる。

かつての私が執着したあの小さな箱庭は、今も胸の奥底にしまってある。
情熱が褪せても、心を割く時間や労力が次第にすり減っていっても、愛着ゆえに捨てることはできなかった。
これまでの自分自身そのものだからだ。
作られた世界であれ、手遊びの真似事であれ、幼く若かった私に夢と安らぎを与え続けてくれたことに何ら変わりはない。
いったん蓋を閉めたのは、同時にふたつ以上のものに傾倒できない自らの不器用さゆえだった。
いつの間にか心を割く比重が逆転していたのだ。
しかし、想像し表現することに対しひたむきにさせてくれたあの年月の積み重ねがあったからこそ、競馬というまったく異なるものを愛するようになった今もなおこうしてツイッターやブログというかたちで書くことそのものを続けている。
うまくいえるわけではないけれど、確実ではないけれど、私が誰かに何かを伝えるための最も好きな手段であり作業なのだ。

生涯現役でいたいと思ってはいるものの、人生何が起こるかは分からないものだし、あの箱庭を手放したときのように様々な事情から、いつの日か競馬を手放すときがいずれ来るのかもしれない。
しかし、捨てはしないだろう。
一度は愛したものだから。
捨てさえしなければ、ふたたび拾うことができる。
縁というつながりがあれば何度でも。
そういうものを、これからの人生の彩りとしていきたい。 

競馬の中の神様のお話。

逆神という言葉を近ごろよく目に耳にする。
競馬、ことに馬券に取り組んでいればいやがうえにもついてまわるこの言葉、負けが込むと乾いた笑いとして消費されてしまうこの風潮。
どうにも一方的に自虐的で、私は一緒になって笑う気になれない。
まわりまわって自分だけでなく自分以外の他人への否定にもつながる気がして。
いくら渾身の予想をしたところで競馬をするのは馬と馬に携わる人間だし、自分以外の何者かの行動を予測するだなんておよそ不可能に近い。
だから面白いしやりがいがある。
予想をして馬券を的中させるというのは、奇跡のような神業。
なので、外れて当たり前。
だから、当たったら嬉しい。
恥じる必要も、ひとを笑う理由もない。

馬券とは、いわば具現化された自らの信念。
予想とは、元をたどれば「こうなったらいいな」という願望。
「この馬をひとを信じたい、大事なものを託したい」という強い決意のあらわれ。
願ったのなら信じてみよう、信じたのなら黙って託そう、結果は甘んじて受け入れよう。
結果如何で自虐と自責に走って苦しんだり、自ら楽しくない方向へ行ってしまうのはもったいない。
思い通りにいかないものを追い求めるからこそ競馬は楽しいのだから。

ほかにも似たところでは「自分が現地へ行くと応援馬や騎手が勝てないのでは…」という、熱心なファンならば一度は陥ったことのあるであろう切実な悩み。
私たち競馬ファンが愛し憧れてやまないものたちは途方もなく強い存在であるはずだ。
心おきなく、好きな馬やひとには会えるときに会う。
買えるときに馬券を買う。
そうして思うさまに応援して、たとえ負けたり悔しい結果に終わったとしても、手の内には確かな思い出を得ているはずだ。
消えぬ後悔が永遠に残されるよりずっといい。
大好きなあの馬このひとと今日を限りに会えなくなってしまうかも知れないのが競馬の怖さ残酷さ、現実でもあるのだから。
いつ会うか。いつ買うのか。
今この瞬間しかない、くらいの気持ちでちょうどいい。
曖昧で不確かな何かを恐れてせっかく繋がった縁を断ち切りかねないのは本当にもったいない。
好きだから会う。応援しているから買う。
それ以上の動機があるだろうか。ないでしょう。

逆神はいない。
レースの当事者にも、馬券を買ったファンにも、誰ひとりとして悪者はいない。
駿馬たちが駆け抜けたターフにはただ過程と結果が蹄の跡とともに刻まれるだけ。
そこに意味と意義を見出すのが競馬ファンであり、馬に携わるひとだったりする。
念の力で人馬の到達順位を下げる神なんてどこにもいないのだ。
もしも神と呼ばれる存在があるとすれば、どこかで笑っている競馬の神様くらいのものだろう。
神は信ずる者それぞれの心の中にいる。

カメラを持って競馬場へ。

開催が終わり、日が暮れてひと心地ついたころ、ぼちぼち風呂も晩御飯も済ませた頃合いだろうか。
競馬場から帰ってきたひとたちの思い出がツイッターのタイムラインにならびはじめる。
思い思いに撮られたそれぞれを眺めながら今日一日の出来事をふりかえる時間が好きだ。
私もまた、気に入ったものが撮れたときはコメントとともにツイートする。
カメラを手にするようになって自ら撮る喜びを知った。
これまではひとに分けてもらっていた思い出を、自分の目と手で自由に切りとっていける至福を日々感じている。

私が初めて買った旧型のデジカメにとって、競馬場はあまりに広く遠すぎた。
だからというわけではないけれど、最愛のジョッキーの姿はほんの数枚しかおさめられていない。
今にして思えば若気の至りでしかないのだが、あまりに敬愛の念が強すぎてレンズ越しでさえ畏れ多くて、そしてなにより恥ずかしくてシャッターを切れなかったのだ。
そんななかで奇跡的に撮っていた数少ない習作を挙げてみる。

 

f:id:satoe1981:20160527035931j:image

 

f:id:satoe1981:20160527035953j:image

 

f:id:satoe1981:20160527040015j:image

 パドックを周回するプロヴィナージュと佐藤哲三騎手の姿が、ものの見事にピンボケしている。
馬のからだが途切れていたり(とんでもない!)、ひとの頭が入っていたりと(これまたとんでもない!!)、ただ撮るにまかせただけの写真ではあるが、下手くそなりに、人混みの隙間から苦心して撮りたかった理由がありあまるほどにあった。
私を彼と引き合わせてくれた彼女は、これからも競馬を好きでいるかぎりずっと私の最愛の馬でありつづけるだろう。
出来の大変よろしくない写真でも、今より幾分か若かった自分があのとき勇気をふりしぼって撮ってきたものがこうして確かなかたちで手許に残っている。
その事実に心が慰められる。
眺めているだけで、つい昨日のことのように胸が熱くなる。
だから新しいカメラに買い換えた。
昨年の初夏のころ、ふと思い立って福島競馬場へ経つ直前に。
もっとちゃんと撮りたいと思った。
大好きだった彼も彼女もターフを去って久しかったが、彼と彼女を好きでいつづけたからこそ繋いで繋がれて今もなお広がり、繋がりつづけている縁を大切にしていきたかったからだ。

目の前にいることが当たり前だったときは、自分の目と心こそがもっとも優秀なカメラだと信じて疑わなかった。
しかし記憶というものは、何度も取り出したり眺めたり仕舞ったりを繰り返すうちに色合いや手触りが変わってゆくものだ。
想いという補正を加えながらかたちを変え、美化され、あるいは脚色され、やがて本来の姿から遠ざかり、曖昧な輪郭になってゆく。
文字が示すとおり、思い出として昇華されてゆくのだ。
思い出は思い出として美しいものに変わりはないけれど。
目の前からいなくなったことで、人間は忘れゆく生き物であることをあらためて痛感すると同時に、記憶を呼び起こすためのたしかなものを残したいと思った。
私は想いこそ文字にしたためているが、それは限りなく純度の高い主観でしかない。
呼び水とするにはそのとき起こったありのままを客観視できるものが必要不可欠。
なにものにも左右されないたしかな目が要る。
若さに驕った思い込みをあらためるところから、第二幕がはじまった。

二代目にして今の愛機はカシオ製のコンパクトデジタルカメラ
高機能、小型、軽量を重視した、いわゆるコンデジと呼ばれるもの。
もう少し頑張ればミラーレス一眼カメラに手が届かないこともなかったが、悩んだうえであえてこちらを手にした。
カメラを持って競馬場へ行くのか、写真を撮りに競馬場へ行くのか。
ここが分かれ目だったのだろう。

私の競馬場での一日は多忙を極める。
パドックスマートフォンのなかの馬柱を見比べながら予想をし、マークシートを塗って発券機で紙の馬券を買い、本馬場でレースを観戦し、ことによっては払い戻しをしてから、そしてまたパドックへと引き返す。この繰り返し。
さすがに途中で休憩を入れるものの(このごろはUMAJO SPOTでひと息ついている。とてもありがたい)、朝から最終までほぼ立って歩きながら一日を過ごす。
現地へ足を運んだからにはライヴ感を味わえるだけ味わい尽くしたいからだ。
とにかく体力を使うので装備は最軽量で臨む。
帰りの電車にようやっと乗り込んだときには心身ともにくたくたに疲れはてている。
寄る年波には勝てない。

もしも、さらにここにずっしりと重みのある高価な機材が投入されたら…
と、幾度となく想像してみたのだ。
もちろん実際に手にすれば撮ることを純粋に楽しめるに違いない。
シャッターを切ればより綺麗な画が一瞬にして切りとれる。
そのための修練もいとわないだろう。
楽しくないわけがない、嬉しくないわけがないからだ。
しかし競馬場で納得いく写真を撮るということはやはり、ただ手遊びで撮りたさに任せて撮るだけではない、撮りたいものを撮るための下準備だとか努力だとかがある程度必要になってくる。
真摯にとり組もうとすればするほどに入念なものになるだろう。
好きな馬やジョッキー、陣営の様子を最高の構図でとらえたい。
そのためにはまず撮れるポジションを確保しなければならない。
レースのグレードによっては開門前から並んだり走ったり場所取りをしたりするのだろう。
それほどでなくとも、フレームの内にギャラリーは極力入らないようにしたい…
もしも自分がこれらを完璧にこなそうと思ったら、今ある楽しみのいくつかをあきらめなければならなくなる。
人混みのなか重い精密機械を身体から下げて、撮ることに集中しながら馬柱をにらんだり、マークシートを塗ったり、小銭を出して馬券を買い求めたり、パドックから本馬場からと軽快に歩きまわれるとはおよそ思えない。
できたとしても、どれもがなにかしら中途半端になってしまうだろう。
そこまでしなくても撮ること自体はできるのだろうけど、自分はくそまじめで融通がきかないので撮る楽しさを追求するあまり、やるからにはとことん徹底したくなるに違いない。
いっそカメラに傾倒する道もあるが、しかし私の楽しみは競馬のなかにこそあるのだ。

私にとっての競馬というのは、目の前の馬とひとであり、予想と馬券であり勝ち負けであり、レースでありスポーツであり、ドラマであり物語であり、そのあらゆる全ての結果である。
思い出として残したいものは全てそこから生まれる。
覚えていたいからこそカメラを手にとった。
手段であり、目的ではない。
だからコンデジを選んだ。
要するに、競馬のなかの全部を選び取りたいのだ。
とんでもなく不器用なくせに欲張りなのだ、私は。

というのはあくまで自分基準に考えた場合の結論なので、違う方法論で楽しんでいるどこかの誰かへ向けたなにかでは決してない(全てを両立できるひとも存在するだろうし)。
むしろ純粋に撮ることに特化できる、対象に没頭できる才能には憧れと感嘆を禁じえないのだ。
自分にはできないからこそ、その道を選ばなかったからこそ。
カメラは機材であり道具である。
愛機、相棒と呼ぶひともいるだろう。
重要なのは持つひとにとってどんな道具なのか、という点だ。
あえて例をあげるとすれば、画材ととらえるのか筆記用具ととらえるのか、だと私は思っている。
撮ることそのものを楽しみ、無機のなかで有機を、揺れ動く感情のうつろいを巧みに切りとれるひとにとって、カメラは絵筆なのだろう。
真実、すばらしい写真は絵画に勝るとも劣らない芸術となりうる。
さしずめ私にとっては記憶を書き留める万年筆といったところ。
事実を記録するだけなら造作もない。
しかし早く簡単に文字を書けるからといって、ただただ書きなぐるのではいかにも味気がない。
筆記用具にも正しい持ち方、使い方がある。
綺麗な字でしっかりと、きちんとした文章をしたためるにはやはり日ごろの精進が必要。
感性を研ぎ澄ますことも大事。
ペンや筆だって使い方次第で画を描けるのだ。
そのために今持っている愛機を理解し、腕を磨き、大切に使いこなしていきたい。
楽しみながら、できる範囲で。
そうして撮れたものは愛おしい記憶の元であり、いち競馬ファンとしての観戦記録であり、時が経っても決して忘れたくない思い出であり、永遠の習作でありつづける。

競馬が好きだ。
競馬場には会いたい馬とひとがいる。
憧れてやまない景色が無限に広がっている。
だから明日も私は、カメラを持って競馬場へ行く。