うまいことはいえないが。

書きたいように書いていたい。自分を救いたい。誰かになにかを伝えたい。

赦してくれる人

趣味を通して出会ったけれど、わたしが趣味をやめても赦してくれるだろう、と思える人がいる。
わたしはもう趣味をやっていないし、相手が趣味の話をしようがしまいがその人自身が好き、という人。
思いがけず離れた人もいる。わたしからだったり、相手からだったり。
SNSはすべてを可視化する。
意図はわからずとも、有るリアクションには必ずなにか意味がある。
わたしとわたしの書いたものを赦したわけではなさそうだけれど、あの頃に覚えただろう嫌な気持ちは少しでも薄れただろうか。
そうなっていればいいのだけれど。

傷つけ、傷つき、傷つかれ、傷つけられたことは、なかったことにはならない。
誰かの心が覚えていればいつまでもありつづける。
だけど気持ちも記憶も月日が経つとともに、何度も思い出すたびにゆっくりとかたちが変わっていくものだから、目に見えないだけでその人の中ではなにかが変わったのかもしれない。考え方だって、受けとり方だって、きっかけひとつで変わっていく。
それを見せてくれ、話してくれというつもりはまったくない。
わたしの中でも変わったものがたくさんある。忘れることはないけれど、赦したいし、赦されたい。
ぜんぶ抱えながらわたしはただ居るだけ。
そうすることを赦してくれる人もいる。
だから思い出を残したまま、新しくやりなおせるって思えるのだ。