うまいこといえない。

うまいこといえないひとがつたないなりに何かを残し誰かに伝えたいブログ。

もうそろそろ終わりにしよう

わたしが傷つけてしまった人のことを、まだ時々思い出す。
その人にわたしも傷つけられたことと一緒に。
自分の持ってないものを持っている人にも、その人なりの辛さや悩みはあって、苦しみも幸せも人それぞれである。
人を羨むのも見下すのも、たぶん表裏一体。受けとりかた次第。
そんなのあたりまえだけど、我がつらさや悩みを心の中で感じること、文章につづることくらいは赦してほしいし赦されていいとも思う。
間の悪いことに、わたしがそのとき抱えてきた苦しみを具現化したものが、その人を刺してしまったからややこしくなってしまった。
事故みたいなもんだ。
「嫌なら見るな」は暴言ですよね。見ちゃったんだから。見えちゃうんだから。
ブログを書くってそういうことだ。
「言葉は刃物」なのだ。ちなみに「麒麟がくる」で一番好きな台詞だ。
返答のようなその人のブログを後日うっかり読んでしまって、わたしも傷ついた。
そうか傷つけてしまったんだ。と。
なんでそんなこと言われなきゃならないの?空中リプライみたいに。とも。
そのころのわたしは、結婚なんか望んでいないのに結婚できなかった、普通になれなかったことに苦しんでいた。
そのころのその人は、自分自身の性格やパートナーとの暮らしのはじまり、結婚生活に悩んでいたみたい。
あれから数年経って、不惑を迎えて、まったくないといえば嘘になるけど、もう結婚についてはなんとも思わない。
するのもしないのも人それぞれ。
している人を「できてるじゃん、普通になれてるじゃん」とも思わないし、「できてるからいいじゃん、幸せでしょ、何を悩んでるの」とも思わない。
できなかった自分をだめだとも普通じゃないとも思わない。
普通とか〇〇すべきとか、もうどうでもいい。
でも、かつて思い悩んでいたことが人を傷つけた。
わたしのような人や、そうでない人を。
どこへいても何をしてても、生きていく限り人は何かに思い悩むものなのに。
わざわざブログに書くってそういうことだ。
わたしはわたしの想いをどうにかして生きていくためだけに書いているけど、それを読んでしまう人が当然いる。
だから覚悟をしなおした。
だから読む人にもいると思ってる。覚悟は。

わたしはたぶんずっとひとりでいる。
母と暮らして母を看取ってひとりで死ぬ。その覚悟と心づもりができた。
他人と一緒にいることが難しい。向いてない。心を開けない。気を遣ってしまう。それがしんどい。
変えられない自分の性質にも折り合いと諦めがついた。
もう他人を羨んだり、ありもしない普通を求めることもない。
普通でない自分を特別視してるなんてその頃から夢にも思わなかったし、見下してるなんてもってのほか。でもその人はそう感じたってことだ。その人にはそれが真実。
その人のことはたぶん一生忘れられないけど、もう自分がこういうふうに変わったと伝える手段も、そのつもりもない。とうの昔にかかわりがなくなった人だ。
かかわりがなくなったのにしばらくブログは読んでくれてたみたい。ぜんぜん気づかなかったけど。
この一件以来ブロックされてるしね。それが答え。
わたしはべつにブロックもミュートもしていない。
万が一何か言いたくなったらどうぞ、という感じで門は開いておいてある。
でもわたしからは向こうへ行くことはない。

もうそろそろ終わりにしよう、このことは。
もう充分悩んだじゃない。
覚悟を決めなおしたじゃない。
わたしはずっと書いていく。生きていく。そのことだけは自由だ。