うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

Beautiful World

実はちょっと危うい時期があった。
前向きに生きるのをあきらめていた時間が。
まだ半分くらい魂が向こうへ行ったきり帰ってきていない。
今ゆっくり呼び戻しているところ。
死にたいというより生きていたくなかった。
生きていたくないというより人生がしんどい。
人生がしんどいのはうまくいっていないから。
うまくいっていないのは、自分自身なのか、暮らしなのか、仕事なのか、人間なのか。

何もかもが嫌でしんどいのに、プロ野球阪神タイガース戦とサイクルロードレースジロ・デ・イタリアはほぼ毎日観ていた。
野球はもともと家族の娯楽で、自転車はもともと弟の趣味だ。
暮らしをともにしているうちに便乗するかたちでわたしも見知って、いつのまにか好きになっていた。
そしてこれはいつものことだけど、わたしは布教者よりも布教された対象に深くハマる。競馬がその最たる例だ。
もうみんなとっくに離れてしまったのに、わたしだけがいまだに残っている。
惚れっぽくて、凝り性なのだ。
興味をもって、調べて、知識をたくわえていく過程が好きだ。
心の中で愛と情熱をはぐくむ時間が好きだ。
何か誰かを好きでいる状態は心地よい。胸は騒ぐのに、気持ちが落ち着く。
こうして好きになったものがわたしを生かしてきたといっても過言じゃない。
生きていたくなかったあいだ、野球と自転車と競馬で「もっていた」。
好きなものを好きでいることで、わたしは人間として生きていられた。
それらは観戦という名の、生きなおしの時間だった。

思い起こせば、死にたいと思ったときに寄り添ってくれたのはいつもスポーツだった。
世界は美しいと思わせてくれたのは、いつだってスポーツだった。
魂が持っていかれそうなときもあちら側から帰ってこられたのは、スポーツを通して生きることを見つめなおせたからだ。
人が前へ進もうとする本能ってすごいな。
困難を乗り越えて何かを成し遂げようとする意志の力ってすごいな。
自分を信じ、他人を信じるって勇気があるな。
苦楽をともにしてくれる仲間がいるって素晴らしいな。
わたしにもいるんじゃないのか、そういう存在が。
あるんじゃないのか、ちょっとくらい、気概とか気力みたいなものが。
スーパーマンの彼らみたいなすごいことはできなくても、ただ生きて、何か誰かを好きでいることくらいならできる。
もうちょっとだけ自分を赦して、あるいは励まして、家族や友だち、周りの人を信じてみることくらいはできるんじゃないのか。
なぜなら、ぜんぶスポーツから学んだから。
愛すること。信じること。過程と結果を受け止めること。
そして、自力で前へ進むこと。

人間は強い。世界は美しい。そう感じるたびに、やっぱり生きてみようと思える。