うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

キズナと二人の騎手のこと

京都記念
約9ヶ月の休養を経てあの馬が帰ってくる。
詳しいあらましは省く。
鞍上はもちろん、第80回日本ダービーキズナと共に制した武豊騎手。
私が望みつづけてきた、あの馬の背にいつづけて欲しい騎手は世界にただひとりだった。

2012年11月24日。
悪夢のような事故が起きた。
競馬のない世界へ行ってしまいたかった。
逃げ場はどこにもなかった。
目と耳を塞ぐこともできなかった。
競馬に関わるということは、ダービーまでの道程を見届けること。
私は競馬ファンとして武豊騎手を尊敬しているし、素晴らしい人だと思っている。
ユタカさんが嫌だ何が不満だということでは全くなく、キズナには哲三さんがよかった。
理屈ではなかった。
悔しい、悲しい、苦しいというどうしようもない無念の感情だった。
佐藤哲三騎手のファンとして、私は自分の感情がそう思うのを止めることができなかった。
恥じたこともない。隠すつもりもなかった。
言葉には極力しなかったが、おそらく心からは洩れていただろう。
快く思わない人もいたはずだ。
しかし心が思うことを制御できるものではない。
心の在り方は自由で、人には自由に何かを思い考える権利がある。
何度も何度も何度も心に思い、書いては消し、消しては書き直し、ついに形にできなかったものを幾つも幾度も昇華してきた。
心が思うのを止められなくとも、その想いをどうすべきか、どうしていくべきか。
行くべき道ははっきりと見えていた。

だから今こそ話す。
決してはき違えないように。
第80回日本ダービーキズナと共に制したのは武豊騎手だ。
私が望んだ結末にはならなかった。
あの背にいつづけて欲しい人はいなかった。
だからこそ勝者を讃えることに強い意味と意義があった。
自らの感情にとらわれるあまり、目の前の事実を受け入れず、敬愛する人を貶めたくはなかった。
私は競馬ファンとして、佐藤哲三騎手のファンとして、キズナと陣営そして武豊騎手を讃えた。
この気持ちに一片の嘘偽りもない。

キズナと彼をとりまく人々の幸いを、最善を、最高の結果を、心から願い望む。