うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

転厩しても、愛してる

アマルティア号が転厩した。
いわずと知れたダート界の雄エスポワールシチー号の半妹だ。
兄を手がけた安達昭夫厩舎に所属していたが、馬房調整の目処が立たず、作田誠二厩舎に預託されることになったという。
幾度かの惜敗を重ね、スーパー未勝利戦をラストチャンスで勝ち上がり、さあこれからというところだった。
彼女はターファイトクラブの募集馬で、あいにくと私は出資者ではないので詳しいことは分からない。
まず管理馬のページから彼女の名前がなくなっていることに気づき、次に消息をたどって、散見される出資者の声を拾って事の次第を把握しただけにすぎない。

アマルティア号について見知っていることを少し。
彼女は線が細く、ゲート試験も含めデビューまでにやや時間を要した馬だった。
デビューしてからも乳房炎で熱発したり脱臼、喉鳴りの疑いなど決して順風満帆な道のりではなかったようだ。
華奢なイメージに反して追い切りでは前の馬を追いかけていくような気の強いところがあるらしい。
芝のレースでは伸び悩み、路線をダートに切り替えたところ少しずつ走るようになった。
同じく半兄を手がけた森崎調教助手が担当しており、パドックでいたわるように曳いている様子が印象的だった。

安達昭夫調教師について見知っていることも少し。
メイショウの松本氏やマヤノの田所氏、サウンドの増田氏等、知己の個人オーナーとの取引が大半を占める厩舎で、このアマルティアや友駿ホースクラブの募集馬であるエスポワールシチーの存在は稀有といえる。
レース選択や鞍上などは比較的決まった枠内から采配するが、ここぞという勝負をかけるときは上位騎手への依頼や、時には連闘での出走も辞さない。
いわく『いいときに使っていくのも勇気』とのこと(出典は優駿誌での杉本清氏との対談)。
各馬の状態を見定めたうえで、一度入厩した馬たちはおよそ中一週から中二週の間隔で一開催いっぱいレースに臨む(もちろん馬による)。
リーディング上位に名を連ねる厩舎が望めるような際立った良血馬、素質馬を欠いた状況で、できるだけ数を出して稼がねばならぬ、勝ち上がらせなければならぬという現実的な問題もあるのだろう。

それにしても、“馬房の調整がつかない”とは具体的にどういう状況なのだろう?
勝ち上がれる見込みが薄く厩舎にとって優先順位の低い馬は後回しにされて…とか、放牧先で放置されたまま出走機会を与えられず…などという声は一口界隈ではよく聞かれるが、どうも腑に落ちない(それさえ想像の域を出ない話ではある)。

先生、そんなひとかなぁ?
ここ、そんな厩舎かなぁ?
いま、そんな状況かなぁ?

と真っ先に感じてしまったのだ。
なによりアマルティアを積極的に手放したい理由が見当たらない。
現在の馬房数は20。管理馬は39頭(うち彼女と同世代の4歳馬は10頭)。
もともとこの馬に関してはデビュー前から慎重に慎重を期していたところがあった。
勝ち上がって放牧へ出たのち次走は年明けというアナウンスもされている。
その間、いや預託期間内に、厩舎とクラブとの間にいったい何が起こったというのだろう?

当然ながら私は、経営者としての安達師の顔を知らない。
いち個人としての姿はなおさらのこと。
競馬調教師としての人物像さえも充分に把握できていないのだろうと思う。
こちら側からはほとんどといっていいほど知り得ない情報だからだ。
ジョッキー以上に実態をつかみづらいのがトレーナーだ。
そこを知ろうと思えば、厩舎ごとの管理馬の動き、実際のパドックやレース、コメント等をみて推し量るしかない。あくまで推し量るまで。
たとえば今回のように“馬房調整がつかないから転厩ですよ”とクラブ側から言い渡されたとして、おそらくその言葉の裏には様々なやむにやまれぬ事情が込められてはいるのだろうが、当人らの口から全てが語られないかぎり、こちらが何も知り得ないかぎりは言葉の通りに受けとって受け入れるしかないのだ。
ひとくちに転厩といっても、めちゃくちゃに喧嘩別れしたのと、双方の摺り合わせのうえで致し方なくそうなったのと、前向きな検討のうえとでは印象は全く変わってくるが、残念ながらこちら側から真実を知るすべはない。
だからといって関係者側にいわゆる突撃のようなことをしたりして、暴いてやろうとも思わない。
ファンが一番してはいけないことだからだ。
そうか、よっぽどの何かがあったのだろう、残念だなぁ、と嘆きこそすれ、誰かに憤ったり結果を責めたりする権利などはない。
たとえ私が出資者のひとりであったとしてもだ。

厩舎、調教師との関係、というのは競走馬をメインに応援するようになってからの重要なテーマとなった。
競走馬や競馬そのものに夢を想い描くように、ホースマンに憧れや敬意を抱くことはままある。
実体を知るすべがない以上それらは現実とはかけ離れた幻想なのかもしれない、という自覚もある。
しかし自らが想い描いた偶像を、当事者はもちろん他者にみだりに押しつけたりひけらかしたりしないのであれば、そういう密やかな思い入れはあってもいいのではないだろうか、という結論に達した。
元をたどれば佐藤哲三元騎手との出会いから広がっていった縁である。
彼らは競走馬と競馬を通じて信念を分かち合う同志でありつづけた。そのさまに惹かれたのだ。
先述のエスポワールシチーとともに味わった甘美な想いが忘れられず、またそれはアーネストリーアップトゥデイト佐々木晶三調教師も同様のことで、私はそれぞれを先生と称して信頼している。
幸せや喜びだけでなく、つらく苦しく厳しい試練の月日も、そうした時の真摯な姿を、信念を貫くさまを見つづけてきたからこそだ。
これまでがそうであったように、今とこれからも信じたい。
調教師とはよき競馬の先生であってほしいと願い、信じているのだ。

さて個人的な思い入れという点でいえば、私は作田師のことはもっと何も知らない。
管理馬といえばバイガエシとヴィーヴァギブソンなら知っている。本当にそれくらい。
アマルティアを通してこれから少しずつ知っていくのだろう。
いわばこれもひとつの縁なのかもしれない。
かつて熱い想いで見守ったエスポワールシチーの妹を、まだ2歳だった可憐な少女を競馬場で見つけたときの、あのなんともいえない感情で胸がいっぱいになった日のことを覚えている。
パドックの待機所で、緊張と期待の入り混じる表情でじっと彼女を見守っていた先生の優しいまなざしも覚えている。
私が想い描いているものは幻想なのかもしれないが、少なくとも私がこれまで競馬場で見てきたものは、私の中では嘘偽りのない真実だ。
だからこそ残念だし、寂しいというのが本音だ。
でも、みんながんばってほしいから、これからも変わらず応援しつづける。

どこへいっても、アマルティアはアマルティアだ。
アマルティア、転厩しても、愛してる。

 

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