うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

蕾の桜に夢を見て

サウンドキアラが阪神ジュベナイルフィリーズを除外された。
勝馬は9頭が駒をすすめることができる抽選で、まさか確率12分の3のほうにふり分けられるとは。
しかし4頭に1頭。決して低い数字ではない。
出られるものと信じて、夢を想い描いて、ひとりで舞いあがっていただけに、いざ否とつきつけられてしまうとショックが大きかった。
この落胆は、見たいと望んだものがひとまず見られなくなってしまった淋しさだ。
サウンドバリアーショウリュウムーンがいた2010年桜花賞をもう一度見なおしたくて、私はひとりで勝手に焦っていたのかもしれない。

彼女たちが競馬場にいた頃の私は無知だった。
競馬の何たるかも知らずに。
一勝の重みもわからずに。
馬のそばにいる人たちのことも、彼らの献身も当たり前のことと思い。
他人の気持ちも推し量れずに、夢や浪漫という甘い言葉を大義名分に厳しい挑戦を望み、好きな騎手の勝ち星となってほしいがために馬を応援した。
あのときのまっすぐな感情に嘘はない。
まっすぐだったのは己の欲望だ。
何も知らないままに、ただただ無我夢中だった。
彼女たちを愛していたのは本当だったけれども、限りなく利己的で、自分のための愛に近かったように思う。
たったひとりの世界で、幸せで自分勝手な夢をひたすら見つづけていた。
見るべきものも見えないままに。

敬愛してやまなかった元ジョッキーがかつての相棒たちをいとおしそうに語るたびに、私は応援していた馬たちに謝ってまわりたい気持ちになる。
人間のために馬に声援を送っていたあの頃の、無知で無我夢中ゆえの視野の狭さを申し訳なかったと。
悔いてなどいない。ただ思わずにはいられない。
競馬と出会って十年が過ぎたいまならば分かることがあって、もっと違う愛しかたができたのに。
見えなかった、知らなかったものの中にこそ宝はあったのにと。
過ぎゆく時の流れの中で私にとっての競馬はもはや、たったひとりの世界だけではなくなっていった。
まず馬がいて、周りに人がいて、馬と人、人と人とが共にいる。それが私にとっての競馬だ。
たったひとりだけではなく、自分以外の、想う相手の、誰かのために祈り願うことが山のようにある。
夢から覚めて愛情のかたちが変わったのだ。

サウンドキアラはサウンドバリアーの娘だけれども、サウンドバリアーではない。
コーディエライトも同じ厩舎の管理馬ではあるけれども、ショウリュウムーンではない。
しかし幾多の縁を今日まで大切につなぎつづけてきたからこそ、こうして夢のつづきに想いを馳せられる。
もう、あの頃ではない。いまとこれからが無限にある。
ひとまず違う道をゆくこととなった彼女たちの未来が光り輝くように。
願わくば桜の下に集えるように。
無事と最善を祈りながら、蕾が花ひらく夢を見る。

 

f:id:satoe1981:20171209232905j:plain