うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

さようなら。ありがとう。メイショウアラワシ

ちょうど三年前の、牛若丸ジャンプステークスの日のことだった。
はじめて思い入れを抱いた障害馬との別れに悔いを残してしまった私は、長らく障害レースにもおそるおそる近づいたり離れたりを繰り返していたように思う。
やがて充分すぎる時間が恐れと悲しみを和らげてくれ、これからはその彼にゆかりのある馬と人を応援していこうと決意を新たにパドックに立ったのだった。
縁につぐ縁にもたらされた、幸せな年月のはじまりだった。

彼の厩舎の後輩にあたる馬は、とてもかわいかった。
大きく穴の開いた障害用メンコからのぞくつぶらな瞳。
右に寄った細い流星。
三本の脚にそれぞれ長さの違った白いソックス。
冬毛を生やしながらも毛並みはつややかで、たてがみも綺麗に揃えられ、大事にされていることが一目でわかった。
美形といわれるタイプではない。とりたてて愛らしいルックスでもない。
しかしその栗毛の彼は、かわいかった。
なにより力強く勇敢だった。
まるで欠けたものを慈しむような、アンバランスな不完全さに惹かれるような。
元気のよい二枚目半の彼が広く長くいびつなターフを懸命に跳んで駆ける姿に、私の心はあっという間に鷲掴みにされた。

彼との長い旅がはじまった。
原則的にローカルに番組が集約される障害レースの特性上すべての現場に足を運ぶことは難しかったが、できる限り現地へとおもむき、その勇姿を見守った。
京都のオープン戦を勝ち上がり、ついには最高峰のJ・G1への出走を果たす。
のちに絶対王者と讃えられるオジュウチョウサンの3着に食い込み勢いづいた彼は、幾多の強敵との激戦に身を投じていく。
一年を通してコンスタントに躍動していた5歳、6歳時がピークだったろう。
7歳にしてふたたび春の中山へと帰ってきてくれた時には、彼のみならず陣営の執念と尽力を想い、涙を禁じ得なかった。
以降、どこかを使いたいという意図を感じながらも実戦へは行かずに慎重な調整が続けられていた。
帰厩を今か今かと待ちわびながら、帰ってきてからは時計を見比べて、ふたたび競馬場で会える日を指折り数えながら年の瀬を過ごした。
新年を迎え、彼は8歳になった。

そのときは、あまりに突然でひそやかにおとずれた。
予定していた牛若丸ジャンプステークスに登録はなかったが、翌週には中京でオープン戦が組まれている。
おそらくそこと両にらみだったのだろう。
そう思うことで不安を打ち消したい気持ちもあった。
目に飛び込んできたのは待ちわびた報せではなかった。
メイショウアラワシ号、1月20日付けで登録抹消。
もちろん仔細はわからない。
重賞タイトルを持たぬ彼の動向は、公式から発表されることもなければ、風のたよりにきくことさえも極めて難しい。
先週17日を最後に時計を出しておらず、厩舎の管理馬一覧から彼の名前が消え、抹消馬として検索結果にあがってきたのを見て、ようやくすべてを悟ったのだった。

彼も、彼に携わるひとたちも、私もやりきった。それぞれの一生懸命を。
いいときも、うまくいかなかったときも、晴れの日も、雨の日も。
競走馬との数年は、歴史そのものだ。
輝ける今を永遠であれと願い、一瞬の奇跡のようにかみしめながら、いつかくるさよならを少しずつ少しずつ近くに感じながら、きょうの日を迎える心構えをしてきた。
競走馬を応援するのに覚悟は不可欠だ。
だから悔いは残さなかった。
それなのに。

彼とはもう二度と会えない。 
二年越しの挑戦に涙したあの中山グランドジャンプが今生の別れとなってしまった。
私は彼のその後を知ることも見ることもかなわない立場にいる。
競馬ファンとはそういうものだ。
私はもう、彼のために何もできなくなってしまった。
胸を踊らせながら遠くの競馬場へ出向くことも、パドックで無心にシャッターを切ることも、彼の足音や息づかいを間近に感じながら無言のエールを送ることも。
せめてこの先、祈り願うことだけは赦されるだろうか。
競走馬としての役目を終えた彼の今とこれからが、平穏で安らかなものであることを。
彼のために、彼の傍にいたひとたちのために、自分自身のために。
もう届かない場所から祈り願うことしかできなくなってしまった、愛するものたちを想い続けるために。

私が覚えている。
たとえ日々降り積もっていく競馬史の膨大な記憶と記録の中に埋もれてしまっても。
メイショウアラワシという競走馬がいたことを、私は覚えている。
3歳の夏から明け8歳まで、実に5年ものあいだハードル界で戦い続けた勇敢な障害馬のことを。
彼より強い馬も、脚の速い馬も、飛越のうまい馬もこの世界にはたくさんいるだろう。
しかし彼は私にとって、この世で一番かわいい馬だった。
言葉では語り尽くせない。理論や理屈でもない。私の歴史だ。
競走馬とは誰もがみな名馬で、みんな誰かの愛してやまぬ存在なのだと思う。
彼と出会い、彼を愛したことは私の競馬人生における必然であり、縁につぐ縁にもたらされた幸福だった。

さようなら、ありがとう、アラワシ。
あなたとともに駆け抜けたこの三年は、とてもとても幸せな時間だった。

 

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