うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

さよならかっこつけさん

思ったまま何かをつぶやくたびに誰か去っていく。
まあそうそういっつも元気じゃないし、前向きで楽しいことばっかりでもないから当然なのです。
もうかっこつけるのはやめるって決めたのだ。
さよならしていってるのは、がんばっていいひとやってた過去のわたしとです。
自分らしく生きるってことは、みんなには好かれないことを受け入れて、誰かに嫌われる覚悟を持つことなのかもしれない。

 

つらさくらべをやめる

このところ、なんとなく、ずっと疲れてる。
コロナ禍で何もできない、してないのに疲れたとはこれいかに。
体感的に仕事はちょっと忙しくなったけど、そのせいだけじゃない。
家で過ごす時間が増えたのも、なんとはなしに重たかったりする。
暮らしに変化がなくなってくると、自分を覆ってる薄膜の空気がよどんでくる気がするのだ。
風通しがよくない。
意欲も情熱もそがれていく。
いくら家の中の暮らしを快適にしようとも、外へ出たい欲求は本能なので求める気持ちは止められない。
気分転換しようにも行きたいところにも行けないし、したいこともできないからこうなってる。
スーパー銭湯でサウナに入りたい。でも今はそれタブーっぽくなってます。
旅行がしたい。でも今は動いちゃだめです。
競馬場で好きな人馬を応援したい。今は無観客開催です。
外でおいしいご飯食べたりカフェでゆっくりしたい。今は営業時間短縮で仕事帰りはほぼテイクアウトになっちゃう。
何をするにしても制限がついてまわる。
何もできないのに疲れてるというより、何もできないのに考えることが多いから心が疲れてる。
もちろんわたしなんかただの勤め人で、幸いにも仕事も奪われず勤めることをゆるされてるから恵まれてるほうだ。
だから弱音も吐きづらい。
もっとつらい人が、と考えると自然に口が重くなってしまう。
でも、自分のつらさは自分だけのものですよ。
人と比べなくっても、自分が今感じてることはまぎれもなく真実です。
何もできないけど、どこへも行けないけど、だからこそ、自分だけは自分の味方をしていたい。
できる範囲で自分をねぎらいたいし、甘やかしたいし、好きにしていたい。
でないと、いらん疲れまで背負ってしまうから。

誰かに嫌われても、自分でいたい

きっかけは些細なことだったと思う。
いろんなことがいっぱい重なって、もういいやってなってツイッターを半月くらい休んだ。
休んだってへんなの。仕事じゃあるまいし。
でも仕事みたいに、義務のようにタイムラインに顔を出して、わたしはわたしを演じつづけていた。

今のわたしは前ほど情熱的に趣味と関われていない。
コロナ禍で機会を奪われたとか、仕事が忙しくなったとか、理由らしい理由はあるんだけど、長年向き合いつづけてきた慣れみたいな気持ちもあるんだろう。
なくてはならないものだけど、好きだけど、もう熱く燃えさかる時期は通り過ぎたんだと思う。
ひとは変わるのだ。気持ちも関わり方も、節目節目で変わるのだ。
だから飽きたとかどうでもよくなったとかそういう話でもなくて、今も低温でゆるゆると熱をもちつづけている。
ツイッターでのわたしはいつも燃えさかっていたから、そのときご縁のあった人たちから嫌われたり、飽きられたり、幻滅されたりするのが怖かった。
この人たちをがっかりさせたくない、と思うくらいには好きで、ゆるくつながりつづけてきた人たちだ。

フォロワーさんというのは同志ではあるけど、リアルに直結する友達や家族や同僚ではない。
わかっているはずだったのに、わたしはこの人たちに赦してもらおうとしていた。己の存在価値を問うていた。
オンラインでの関係が、オフラインでのわたしを侵食しつつあった。病んでいたと思う。
いったん電源を切って、重たくなったものをそぎ落としてみて、半月のあいだ考えた。
もう、こういうのはやめるのだ。
これは不健全な依存だ。そんなこと誰も望んでない。
依存から対等な関係は生まれない。

元気がなくなった、競馬の話をあんまりしなくなったわたしとどこかのあなたの縁がここで切れるとしたら、今はもうそういうことなのだ。
人は喧嘩や絶交じゃなくて、なんとなくの積み重ねでなんとなく別れていく。
それはやっぱり怖いことではあるけれど、恐れることでもないのだと思う。なるようになっていくだけだ。
だから大丈夫。
見たいときに見て、読みたいときに読んで、話したいときに話して、書きたいときに書いていく。

大人だけどぬいぐるみ抱いて寝ます

抱き枕を買った。

ほしいほしいと思いながら何やかやであとまわしにしつづけていた抱き枕。
生活必需品じゃないからついつい二の次に。いつでも買えると思ってたらいつまでも買えてなかった。
外出自粛の世になったいま、ステイホームをもっと快適にしたいと思いたち、今あれこれ買い足していっている。
ニトリの枕しかり、ティファールのケトルしかり、Wi-Fi環境しかり、ルームフレグランスしかり。
で、いちばんほしかったのが抱き枕。
なんだか無性に、かわいいものに癒されたくなったのだ。

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というわけでクマのクッキー。
かわいい!!!
もっと早くに買えばよかった。
さっさと買わなかったわたしのばか。

もともと胎児型で寝るので腕の中に何かがあったほうが安定するのはわかっていた。
とはいえ一番大きいbigサイズにしてたらちょっと寝にくかったかもしれないから、悩みに悩んでLサイズにして正解だった。

このシリーズけっこう類似品が出てたりするんですが、表情とフォルムが愛らしいのはやっぱり本家。
手足、しっぽ、耳、足の裏まで何もかもがかわいらしい。
腕の中にモチモチと手触りのいい愛らしい生き物がいるってしあわせ。ぬいぐるみとわかってても癒される。
なにより寝顔というのがミソ。
一緒に寄り添って寝てくれてる感がいいんです。
抱いて頬ずりしたり、撫でたりしてるうちに朝になっている。なんて健全なる寝落ち。

抱き枕、スティック型とか7の字型とかいろんなかたちのがありますが、わたしは断然お顔のあるぬいぐるみを推します。
かわいいは癒やし。

ポイ活やめます

レジでカード出すのがめんどくさい。物理もアプリも。
店員さんだって人間だ。できればお手間とらせたくない。
「カードありますか?レジ袋どうされますか?」
このやりとりを一日何百回もやってらっしゃるんだろうなぁと思うと「いつもおつかれさまです…ありがとうございます…」って手を合わせたくなる。
このご時世どっちもマスクしてて、パーティションで区切られてるから、高確率でやりとりに齟齬が生じるの。
お互いに気を遣う。にんげんだもの
無人レジならいいんだけど、ぜんぶがぜんぶ無人レジじゃないし、無人レジだとポイント使えなかったりするしね。
わたしはできるだけぜんぶ無人レジで済ませたいんだけど、まだまだそうはいかないみたい。
機械ってお金かかるし、場所もとるしね。

そのあたりの手間に、還元されるポイントやら何やらが見合ってないな~とうすうす感じてたので、いさぎよくポイ活やめることにした。
カード出すのはおっきい買い物するときくらいでいいかなぁと。
毎日のことだから塵も積もればなんだけど、一緒にめんどくさポイントも蓄積されてる気がする。
期日までにがんばってクーポン使ったろ!みたいなのも、そのために買い物の機会を増やすみたいでかえってお金と気をつかっちゃうし。
なんかもう、せかせかちっちゃい数字気にするのはいいや~ってなりました。悟りの境地だ。

悟りの境地に至ったら、暮らしの中でいろいろ気にしてることが多いな~って気がついて、いらんアプリ消したり会員やめたりとスマホ断捨離がはじまりました。
スマホ、重たくしすぎてたな。
スマホは世界のすべてじゃないのに。
スマホにあれこれ詰め込みすぎてたな。
バッテリーも、べつにいっつも満タンじゃなくってもいいんだよ。
なんとなく、もうちょっとスマホにもやさしくしようと思いました。相棒だしね。