うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

エスポくんと、ごっちゃんと、てっちゃんと

「あれ?何かつながりあったっけ?」
思わず声が出た。
ほかならぬ相棒のこと、長い戦線離脱という同じ境遇にある主戦騎手が口をきいたりしたのかな?
というふうにまずは解釈したが、落ち着いてほんの少し紐解いてみればチャクラ、メイショウオスカルの頃からのつながりが浮かびあがってきた。
トレーナーとジョッキーとのあいだには実に十年来の深い信頼関係が築かれていたのだ。
かくして宙に浮いていたエスポワールシチー号の手綱は、ごっちゃんこと後藤浩輝騎手に託されることとなった。

彼は長らく迷いの中にいた。
迷いというより恐れだったのかもしれない。
迷いと恐れを抱き前へ進もうとしている人間に対して、思いやりや誠意を適切な態度で示すことは簡単なようで難しい。ましてや実利が絡むともなれば。
綺麗事だけではもちろんはなく、師いわくゲートのうまいジョッキーに乗ってもらってスタートのちょっと苦手なエスポを何かしら工夫してもらいたかった意図だとか、これまでの関係性からの頼みやすさ、オーナーであるクラブも含めて、諸々の見解の一致もあったのだろう。
「この馬に乗って」とお願いするというのは、全部ひっくるめてそういうことなのだ。
彼が復帰を表明してから一番はじめに飛び込んできた騎乗依頼だったという。
騎手後藤浩輝復活への筋道を、誰よりも早く提示したということだ。
乗り役としてもっとも欲しかった信頼の証を胸に、彼は信じた道へと勇気をもって挑むことができたに違いない。

さらに時をさかのぼれば、哲ちゃんこと佐藤哲三騎手もまた迷いの中にいた。
いわく「ケガでモヤモヤしていた」とき、師は彼にエスポワールシチーの一切を任せたという。
この先はあまりに有名な語り草となっているのでくわしくは省略する。
夏のあいだ小倉へ連れて行きたいと言われればそのとおりにし、僕の言うタイミングでレースを使って欲しいとお願いされたら、使える状態にあってもじっと主戦のゴーサインを待った。
今どきこのご時世において、厩舎サイドと乗り役がこんなにも深いかかわりを持てるものなのかと、ジャパンカップダート後のレース回顧や数多の後日談に耳を傾けながら感銘を受けたものだ。
そしてそれがとても稀有なものであるということもすぐに想像がついた。
丁寧に対話を重ね、最善を尽くし、すべてを慎重に積み重ねながら築きあげられた信頼関係だった。

名馬エスポワールシチーを通して私が見たものは、馬と人、人と人との熱く優しく強いつながりにほかならない。
数々の数奇な縁をつなぎ合わせた先に未来と栄光があったのだ。
二人の騎手にとっては希望そのものだっただろう。
彼らを見つめるファンにとっては夢そのものだった。
エスポくんとともに勝利を掴んだごっちゃんをまぶしく見つめながら、私は、彼をふたたび現役のジョッキーとして応援できるファンの人たちがうらやましかった。
このことを誰とはなしに言おうか言うまいか、この今が過去になったときにでもそっと独り言のように打ち明けられる日が来るだろうと考えているうちに、決して口にしてはならない言葉となってしまった。

彼らがともに信頼しあったから。
彼らが馬を人を信じたから。
彼が想いのすべてを汲んで乗ってくれたからこそ、たくさんの人が、あんなにも一緒になって喜べたのだ。
今も目に焼きついている。
あのときの記憶が鮮やかなままで時計の針は止まっている。
彼が一度進めた時間の流れだ。
もっと見ていたかった。
見ていられると信じるには充分すぎるほどに、確かな手応えだったのだ。

そして彼らはステッキを置いた。
信念を分かち合った二人の名手の引退に際して、彼らを陰ながら支えた安達師はそれぞれに惜別の言葉を贈っている。
同じ口を開くのならば、あんなふうにあたたかい言葉をかけられる人間でありたいものだ。
ねぎらいながら想いを伝えることは、とてもとても難しいことだけれども。

気がつけば二年と少しの月日が経っていた。
今年度はエスポワールシチーの子どもたちのデビュー年だ。
地方からはすでに産駒の健闘が伝えられている。
歓喜にわく日はそう遠くないだろう。
あのとき夢に見た希望の物語は、ほんの少し形を変えて、ずっと続いていく。

 

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