うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

Up to Date またはじまる日まで

その報せは、終わりでもさよならでもなかった。
もしかしたらこういう区切りもあるかもしれないという予感はあった。
陣営は最後の最後まで最善を尽くした。
第二の馬生を勝ち取ったのだ。
彼を思っての決断は、必ずや彼にとって幸せな未来をもたらすだろう。
私の心は凪いでいた。
約7年間にわたる長い長い競走馬生活を、白い障害王者アップトゥデイトは全うしたのだから。

彼にはいつも、自分の想いを募らせるばかりだった。
最愛の騎手の思い出を分かち合える存在として、あるいはハードル界の新星として、彼のゆくところへついて行くのが私の生きがいとなった。
応援幕まで携えて、夢という名の重荷ばかりを背負わせてしまったのではないかと、彼がライバルたちとの競走に敗れたとき、負傷をして帰ってきたとき、そして初めて落馬をしたあの日は自責の念で眠れなかった。
思えばあの日から、もしかしたら今日という日がこんな形でやってくるかもしれないと、少しずつ少しずつ心の準備をしてきたのかもしれない。
もういちど阪神で、中山でという期待と願いの片隅で。

出会った瞬間から、いつか必ずくる別れへのスタートは切られる。
競馬とは競走である以前に競争で、レースの結果も彼らのその後も思い描いた結末とは全く違うかたちになる可能性を大いにはらんでいる。
競馬を長く見ていると、喜びや嬉しさだけではなく、同じくらいかそれ以上に悔しくて悲しくて淋しくて、やりきれない現実に直面する。
どれだけ理解と覚悟をしていても、感情を抑えきれなくなるときもある。
それでも好きな馬と出会えた幸せが勝るから、どんなにつらくてもこの世界からは離れられないでいるのだ。
馬も人も命あるもの、だけど仕組みとして、事実としての割り切りも必要だと思う。
イレ込みすぎは良くないとも思う。
しかし、だからこそ、強く輝きながら刹那を生きる彼らを全力で愛さずにはいられない。
想いも思惑も事情も何もかも、あまりに多くのものを背負いながら競走馬は走る。
私は彼のひたむきさに憧れ、惹かれていた。
明るく前向きな彼とともに見る景色は美しかった。
彼の澄んだ瞳にうつる世界はいつのときも厳しかったのだろうけれど、彼を傍で愛するひとたちとの時間は優しいものだったと信じたい。

これまでの応援の区切りとして筆をとり、撮りためてきた写真と応援幕を託した。
その作業をつつがなく終えたら、ここに記すつもりだった言葉がなくなってしまった。
今あるのは安堵と、未来へと夢を繋げる喜びと、おだやかな想いだけ。
すべて彼が残してくれたものたちだ。

アップトゥデイト、私の最愛の馬。
あのとき、生きて帰ってきてくれてありがとう。
今までたくさんがんばってくれてありがとう。
私と出会ってくれてありがとう。
さよならはまだ言わずにとっておこう。
淋しい別れではなく、新たな門出となるように。
またはじまる日を指折り数えながら、あなたのこれからが幸せなものであるようにと、祈り願える幸せをかみしめながら。

 

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