うまいこといえない。

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世の中、恋愛供給過多すぎて

ツイッター(もうエックスになったけどツイッターツイッターだよ)のトレンドに挙がっていたドラマ?映画?がおもしろそうだなあと思いつつも観るには至らなかった。
どうやら男性ふたりが恋愛関係に発展する話っぽかったから。
あ〜あ、またか。ま〜た恋に落ちちゃうのか。

最近は女性の暮らしにまつわる話が読みたくて、いくつか読んでみたんだけど、女性ふたりが出会えばだいたい百合的展開になるんですよね。トレンドなんでしょうね。
ふたりが親密になるにつれて違った色が差してくる。
「作りたい女と食べたい女」といい、「おとなになっても」といい、どうして惹かれあった人間ふたりの関係って最後にいきつくところが恋愛になるんだろう。
異性同士、同性同士、最近は関係なくみんなだいたい恋に落ちる。
その特別な感情って、友情や家族愛、信頼だったり、敬愛の念じゃだめですか?
「つくたべ」はまさにそういうことを描いてるんだと思って気持ちよく読んでたんだけど、結局相手のことを想ってポッと頬を染めたりバレンタインチョコを選んだりしだして、「ああ、ああ、あなたたちもか…」と勝手にがっかりしてしまった。話はほんとうにおもしろいのに。

物語としてはやっぱり関係性にわかりやすい名前がつかないといけないのかしら。
わたしが恋愛に重きを置いてないからそのへんがいまいちピンとこない。
なので、なんでも恋愛ありきにされると、それまで物語や登場人物に感じていたきらめきも親近感も途端にぼやけてしまう。
惚れた腫れたってそんなに説明不要で強いもの?
人間の好意や信頼関係ってもっといろいろあるやん!と反発してしまうのだ。
よく考えたら恋愛至上主義なこの傾向、漫画やドラマだけじゃなくて時代劇にも色濃くあるんですよね。
というよりもれなく強固な婚姻関係が描かれるから、そのへん現代人の感覚に近づけて物語に落とし込むにはどうしてもお互いがお互いを恋い慕っている前提の甘いスパイスが必要になってくるのだ。
なんとなくそういう説明不要の唐突な惚れた腫れたを見るのも気が重くなってきて、あれほど毎週楽しみにしていた大河ドラマからもだんだんと離れがちになってしまった。
ちょうどテレビの録画機能が壊れてしまったのと、時期的に日曜日のデーゲームがナイターになってるのもあるけど、「どうする家康」はただいま視聴お休み中。話はほんとうにおもしろいのに。

こんなふうに「話は好きなのに、興味はあるのに、恋愛を見せられるのが嫌で手をつけてない」作品がわりとある。
いいものに出会う機会を自ら絶ってるのは分かってるんだけど、ほんとうに気が重いんだからこればっかりは仕方ない。
でも、どうしてこんなに気が重いんだろう?
それは、今のわたしには必要がないから。自分自身が恋愛一色に染まれなかったから。
恋はしたことあるし、人を愛したこともあるし、素晴らしい感情だと知ってもいるけれど、そればっかりになるのが息苦しい。
パートナーとのあいだにあるのは恋愛感情だけではないし、色っぽいものだけでなくお互いへの信頼や心の交流がほしかった。
所有欲や性別や異性の肉体としてだけでなく、ひとりの人間同士として尊重しあいたかった。
でもそういう想いはだいたい理解されなかった。変わってるねと否定されて、離れて終わった。
わたしは恋愛の中ではついに救われなく報われなかったので、内心そんなものは嘘だと思っているのかもしれない。
嘘を見せられると、しらけてしまう。
せめて物語の中でくらいはしらけたくなくて、なるべく恋愛ものは摂取しないってわけ。