うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

自由のために、体きたえる

お腹と太ももを早急になんとかしたい。
体重はそんなに変わってないのに、ちょっとやる気がなくなって食で気力を補ったからって、油断してたるみすぎだよわたしの体。
また人間向いてなくて生きるのつらくなって半ば死んだように暮らしていた。このところ、これのくりかえし。
なにもかもうまくいかなくて落ち込んで半ば引きこもっても、仕事へは行かねばならぬ。最低限、生きねばならぬ。
幸か不幸か、生きる気力がなくても食欲だけは衰えなかった。
どころか、おいしく食べることが心の支えだった。
どこへも行きたくなかったけど、マクドでコーラ飲んでポテト食べてると安心できた。
おかげで今はもう太ももぷよぷよお腹たぷたぷ。
だらしないったらありゃしない。でも生きてるからいいのだ。

そろそろスーパー銭湯へ行きたいので体型と肌を整えていく。
この夏はあせもになったのもきつかった。
いったん治りかけてたのに、職場の空調が一瞬壊れたのもあって実はまた復活気味。
かゆいのってつらい。
掻くと荒れる。荒れると痛い。掻くのをやめられない自分が嫌になる。
なにより体になにかコンプレックスや問題があると、行きたい場所でしたいことするのにも躊躇するもんだなあとつくづく実感する。
こんなだらしない体で、肌にあせもの痕を残して、公共のお風呂場に入っていくのはなんだか後ろめたい。
べつに誰も見てないし咎めもしないんだろうけど、わたし自身がちょっと嫌だ。
スーパー銭湯いきたい。サウナしたい。温泉旅館に泊まりたい。
そう。自由でいたいから健康でいたい。

わたしの愛する自由を満喫するために、毎日ちょっときつめの筋トレをがんばっている。
お腹、太もも、ふくらはぎ、二の腕をとりあえず無気力状態に陥る前の状態にまで戻したい。
たぶんここで体を戻すか戻さないかが、おばさんと化すか否かの境目だ。まさに正念場。
食べたいものをおいしく食べて楽しみたいから、健康も体型も維持する。
女性らしさとか美しさとかは人が勝手にジャッジすることなので知らん。見たい人したい人にやらしとけばいい。
定期的に話題になる標準体重うんぬんも、言いたい人に言わしとけばいい。
わたしはだいたい身長160cmで体重55㎏ちょっとがデフォルトなので決して痩せてない。
おまけに典型的な骨格ストレートタイプだから骨太で肉厚だ。コンプレックスだらけ。
さらに肥えてる今は数字以上にもったりしている。
でも自分はそういう誰かに褒められたり選ばれたりするための恋愛・モテのリングからはだいぶ昔に降りているから、自分さえ納得できればなんでもいい。
自分の納得というのは自由。
わたしにとっての自由とは、好きなものを食べて、行きたいところへ行って、したいことをするための健康な体を持ちつづけること。

恋愛・モテのリングといえば、「この人のために綺麗になりたい」って、好きな人がいた頃は思っていたしがんばっていたこともあった。それなりに。
そんなのはただの自己陶酔で、美人でもなんでもなくがっしり健康優良児な自分は他人から綺麗だと思われなくても別にもいいけど、恋人にだけはだらしない体だと幻滅されたくなかった。
パートナーとの親密なコミュニケーションは交際には不可欠だったから、痩せにくくて食べたものがすぐ身につきやすいわたしは手っ取り早く食事制限に手を出したりした。
牛乳で割ったスムージーみたいな一食おきかえダイエットをしたり。
あれがほんとうに体によかったのかどうかはわからないけど、少なくともあの頃は満たされなかったし楽しくなかった。
愛する人のために尽くしてると思い込むことで乗り切ってただけである。
そんな自分はさぞかし美しくなかったろう。何をどれだけしても自信がなかった。常にカリカリイライラしながら、自分を肯定できないでいた。
やがて積もりに積もって「あんたのために!してやってたのに!」って嫌になって爆発するのである。どっちかがより我慢する関係ってフェアじゃない。食べものの恨みはおそろしい。

誰かのためじゃなく、自分のために、ちょっと体をきたえる。
このほうがよっぽど健全だなあと思うし、そんな自分に納得ができる。
ひとりの自由をこよなく愛しているけど、生きてるうえで社会へ出て人と時間と空間を共有することは避けられないから、人間として小綺麗でいられたらいいなってかんじ。
そのための健康です。