うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

「むしろウツなので結婚かと」を読んで考えた。

こんな漫画があるのは知っていた。けど、ずっと避けていた。
「競馬に、結婚が絡んでくる漫画なんて!」と。う〜ん恥ずかしい。
だから読むなら今だと思った。
競馬という趣味を手放し、家族のために生きる決意をした今だと。

 

comic-days.com

 

一気に読んだ。
オフ会で知り合った男女と、競馬と、ウオッカと。まじわりあう彼らの生のお話。
競馬って、人生なのだ。
競馬って一度見ると、常に人生と並走してくる。
わたしが挫折から立ち直ろうとしているとき、あのふたりは死の淵に指をかけて懸命にぶらさがっていた。
わたしたちは違う場所で、だけどウオッカを見ていた。たったそれだけのことでまるで運命共同体のように感じる。
それが競馬だ。ひとりひとりの人生の中に、違うかたちで、同じ馬がいる。
どうして競馬を好きになったのかを思い出した。
どうして競馬がつらくなったのかも思い出した。
好きすぎて、自らを重ねすぎて、そして重たくなりすぎた。
体は離れたけれど、心までは捨てきれなかった。ただ並んで走れなくなっただけ。
わたしはやっぱり競馬が好きだ。その事実から逃げようとしていたけれど。

前に似たような漫画を読んだことがあるなあと思い出した。
「ツレがウツになりまして」だっけ。あっちもパートナーの男性が発症して、女性が寄り添い支えるお話。
読んでいて正直めんどくさいな……と思った。めんどくさいぞセキゼキさん。
人の心がわかるくらいには繊細で、人の献身を煩わしく感じるくらいには傲慢で、迷惑かけてる自分を嫌悪するくらいにはプライドが高くて。だからこそ鬱になるのね。優しすぎるのね。考え感じすぎるのね。
それでいて自分がわからなくなって、自分と人を傷つける。無意識のうちに死へと向かっていく。人間が壊れていく過程というのは、他者の視点からのそれは、地味に静かにこわい。
鬱というのは心の病というよりも体、脳の機能の故障だ。
頑なに否定しつづけていたセキゼキさんとは逆で、わたしは心を病んだとき「鬱なのでは?」と何度も思ったものだけど、これ読んでぜんぜん鬱ではなかったなあと再確認した。
「死にたい」とも「生きたくない」とも思ったけれど、あんなにまでわけがわからなくなったことはない。
自分と他人と世界、という意識と線引きはいつもあった。至極まともだった。
正気だったからこそ立ち止まるための大義名分を他者から与えられたかった。
ただ生きるのが難しくて億劫でしんどかっただけの、すこぶる健康な人間だった。そしてそれはとても幸せなことだった。
家族はわたしを信じてくれたのに、わたしが家族を信じられなかっただけ。
自分を信じられない者には、信じてくれる者と、信じられる者だけが救いだ。
当時のわたしには家族と競馬、シロイさんとセキゼキさんにはお互いとウオッカ
だけどわたしはシロイさんみたいに、あんなにまで他人のためには尽くせないだろう。だから結婚とは縁のない人生になったわけだけど。
何かができるとしたら、はじめから家族だった人たちのためにだ。
他人だったふたりも、だから結婚して家族になったのだ。

「やっぱり競馬が好きだな」とか、「信じるとは何か」「何をもって裏切りと感じるのか」とか、いろんなことを考え感じながら、一気に読んだ。
「自分以外の誰かと生きる」とは、信じて、信じられること。それを得られるのは得難く幸せなことで、同時に難しいことでもある。
わたしは、人を信じられるだろうか。人から信じてもらえるだろうか。
これからの人生で、生涯をかけて得なければならないものを、思いがけずこの漫画の中に見た。