うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

今を書いて残そう2020

今年の総括みたいなのはやらないと決めてました。
でも、かろうじて今年を乗りきって燃えかすになりかけた今のわたしが書くことに何か意味があるんじゃないか、と思いなおした次第です。

コロナ禍は、わたしの仕事も趣味も、気力も情熱も何もかもどっかへ持っていってしまいました。
競馬からは物理的に引き離されて、ああこれはもういったんお休みかもしれないなぁ、と思いました。
思ったってことは、気持ちはちょっと離れてたってことです。
生きることと生活がまず第一になってしまって。
嫌になったんじゃなくて、わたしが無力になってしまったから。
世界に対して。好きに対して。自分自身に対して。
楽しむちからがものすごく弱まってしまった。
現地へ行けなくなった。すぐそばでの応援がかなわなくなった。好きな人馬の写真を撮れなくなった。
本当に、何もできなくなった。
そうして心の拠りどころをうしなってしまった。
わたしはずっと好きに依存してしまっていたのです。

もともと自分に何かができると思いあがっていたわけではないけれど、何もできなくなってから、ありあまる時間で考えてました。
誰か何かを好きでいるには、まず自分自身がしっかり立っていなければならないんだ、と。
好きにおんぶにだっこでつかまり立ちしていたから、すっころんで起きあがれなくなってしまった。
好きって気持ち以外の芯が入ってなかった。
芯って何だ。
芯とは、今を生きていくちからです。
今とは、生活で世界です。
生きるとは、現実を赦し受け入れることです。
好きも趣味も情熱もすべてそのうえに成り立っている。順序がひっくりかえってはならないのです。
そんな当たり前のことができていなかかった。
これまで易しい世界に守られて、好き勝手にしていられたから。
今もなおつづくコロナ禍は堪えがたい試練ではありましたが、実はわたしがいちばんしなければならなかった、好きのありかたの再構築をさせてくれたのです。

まあ、わたしの一年は置いといて。
今いちばん何が言いたいかというと、こういうみんながたいへんな時の個人の感情の記録はどんどん形に残すべき、ということです。
みんなしんどい、わたしもしんどい。
医療に携わるひとや、仕事をうしなったひと、病を得てしまったひと。
家に閉じこめられているひと、好きをとりあげられてしまったひと、うまく言いあらわせない息苦しさを感じているひと。
世の中にはきっともっと苦しんでいる人がいる。それさえわかっていればいい。
でも、どこかの誰かのために自分の悲しみに無理やりふたをしたり、大丈夫でいる必要はないのです。
誰もが自分の苦しみを抱えながらそれでも生きている。
普通のひとの普通の苦しみや喜び。
言葉、記憶、思い出。それこそが歴史です。
残さなきゃ残らない。誰も気づかないかもしれない。
でも残してたら後で誰かが気づくかもしれない。未来の誰かや自分を救うかもしれない。
文章じゃなくっても。たとえばつぶやきでも、写真でも、何らかの形に。
この今を生きていくために。