うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

映画「クロース」を観てきました

タイムラインに流れてくる広告を目にしているうちに気になってきたので、ふらりと行ってきた。
ついに映画が2000円の贅沢品になってしまったわけだけどau映画割で観てきました。安くならなかったらたぶん踏ん切りがつかなかった。
侍ジャパンのドキュメントでさえ結局観に行かなかったのに。
でもこれAmazonプライムにも降りてきそうにないし、気になるなら今しかないでしょと。
映画館へ行ったのは「ドリームホース」以来。あれはよかった。めちゃくちゃ泣いて、そして泣いたあとめちゃくちゃ元気が出た。

 

closemovie.jp

13歳の少年レオとレミは兄弟のように育った大親友。
いつも笑いあってくっついて過ごしていたふたりの世界は、学校という世間に足を踏み入れることで少しずつ壊れていく。
「あなたたち、つきあってるの?」
クラスメイトの女の子は笑う。
「深い意味はないの」というけれど、意味なんてなくてもその笑いがよからぬ意味を持ってしまう。
「オンナオトコ」と男の子は笑う。
男が男とべったりとくっついているのはおかしいと。
自分たちをとりまく世間の目にはじめて触れたレオはやがてレミを遠ざけるようになる。
強い男であろうとして、サッカーの話題に混ざったり、アイスホッケーをはじめたり、チームメイトと叩きあってふざけたり。

物語の核心にセンシティブな内容が含まれています。
そのため公式サイトでは注意喚起のワンクッションが置いてあります。そういうお話。
この文も極力ネタバレしないように書こうとは思ってるけど、勘のいい人ならたぶんわかるでしょう。そういうお話です。

レオに避けられたレミも、レミを遠ざけたレオも、お互いにお互いを永遠にうしなってしまう。
う〜ん、このしんどさ、夏目漱石の「こころ」と似ている。
こころは青年らしい狡さと醜さをさらけだす話だけど、クロースは純真無垢だからこそ少年は世界に傷つけられたという話。
説明的な台詞は一切なくて、とにかく「目が語る」物語だった。
物語は淡々とはじまってゆっくりと終わっていくのだけど、はっきりオチがついたわけではないし、何かが劇的に解決したのでもない、スッと胸がすくでもない。
考えさせられる、というのも少し違う気がする。
だからこれを観て物足りなく感じる人もいるだろうし、何も感じない人もいるかもしれない。もちろん、めちゃくちゃササる人もいるだろう。苦しくなる人もいるだろう。
そういえばわたしにも子どもの頃なんとなく疎遠になった友だちがいたなあと思い出したけど、それって自分や相手が変わったからで、誰が悪かったというのでもないのですよ。今にして思えば。
レオもレミも、ふたりの両親も、クラスメイトでさえ、誰も悪くない。
だけど、男だとか、ふつうだとか、周りの見る目だとか、そういうものを感じながら人間は変わらざるを得なくなる時がある。
変わってうしなって、傷ついてうちのめされて、だけどそれでも生きていかなきゃいけない。
しんどいなあと感じたのは、そこにかもしれない。生きることは、生きづらい。

ふつうって何でしょうね。
男らしさって何でしょうね。
男の子が男になって大人になるのに、もとより備わっていた近しいものへの親密さや繊細さをうしなわねばならないのはなぜだろう。
この映画の言わんとしていることは解ったけれど、この作品をいわゆるLGBT映画の一言で言いあらわしてしまうのは、わたしはなんとなく嫌だなあ。
それこそ劇中でふたりがされた「関係性にラベルをつける」やりかただもの。ふたりはただただ純粋にお互いが大好きな友だちだった。たったそれだけのことだもの。