うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

干渉しないって関わりかたで

ウマ娘、ワード登録してるのにミュートの壁を突き破ってくる。
これがトレンドのパワーか。

もともと擬人化も女体化もストライクゾーン外。
こと競走馬についてはほぼタブー。あくまでわたしの中では。
ものいわぬ馬に人間の思想を代弁させるのはフェアじゃない。
馬(だったもの)にしゃべらせると人間の口から出るよりも「けなげ、かわいい、かわいそう」に印象が変化してしまうから、「それはずるい!」と拒絶反応が出てしまう。
当事者(馬)以上に言わせた人間の思惑が透けて見えるから、創作と呼ぶには生々しく感じてしまうのだ。
だから、「好きな馬についての大事なことは、あなた自身が、あなたの立場と言葉で言うべきです」。
というのがわたしのずっと変わらない考えかた。

アニメじゃないしゲームでもない、シビアでリアルな現実、それが競馬。
なにより競走馬は人型の女の子じゃない。
もちろん価値観の多様性は認められるべきだし、表現のありかたのひとつとして作品に昇華すること自体は誰にも止められまい。
頭ではわかっているのだけど、自分の聖域、競馬を愛する根拠が「そこ」にこそあるので、わたしはナシというだけの話。
好きな馬が自分のあずかりしらぬところで本来の個性とは違う属性を与えられて…かわいい女の子にされていると知ったら、間違いなく複雑な気持ちになる。
「ファンアートでひっそりやるみたいなことを公式でやっちゃうのか…そうか…」と今も驚きととまどいを禁じ得ない。
越えてはならぬ一線を越えてしまった感が、どうしてもぬぐえないのだ。

だからといって好きで楽しんでいる人、新しく入ってくる人をどうこう思わない。
「我こそが真の競馬ファン!」とも、「あなたたちは間違ってる!」とも思わない。
ざっくりひとくくりにしたらみんなそれぞれ競馬ファンなのだろうし。
ただ、わたし自身が好きなものの受けとりかたや愛しかたを変えるつもりがないだけ。
ならばお互いに我が道をいくだけ。
見えてるものと信じるものが違うだけ。
なんだか宗教みたいですね。ぶつかったら戦争になる。
好きなものを宗教にしてはいけない、したくない、しないと常々心がけてるつもりなんですけど。

ところでわたし、JRAのCMのキャッチコピーだったかな?がすごく好きなんですよ。だいぶ前の。
「同じ馬を見ている。違う夢を見ている。」っていう。
ファンの数だけ競馬があるんだよっていう。
懐が深い、競馬のありかたそのものをあらわしている。
だからここではできるだけ何かを否定したり、批判したり、貶したり、嫌ったり、争ったりはしたくない。
受け入れられないものからはそっと距離をとればいい。
わざわざ関わりにいったり、何かを言ったり、押しつけたり、へりくだったりもしない。
自分が受け入れられないものを他人が好きだからといって、今まで友達だった人が友達じゃなくなるわけでも、これから出会う人と仲良くできないわけでもない。
己の信じるもののためにそんなふうになってしまうのは、それこそ宗教みたい。
お互いの「好き」には干渉しないという関わりかたがある。大人だもの。
「嫌い」という言葉は劇薬なので、思わないし使わない。大人だもの。
競馬は大人の嗜みだもの。