うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

体操部の思い出と、スポーツへの想いと

東京五輪がやってきた。
馬術と野球と、体操を観に行く予定だった。
もちろん予定は未定で、チケットはとれていなかったんだけど。
再販がかかれば何度でも応募するつもりだった。
世界最高峰の演技を目の前で見たかったから。
まさか疫病が世界を覆い尽くすことになるなんて。
そのせいで夢が奪われるなんて、夢にも思わなかった。

ところで体操部に入っていたという人はなかなかいないんじゃあなかろうか。
少なくともわたしは今までにひとりも会ったことがない。
体操って、気が遠くなるような基礎の基礎の基礎をめちゃくちゃ丁寧に高く高く高く積み上げた先にああいうすごいひねりだとか離れ技なんかがあって、それは中学校の部活動レベルでは到底たどりつけない神の領域の話なんだけど、ただ基礎の基礎の基礎をやっていたということで、ほんのちょっとだけあの世界とつながっている気が、当時はしていた。
なのでわたしは、真剣にスポーツに取り組む人の気持ちがほんの少しわかる。
挑戦する楽しさも、困難を克服する喜びも知っている。
怪我のつらさも、壁を乗り越えられない苦しみも。

体操は常に恐さとの闘いだ。
たった一度の落下や失敗で、これまで簡単にできていたことが突然できなくなったりする。
跳馬が飛べなくなって困った。
踏切に失敗してへんなかたちで無理やり飛んでしまってから、恐怖に体を支配されるようになってしまった。
体は技の感覚を覚えているのに、やりさえすればできるという確信があるのに。
飛び箱を低くしたら飛べるのに、もとの高さに戻した途端に足がすくんでロイター板を強く踏み切れない。
肉体と脳は切り離せない。心技体とはこういうことなのだと、皮肉にも技をできなくなって実感した。
そんな状態が試合前のひと月くらいつづいた。
どうやって克服したかは覚えていない。
でも克服するために何百回も練習したのは覚えている。飛べた瞬間の気持ちも。
今までできなかった新しいことができるようになる。
できなくなっていたことをふたたび自分のものとして取り戻す。
成長するということは、努力し、工夫し、これまでの自分に打ち勝つことだ。

誰かに勝つことや試合に出ることにはまるで執着がなかった。
逆に、試合に出たくなくてたまらなかった。
まずレオタードを着たくなかったし(めちゃくちゃはみパンするのだ)、試合に向けて拘束時間は長くなるし、なによりピリピリする。
女子には振り付けが必要だったし。
たとえばゆかは自分で曲を選び振り付けと演技構成を考えなければならない。
男子は無音で技をやるだけでいいのに、女子は技の合間にダンスをはさまなければならない。めちゃくちゃ嫌だった。ダンス関係ないやん。
個人的には楽しくやるのにべつに試合はいらなかったのだが、まあ部活動の最終目的ってどうしても試合で勝つことになってしまうので、大会が近づいてくるたびに憂鬱だった。
そのくせ次の試合までにあの技ができるようになりたいとか自分なりに目標をもって、練習だけはとにかく真面目に取り組んでいた。
真面目でなければ体操はできない。
試合にまつわるあれこれが嫌だっただけで、普段の練習は好きだったのだ。

我ながらよく三年もったなと思う。
でも、あれがいまのわたしを作っている。間違いなく。
あれがあったから乗り越えられたことも多分あった。
スポーツって、楽しいだけじゃない。
観るのは楽しい。選手を讃え、共鳴し、夢を託し、声援を送る。それもまた尊い
でも自分がやるのはしぬほどきつい。
なにかを成し遂げようと思ったら、しんどいこともやらなければならないから。
そのしんどさも積極的に楽しむ、受け入れる。経験したことのある人にしかわからない感覚だ。
誰が好き好んで、こんなつらいことを。
クーラーのきいた部屋でゲームしてるほうが絶対に楽で楽しいはずなのに。
何度も何度もやめようと思った。楽になりたくて。
極端なはなし、オリンピックに出るわけでもないのにこのしんどさに意味はあるのかと。
好きだから、うまくなりたい。
べつに試合で勝つためにやってたんじゃない。結果がすべてじゃなかった。
ただひたむきに、自分のために。
しんどさを突き抜けた先にあったのだ。自分に打ち勝つ喜びが。それは選んだ自分にしかわからない。
美術部で絵を描くつもりだった12歳のわたしが、どうして体操を選んだのかは覚えていない。
不思議と惹きつけられた、としかいいようがない。
これは四十路のわたしによる後付けだけど、人間には生きる以外にも、なにか無我夢中になれるものと時間が必要なのだ。
たいていの人は大人になるとできなくなること。それがきっとスポーツ、部活動だった。
もうやりたいともできるとも思えないけど、体操をやってよかったとは思っている。

だからわたしはスポーツが好きだ。
すべてのアスリートが自分のために闘えることを心から願っている。