うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

カメラを持って競馬場へ 写真は誰のためのもの

2021年の師走。
わたしはまた競馬場でカメラを構えていた。
不相応と一度手放した一眼レフをふたたび手元に呼び戻したのだった。

ずっと悩んでいた。写真を撮ることに。
妥協を許したときからずっと。
自分のしていることにまったく自信が持てなくなった。納得がいかなくなった。
わたしには「好きですよ、見ていますよ」と伝えたい人馬がいる。
この気持ちを応援と便宜上呼んではいるけれど、ほんとうは自分のため。
忘れたくない、覚えていたい、これからの自分のために写真を撮る。
SNSでシェアすることをほぼやめてからますますその想いが強くなった。

伝えたい想いは伝えればいい。想いが伝わればいいなと思う。
でもこのごろは、必ずしもすべてを伝えなくてもいいのかもしれないし、伝わらなくてもかまわない、とも思うようになった。
がんばってる人ってべつに応援は望んでいないし、勇気を与えるとかそういうことも考えていない。
自分と、自分の大事なもののためにがんばっている。
そこに外野の言葉も想いもたぶん必要としていないのだから。
だからわたしは勝手に好きでいて、勝手に何かを感じて、勝手に応援するだけ。
伝えたければ伝えるし、黙って想っていてもいい。
はじめから、写真を撮ることに理由をつけたり、手段や目的にしなくてもよかったのだ。

思いかえせば、好きなカメラを持っていたときは写真を撮るのが楽しかった。
大変でもあったけど、背伸びだったのかもしれないけれど、自然と背筋が伸びた。
わたしの写真を下手にさせたのは、妥協だけではなく下がったモチベーションだった。
好きだから見ている。撮りたいから撮る。思い出をかたちに。やりたいことをやる。
誰のためでもない、自分自身のために。
自分で決めたことくらい、納得して取り組みたい。

 

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