うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

100000開の約束

このブログ、かれこれ10万回開かれたらしい。
少し前からなんとなく意識していた。
もうちょっとだな〜、でも読む人の限られてる個人の備忘録だし年内にいけるかどうか微妙かな〜、くらいには。
予想より早くたどりついてしまったなあ。
ほぼツイッターのフォロワーさんかはてな読者さんか通りすがりの人の目にしかつかないこのブログも、実は二回くらい公式でとりあげてもらったことがある。
ツイッターアカウントでの記事紹介と、今年の100選みたいなテーマだったかな。
そのときは一瞬だけびっくりするほどアクセスが増えた。
あと、いったい何が誰にササッたものか、たまにものすごく読まれる記事もあったりして。
我が道を行きつつも「人に読まれるブログってどんなのだろな」「あの一瞬だけいっぱい読まれたアレは何だったんだろうな」と考えつづけている。
どこかの誰かに読んでほしくて書いてるんだもの、意識しないわけがない。

週間はてなブログスペースを後聞きした。

訊きたかったことがぎっしりつまっていた。
「その人にしか書けない内容」、かあ。
わたしの悩みや人生はわたしだけのものだけど、なんの変哲もなくって、普遍的ではあるよなあ。
「これ、わたしにしか書けないか?」と問われたら「せやろか?」ってなる。
最近は自問自答からの暫定的な答えをくりかえし書きとめるばかりになってきて、書きものとしては停滞してると言っていい。
働いて食べて暮らして、ときどき何かで自分を癒す。そうして眠って起きてまた仕事へ行く。そんなありふれた毎日。生活しかしていないんだもの。
でも。
「もっと楽しいこと書けるような自分に、暮らしに戻りたいなあ」なんてずっと言ってるんだけど、それこそ嘘なのかもしれないなあ。
人間って、「戻る」ことができるんだろうか。前の自分とやらに。
戻ってるようでいて、限られた時間の中で成長だったり納得だったり、あるいは赦しや諦めを経て、自分を再構築しつづけているんじゃないのか。
誰だって、前の自分には戻らない。戻れない。
自分でさえわからない、忘れてしまうくらい小さな変化をくりかえしながら生きている。
そしてそのきっかけは趣味や好きの中だけじゃなくって、ありふれた暮らしや人生の悩みの中にだってあるのだ。

誰にとはなしに、ふと「みんなみたいに、おもしろいこと書けなくってごめんね」「悩むばっかりで、楽しくない人間でごめんなさい」なんて思うときもある。
そのたびに昔の自分が書いた人間はコンテンツじゃないって言葉に支えられる。
誰かのために生きてるんじゃない。わたしはわたしのために生きている。
人にウケなくっても、言葉がササらなくっても、わたしはわたしをやっていく。
そのために書く。前へ進むために。
停滞しがちな自分を再構築するために。
ブログを書くことは、他でもないわたし自身と、これを開いているどこかの誰かとの約束なのかもしれない。