うまいことはいえないが。

書きたいように書いていたい。自分を救いたい。誰かになにかを伝えたい。

SNS時代の終わりを感じながら

今年に入っていろんなものを整理した。
物理的なもの、ネット関係。
その総仕上げが機種変と格安スマホへの乗り換えになると思う。今月末には、やる。
ツイッターも極限までフォロー・フォロワーの整理をした。
わたしが「趣味:競馬」をやめて戻らなくってもほっといて赦してくれるであろう人やアカウント以外はどんどん外していった。憧れの人も例外じゃなかった。
あなたが嫌いで嫌になってそうしたんじゃない。
もうなんにもないのにつながってかかわってもらうのが申し訳ないから、こちらから去っただけ。
今のわたしは前みたいに(元)趣味の話を楽しくできなくなったから。

そうしてるうちに「もうツイッターもいいかなあ、いよいよついに消えどきかな」とも考える。整理整頓のきわみ。脱SNS
ツイッターの崩壊で、SNSの時代はいったん終わった、と思う。
改悪に次ぐ改悪でツイッターはもうツールとしてはほぼ死んでしまった。
トレンド欄を開いてもインプレッション目当てのスパムアカウントのコピペで埋め尽くされて、ほんとうに知りたい情報にたどりつくことさえ困難なありさまだもの。
壊れてしまったものはもう二度と元には戻らないだろう。
それでも愛着だけは残っている。つぶやきを通して得た人とのつながり。あと、なんだかんだ情報が早いのもツイッターだし。
それに外付けSNSがないと、今どきブログなんてぜんぜん読んでもらえない。
たまに書いたものをシェアするための場所くらいは確保しておきたい。
わたしは何よりも、書いたものをどこかの誰かに読んでほしいのだ。
もっともシェアしたって、趣味をやめたわたしのブログを読む人はもう限られている。
びっくりするほど読まれない。おもしろいこと書いてるわけじゃないから当たり前なんだけど。
だけど「限られた人」はもちろん、ほかのどこかの誰かがうっかり読むかも知れない可能性は持っておきたい。

書いたもののシェア。
もしかしたら届くかも知れないと一縷の望みを懸けて、ガラスの小瓶に手紙を詰めて電子の海へと流すようなもの。
終わったSNSの使いかたなんて、もうそれくらいしかない。

 

 

 

sizu.me

ここがわりとそういう場所の理想系。しずかなインターネット、つながりやいいねの可視化も最低限だし、ほんとうにしずかでよい。