うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

もの言う人が好き

連休中もつい習慣的に見てしまった。
ツイッターのタイムライン。
見る時間減らしていきたいなぁと思っている。このところずっと。
見ててあんまり楽しい話がないんだもの。
地獄のようなトレンド欄と、わずらわしい記事と広告。
あたま押さえつけられて説教されてるみたい。現実から離れて息抜きに来てるのに。
つながってるひとたちの声だけでいいのにね。好きなものだけ見ていたいだけなのにね。
ちょっと前からリスト分けてして見たいものだけ見てるはずなんだけど、チラチラ見えるものは覗き見てしまうのが人間のさが。
そういうの見ない胆力も必要ですね。
胆力だって。好きでやってるのに、へんなの。
相変わらず同じところをぐるぐる回っています。
せーのでやめられたらいいんだろう。でもわずかながら好きな人たちとのつながりがあるので。大事なので。
何もかも捨てたくなくてこだわっている。かかわりかたを模索している。

そんなことを考えてるうちに、決意を胸になにか言うことをあきらめて、言葉や感情を飲み込んで、あちらではお菓子とかごはんとかあたりさわりのない話ばっかりになってきました。
自分が抱えてる生きづらさや心の問題を言語化するたびに、「おもんないなぁ」「めんどくさいなぁ」と人が去り心が離れていくような気がして。たしかにそういう向きはある。
趣味や好きなものでつながってるだけの、知り合いでも友だちでもないどこかの誰かの重たい話につきあう義理なんてないもんね。ふつうに考えたら。
わかっていてもときどき「めんどくさくて、おもんなくてごめんな」って申し訳ない気持ちにちょっとなる。
誰に対して? たぶん世界に対して。
でもわたしは弱音や本音をはいてる人が好きだ。
この繊細になりすぎた不寛容な世界で、それでも言葉を選びながら、懸命になにかを言ってる人が好きだ。
知り合いでも友だちでもないのかもしれないけど、気持ちでつながる同志だと勝手に思っている。
だからツイッターはやめられない。たぶん。

今、これだけは言える。言いたい。
人と比べて自分の気持ちをないがしろにしてしまうのがいちばんしんどい。
もっとしんどい人やもっと幸せな人と比べて恥じたり落ち込んだり、無理に自分をはげまして追い込んだり。
言いたいことを引っ込める義理も義務もない。ひとつ言うためにいくつも予防線を張る必要もない。
自分の気持ちは自分だけのものだから。

わたしはあなたの言いたいこと、いっぱい聞かせてほしい。