うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

ひと夏の情熱だった

7月22日。
その夜はあるひとのラストライドを見ていた。
厳密にいえばステージはまだひとつ残されているのだけど、伝統にしたがって、勝負らしい勝負をするのはこの日が最後。
ティボー・ピノ。彼は今期限りでの引退を表明していた。
現役最後のツールドフランス、ラストを飾る山岳ステージはくしくも彼の地元で行われた。

愚直なひとだと思った。
周りを利用してうまく立ちまわればもっと楽ができるだろうに、自分自身が前へ前へと向かっていかずにはいられない。
不器用なひとだと思った。
誰に咎められても、大人げないと笑われても、本当の気持ちを言わずにはいられない。
アスリートというよりも戦う男。
大胆だけれど繊細で、すべてのものと戦うための熱いハートをもっている。そこにたまらなく惹かれた。
そんなひとの、心ふるわす魂の走りをゆうべはずっと見ていた。

わたしはサイクルロードレースをまだ深くは知らない。
けれども思いがけずこんなにも面白いひとを知ることができて、こんなにも心掴まれたのに、もうじきお別れなのかあ…
という淋しさと、
いやいや、出会えたことにただただ感謝するばかり、たった数ヶ月だったけれどものすごく密度の濃い時間だったなあ…
と、このうえない幸せを感じている。

レース中盤で逃げに乗り、ついにはたったひとりで山を越えた。
道すがら大勢のファンに出迎えられながら、懸命にペダルを踏みつづけた。
ひとり旅は無情にも終盤で終わりを告げ、7位でフィニッシュするも彼の表情は晴れやかだった。
バイクを降りた彼はおだやかに笑っていた。きっと自身でも納得のいく走りだったのだ。
たとえ自ら動かず機を見てもっと上位で入線しても、あからさまに配慮されていちばん高いところに祭りあげられても、どちらにせよ煮えきれぬ感情が残っていたに違いない。
だから自ら決死のアタックをかけた。死力を尽くした。すべてを出し切った。
そんな彼を讃えて敢闘賞が贈られた。戦う男にとってはなによりの勲章。
文字どおり記憶に焼きついた魂の走りだった。

ティボー・ピノ選手はどことはなしに、わたしが敬愛してやまなかったあのひとを思い起こさせてくれた。
ひと目見た時から、あのひとに近しい匂いを感じた。ターフを退いたあの勝負師と。
戦う姿勢や意気込みみたいなものが、なんとはなしに似ていると思った。
愚直で不器用で、大胆さと繊細さが同居しているようなひと。
尖っていて危うくて、触れたらこちらが切れそうなほどに張りつめているのに、見ていて怖いくらいに全力で、だからいつのまにか目を逸らせなくなった。
いびつだからこそ惹かれた。
そういうひとがわたしはやっぱり好きだ。
きれいなだけじゃない。ただ強いだけでもない。
泥くさくとも心と体のぜんぶで足掻いて足掻いてあがき倒す、かっこいい男がたまらなく好きだ。
そういうすごいひとに出会いたくてスポーツを見ているのかもしれない。

この夏、思いがけない情熱がわたしの空っぽだった心と体に一瞬だけ帰ってきた。
ピノにサトテツを見た。
彼は彼として、唯一無二の存在で、愛さずにはいられないひとだった。
みだりに比べるものではないし、言わずもがな代わりのひとを探しているのでもない。
だからこれは黙って胸の内に秘めておこうと思っていたのだけれど、浅くてつたなくて自分勝手ながらもいま思い感じている想いを書きとめておきたかった。
わたしもまた、言わずにはいられない女だ。
なので、ひと夏の情熱にあてられて急にちょっとへんなことを書いているのかもしれないけど、そこはまあご愛嬌ということで。

今宵、ツールドフランスは幕を閉じる。ライダーたちはようやく二十一日間の長旅を終える。
ここまでたどり着いた英雄はみな悠々とシャンゼリゼに凱旋するのだ。
彼らの無事を喜びながら、そして刻一刻と迫る別れの時を惜しみながら、最後の夜を心待ちにしている。
ひと夏の情熱が終われば、きっとまた新たな夏がやってくるだろう。