うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

人間をやっていきたいので

今週のお題「30万円あったら」

メンタルクリニックへ行く。
カウンセリングって保険がきかないじゃない。
暮らしながら通うにしても負担が大きくてなかなか腰があがらない。時間の都合もつけなきゃならないし。
きょうあしたどうにかなるわけじゃないから、ずっとあとまわしにしつづけてきた。
それがよくなかったのかもしれない。そろそろ白黒つけてみてもいいかな。
この頃はそんなことばっかり考えている。

わたしは病気じゃない。
精神が最も死に近かった時期ですら病気じゃないって診断されたくらいだから、それはもう間違いないと思う。
あの頃に比べたら、今なんかまだ楽に楽しく生きているほうだ。
もともと眠れないとか吐くとか頭が痛いとか体が動かないとか息ができないとか、そういうふうになったことがないのだから、そりゃそうだ。
心の具合は悪くなるが体は引きずられない。
多少は重たくなったりするものの、どうにも枕があがらないわけではない。
せいぜいストレスで過食して太るくらいだ。
体が丈夫なのに引っ張られて心を病まなかったと、自分では思っている。

でも、ものすごく生きづらい。
たとえばどういうことでと訊かれたらぱっと挙げるのは難しいけど、しいて言うなら組織に向いてない。勤め人に向いてない。コミュニケーションに向いてない。つまり人間に向いてない。
さりとてひとりで生きていけるような才能も資格も学歴もないので、人間に擬態して労働者をやりながら、だましだまし、なんとか生き延ばしている。
人間をやるのが疲れる。たびたび無理になって壊れる。
生まれてからこれまでの疲れが蓄積されて、もういいかげんにしんどくなってきた。正体不明の不安と闘うのは。
この生きづらさゆえ人生がうまくいかない。しばしばつまずいて転ぶ。
大人なのに道でこけまくって痛いなんて、まあ泣けないでしょ。

疾患でなく性質なんだろう。この生きづらさは。
世の中には病気や障害を抱えながらも立派に生きてる人がたくさんいるというのに、わたしという人間はいったいなんなのか。せっかく五体満足で生まれてきたというのに。
いや、うまく人間をやれてないからこんななのだ。
これを、ちゃんとした第三者の見識からジャッジしてもらいたいのだ。
いまどれくらい人間をやれてるのか、ここはあんまり人間をやれてないとか、じゃあどうしたら無理なく人間をやれるのか、人間やるのがしんどくなったらどうすればいいのか。それを知りたい。

心理検査っていうのかな。ひととおり受けたいな。
どれくらいの知能で、どんなことに得手不得手があって、ほんとうはどんな性格なのか。
母や弟はわたしをちゃんとやれてると言うけど、それは親しいものへの慈愛の心がそう言わせているだけのことだと思う。
家族とはコミュニケーションがとれるんだからなおさらだ。
とはいえわたしは家族にも気を遣う。
気を遣ってるんだから、そりゃあちゃんとやれてるように感じるだろう。
友だちも会社の人も誰も、わたしが人間をやるのにがんばりを要することに気づかなかった。
だからもうぜんぶ暴いてほしい。ぜんぶ受け入れるから。
わたしは猫をかぶってうまいことやれてるふりをしながら、隙あらば自壊していくので、わたしはわたしのことを全く信用していない。
そしてそれはとても消耗する。自分自身をも欺いているからだ。
違和感に蓋をしながらちゃんとした人を演じてしまう。
大人だってこけたら痛いのだから、せめて近しい人の前では泣けばいいのに。
自分という人間を、この生きづらさを、誰にもうまく伝えられないまま歳をとった。
かくなるうえは最後の手段。
30万円あったらしばらくは気負わずに通えるでしょ。もしも30万円あったらね。
まあ実際ふってわいた30万円はないんだけど、だましだまし暮らしながらでも、近いうちに行ってみようかな。そう前向きに考えている。