うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

休み明けが怖いけど、

休みのために働いているといっても過言じゃない。
でも、長い休みをはさむとだめになる。
それまで緊張の糸を張りつめてがんばれていたことが、とたんに我に返って嫌になる。
生きていくためには食べて寝て装って、たまには好きなことをして。
そのためのコストは高いのに、社会へ出て会社に通って人とまじわって働くことがとても難しい。
見合ってない。バランスがとれてない。
お金を稼ぐのって難しい。生きるためのコストは高い。
そんなことを暇さえあれば考え出してしまうからだめ。
「人間に向いてない病」は休み明けにたびたび再発する。
だから長い休みってちょっとゆううつだ。
立ち止まったらふりかえってしまう。ふりかえるとやっぱりしんどいなってなってしまうから。
なにがしんどいものか。休みのためにがんばってる。
休みがないともたない。
じゃあ、休みが終わったら?
ああ、わずらわしいな、しんどいな。怖いな。
また現実へ戻っていくのが。心と体を働くマシーンに切り替えていくのが。
人生そのくりかえし。飴と鞭でだましだましやりすごしていく。
もしかして、嫌なものは嫌だと普段から思っててもいいのかもしれない。
働くマシーンになってるうちは「次の休みまでぜんぜんがんばれるわ〜」なんて思えてくるけれど、ほんとはがんばれてないのかもしれない。
休み明けに生きるのがしんどくならない生きかたを模索すべきなのかもしれない。
今のところ、向いてないなりに組織に所属して仕事を与えられるのが最良としているけど。たぶんほとんどのひとがそうなんだろうけど。
先日完結した「違国日記」の中に「ずっと大丈夫じゃないけど、大丈夫じゃない自分のままでやっていくって決めたから」みたいなセリフがあって、ああそれだなと思った。
生きていくのがしんどいことには変わりないし、世界を変えられるわけでも、そう感じる自分を変えられるわけでもないけれど、そういう世界と自分を「しょうがないな〜、そういうもんか」って受け入れることならなんとかできそう。
あきらめだろうか?赦しだろうか?
でも仕事も人生も人間も自分自身も、べつに無理にがんばって「楽しい!幸せ!」にしなくても、ならなくてもいいんじゃないかな。
「でもグレーにさせない たとえバラ色にならなくても」っていうポケットビスケッツRapturous Blueの一節が昔から好きで。
歳をとってからあらためて聴くポケビ、ブラビは沁みる。
わりと最近なら、おとなの掟の「そう人生は長い 世界は広い 自由を手にした僕らはグレー」もいい。掴まれた。
ブルーもグレーも綺麗な色だよ。とても好きだよ。
薔薇色とか桃色でなくてもいいんだ。
仕事は楽しくなければならない、人生は幸せでなければならないなんて、実は押しつけで思い込みなのかもしれない。
楽しくなくても生きていくために仕事へ行くし、しんどさを感じながらもなんとか生きていくのだ。
たまさかの幸せが休むこと。
いっとき世界と社会から解き放たれる時間を得る。
その時間に、モーニングしたり、カレー食べたり、ふらっと旅に出たり、大事なひとに会いに行ったり、スポーツ観戦にどっぷり浸かったり。
ほんとうに好きなことをして、自分とはなにかを今一度思い出す。
人間に向いてないけど、なんとか生きている。それでいいよ。
そう思えることでなにかが変わるわけでもないけど、「嫌だな〜、生きるのしんどいな〜」よりかは「しんどいもんはしょうがないな〜、なんか生きてるけど」のほうが、ちょっとは楽だ。
そんなことを思いながら、連休のどっかで旅がしたいとか、年末年始はちゃんと帰省しようとか、そういう他愛のないことを考えはじめている。