うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

燃え尽き満喫中

幸せな一年だったなあ。
振り返るのはまだちょっと早いけど。
侍ジャパンは世界一になったし、
ジロもツールもブエルタも夜なべして見届けたし、
ラグビーは見応えあったし、
阪神タイガースの日本一も見られたし、
今年についてはもうほんとにできすぎというか、思い残すことはなにもない。
「これ以上のハッピーエンドある?」という気持ち。最高に満たされた。
なのでプロ野球のシーズンが終わってからというもの、なんだかずっと無気力状態で、われながらこわい。
これが燃え尽き症候群というやつか。
自分自身はなんにもがんばってないのに燃え尽きるとはこれいかに。
なんにもしていないわたしの一体なにが燃えていたというのか?
いや、がんばってたのだ。燃えていたのだ。たしかに。なんにもできてないふうでいて。
生きるために、日常を暮らしていた。
生ける屍にならないように、新鮮な情熱の炎を心に燃やしていた。
わたしの人生にいつもスポーツが寄り添っていてくれたから、わたしはわたしとしてもっていた。
心が疲れきってフィクションやエンタメさえもしんどくなってしまったいまのわたしにとって、スポーツ観戦はずっと変わらぬ生きがいだった。
かつてはこの中の筆頭に競馬があったのだけど、いまはちょっと外れてしまってて。
それでも約一年ぶりに競馬場へ行けたとき「純粋な娯楽としての楽しさではもうなくなってしまった」けど変わらず「好き」だし「愛してる」。ただ「想うだけ」でもいい。そういう関わりかたでもいいんだと思えた。
答えが出てホッとして、力が抜けてしまったのもあるかもしれない。
趣味も暮らしも、いつもそんなにがんばらなくていい。燃えてなくてもいい。できるときにそうすればいい。
だから今年の楽しみがほぼ終わってしまったいまは、いいかんじの燃え尽き状態を味わっているところ。
「もう今年以上のハッピーエンドはそうそうないでしょ」と思いながらも「また来年、なにがあるかわからんよ」「あれを見届けるまでは死ねない」「とりあえずそこまでは生き延びる」「あとのことはまたそのとき考える」って気持ちになるんでしょう。
なんといってもパリで五輪がありますからね、来年は。
なんのかんのであるんです、なにかが。求める心があるならば。
燃えたあとは燃え尽きるもんです。がんばったあとはがんばれなくなるもんです。
どれもずっとつづくわけじゃない。
かわるがわる、がんばったり休んだり、熱中したりぼ〜っとしたりを、くりかえしていく。
暮らしって、人生って、案外そういうもんかもしれないなあって。