うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

「ゲームは一日一時間」

趣味を休んで浪費をおさえたら、なにもしない時間が増えた。
なにかやることは……
あるじゃん! お金がかからず時間だけを食ってくれる、しかもなにかをやりとげた気持ちになれる、うってつけの趣味が。子どものころから大好きだった遊びが。
ゲームだ。こんなときこそゲームの世界へ行こう。

ロマンシング サ・ガ3(通称ロマサガ3)。
高校生のときになけなしのお年玉でスーパーファミコンソフトを買って数年間、毎日毎日やりこんだ最愛の一本だ。
だいぶ前にアプリを落としたまま途中で放置になっていた。いちからやりなおす。

かくして冒険の旅がはじまった。
めちゃくちゃやり込んだからストーリーも道順もみんな頭の中に入ってる。忘れていたことも自然と思い出していく。
だけど集中力がつづかない。
眠い。
時間が長い。
スマホだから操作も慣れない。
そんな中でも戦闘、技の習得、ステータスあげと、やることがいっぱいある。
このゲームはバトルがメインで、パーティーメンバーをそこそこ強くしなければ話にならない。
バトルを楽しめないと醍醐味をあじわえないのだ。

「ゲームは一日一時間」。
きょうだいでゲーム機を取りあいしていたわたしたちはルールを厳守していた。
子どものときはこの一時間が一瞬のように短く、永遠につづけばいいと願ってやまなかった。
大人になって、ゲーム機をおのおの持つようになった。
市場の主流がテレビ接続の据え置き型から携帯用へと移り変わっていった背景もある。
厳格なルールがなくなって遊び放題にはなったけど、自由になった時間と反比例するようにゲームへの情熱は次第に落ち着いていった。
歳をとって暮らしや価値観が変わったのもある。ゲームについて語りあっていたきょうだいも同じように感じていたんだろう、一足早く卒業していった。
RPGを一本クリアするのもやっとになった。
やがてゲーム自体からも遠ざかっていった。
こんなにも自由なのに、自由を手にしたとたん新鮮な喜びが失われてしまったのは皮肉だ。

制限をかけられた中で与えられた自由は尊い
無限のうちの一時間と、たった一時間だけのうちの一時間すべてでは重みがまるで違う。
あのころ毎日一時間、一か月以上かけて一本のRPGをクリアして、気に入ったら二周目も三周目もしていた。
ゲームに触れない時間は空想にふけったり、攻略本を読んだり、絵や文章で二次創作をしたり。部誌や同人誌も出した。わたしの青春はゲーム一色だった。
そうやって少しずつかみしめるように味わっていたからこそ情熱は長続きして、熱烈なものとして記憶に刻まれたのだ。
かつての趣味だったゲームを思い起こすときは、楽しかった経験だけが呼び起こされる。
大人になったいまあのころと同じように打ち込むのは難しいけれど、思い出の道をたどって、慣れた手触りを通して懐かしんだり、楽しんだりすることはできる。
いまようやく手が慣れてきて、ストーリーやキャラクターだけでなくゲームそのものを楽しむ余裕ができてきた。
遊ぶときは真剣に。だけど真面目になりすぎない。
大人になったわたしはもう、べつに宝箱やドロップアイテムをとりそこねてもいいし、イベントを見逃してもいいし、ちょっとパーティーのレベルが足りなくても知識と経験からの工夫でうまく補うこともできる。
データやコレクションに穴があったって、不完全なパーティーだって、面白いものは面白い。
ありあまる自由な時間はわたしの情熱をいったん失わせはしたけれど、完璧でない自分を赦すことと、マイペースで楽しむことを教えてくれた。

プレイ時間が無制限になったいまも結局、毎日一時間ちょっとくらいのペースで落ち着いている。

 

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