うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

紙の本に回帰したい

Kindleってある日突然読めなくなったりするらしいしね。
なにより、買った記録は消せない。履歴に残りつづける。
手放したくなった本を手放すことができないのはちょっとつらい。
人には、読んだことを忘れたい本だってある。

ロシアによるウクライナ侵攻がはじまったころ「戦争は女の顔をしていない」で長らくうなされていた時期があった。
原作とコミカライズどちらもそのずっと前から読んでいたからだ。
なのでKindleの本棚を開いてこの本のサムネイルが目に入るたび悪夢のようにフラッシュバックするのだった。
なのに、知るために読まずにはいられなかった。己に課した義務として読みつづけていた。まるで自傷に等しい苦しみだった。
これでは心が壊れてしまう、とダウンロード欄からは削除したもののライブラリから消えることは決してないし*1購入履歴も残る。
この本が棚にある、という事実でずいぶんと長いあいだ戦火の女の子たちのことが頭の中から消えずにつらかったものだ。
自分自身の暮らしと遠くで起こっている出来事とを切り離して、手元の生活に埋もれながら、ちょっとずつ割りきっていくしかなかった。
おそらくもうつづきの巻を買い求めることも、読み返すこともないだろう。
至らなく情けないけれど、他者と世界に深くかかわるのは自身の健康な心身あればこそ。
人の想いや物事を自分ごとのように受けとってしまうわたしにとって、戦争はあまりに重すぎた。結局いまも忘れられてはいない。当然のことだし、それでよかったのだと思う。わたしには必要な苦しみだったのだ。

逆に、近しい人にぜひ読んでみてほしい本だってある。
だけど電子書籍は本の貸し借りがかなわない。
幼いころから目に入る場所には本が必ずあって、きょうだいでくりかえし回し読みをしていた。
学生のころ、毎日のように友人同士で本の貸し借りをしあっていた。
誰かとシェアしてきた本たちがいまのわたしをつくっている。
だけどいま、わたしの部屋の実在の本棚には本が少ししか置いていない。
厳選した文庫とまんが、それと辞典があるだけ。
さすがにもうちょっと手元にあってもいい気がする。
たとえば「宝石の国」はぜったいに紙の本で欲しいのだ。きらきらと輝いて、とても素敵な装丁だから。

*1:…と長らく思い込んでたんですがAmazonサイトからできるんですね、コンテンツの完全削除。もう一度ちゃんと調べてから書けばよかった。