心のこと
私は、元気で前向きで情熱的で、いいひとでありたかった。
ないものねだりできりがないのだ、人生っていうものは。
自分自身にとって大事なときほど、どうか本音で。
今は彼とともに障害レースを観ているのかもしれません。
好きだったひとを失う痛みに、恋も愛も友情も関係ない。
濃密で、幸せで、そして苦しくて、淋しかった。
願いを真っすぐ口にすることはファンの権利でもある。
怒りの力は、相手にも自分にも傷を残す。
世界の美しさを教えてくれたのは、競馬だった。
競馬場の門はいつのときも大きく開かれていて、何者をも拒まない。
もしかして、昨年末からずっとがんばりっぱなしじゃないですか。
ひとりひとりが心の中に異なる土と水をたたえている。
知り得ないからこそなおさらに惹かれる想いもある。
信念を貫いてひとり生きてゆくことは難しい。そして時折淋しい。
自分を信じることはきっと、ひとを信じること。
トップスピードで走り続けられる馬などいない。
想いや考えはやはり言葉にしなければ伝わらない。
馬にも人にも私自身にも、等しく時間は流れるのだった。
なんとなくくらいでちょうどいい。
大切なのは、お互いに見て聞いて知って感じて、想像を働かせること。
大切なものは形を整えて綺麗にしまっておくのだ。
価値のためでなく好きのために
できるところから彼らとのかかわりかたを模索していくだろう。
「せっかくの重賞ある日も、メインを見ずに帰ることが多くなってしまったなぁ。」もったいない気もしつつ早めに切りあげながら、いつからこんなふうになったんだっけとぼんやり考えていた。競馬場へ行く目当てが障害競走や応援している未勝利、条件馬中心に…
ひとは忘れることで生きていける。
別にいいじゃないですか。ちょっとくらい失敗しても。
自分の気持ちを紐解くこと、感情の正体をつきとめること
力も道具も使う人間の心持ち次第で善し悪しが決まる。
心なしか自己肯定もうまくできるようになった気がする。
観戦も予想も馬券も遠征も、競馬という競馬を楽しみたい。