うまいこといえない。

うまいこといえないひとがつたないなりに何かを残し誰かに伝えたいブログ。

今一度、恋愛アレルギーを紐解いてみる

帰省中は家族のこと、親族のこと、自分の人生のことを考えざるを得ない。
良縁に恵まれず孝行できず普通に生きられず…なんて後ろめたい気持ちは常にあるけれど、そもそもわたし自身がわたしの人生に深く他人を求めてないんだろう。これまでといまは。
傷ついて、自信がなくて、信じるのが怖くて、逃げてきたのだから当然か。

なんとはなしに後ろめたい。
家族愛や好きなものへの愛ではこんなにも満たされてるのに。
でも異性(とは限らんけど)との恋愛、パートナーとの愛を得られない未熟さへの後ろめたい気持ちっていうのは家族や世間、常識に対するものでしかなく。
「それって絶対必要なんですか?恋愛と結婚しなきゃダメなんですか?それがまともな人間の基準みたいになってるの、なんなん?」
ってわたし自身はずっと思っているので、やっぱり求めてないんだろう。そういうのは。

男性不信が根深い。
両親の離婚と、わたし自身も父親との関係をきちんと築けなかったことによる。
まだ子どもだったからうまくやれなかった。
父は母以外の女性を選んで家庭を持った。
家はぐちゃぐちゃになって、捨てられたわたしたちはたいへん苦労した。
なのにあのひとはわたしを愛しているといい、つながりを持とうとしてきた。
なんなんそのいいとこどりみたいなの。どうしても赦せなかった。
父に執着されるのが嫌で、もう構ってくれるなと拒絶してわたしは逃げた。
こんなんで結婚や家庭に希望を見いだせるわけがないのだ。父の愛を拒んだわたしにはその資格もない。
なにより、わたしにとってのそれらは不確かなものでしかない。
ひとの心は変わるのだ。それを契約で縛るなんて、どだい無理なことじゃない?
恋愛も同じ。
いつでも破れる約束でひとを縛るなんて。
縛るのも縛られるのもわたしは嫌だ。
縛りあったら終わりがグダグダになるんだから。

友達にはなれる。なりたい。男性とは。
性別のことは考えたくなくって、人間として付き合いたくって。
けど向こうはそうじゃないってなったときにすごいしんどくなる。
なぜかひどく裏切られた気持ちにさえなる。
(こちとらいっぱいいっぱいで生きてるのに、勝手に期待して求めてくるやん…いろいろと…)
ってなって結局逃げることになる。
それで向こうも勝手に幻滅して、失望して、去っていく。
えぇ~っ、友達やったんちゃうんかい!わがの手に入らんかったら関係性すらいらんのかい!
…その繰り返しだったかもしれない。
自分も相手を心から求めて愛してたら受け入れられたんだろうか?
いや、たぶんキャパオーバーで無理だった。
これがわたし自身の拙さなんだろう。欠落した部分ともいう。

そんなわたしも趣味の中、同好の志の中では自由でいられる。
やっと安息の地を得られた感ある。
人と人って必ずしも深く長く付き合わねばならないとは限らなくて、浅かろうが短かろうがお互い目の前の相手に誠実でいられて、楽しい時間を共有できればいい。
それで関係が深まる人とは深まるだろうし…
っていう考えにまとまりつつある。暫定的に。
趣味の中ではそれが赦される。赦されてる気がするのだ。
だからいましばらくこの調子でいく。
もちろん、ひとの心は変わるから、わたし自身もずっと先のことはわからないけれど。