うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

おばあちゃんのこんにゃく

手作りのこんにゃく、食べたことありますか。
売り物じゃない自家製のこんにゃく。
淡く澄んだグレー色でゼリーのようにみずみずしい見た目。
生臭くなくさっぱりとしているから、お刺身で食べるのが一番おいしい。
祖母の作るこんにゃくは暮らしに根付いたものだった。
少しは地元の市場に卸していたみたいだけど、ほとんどは自分たちで食べるぶん。

こんにゃくを作るのはものすごく難しい。
現代においても謎に満ちている。
植物としてのこんにゃくも元となる芋もこれが食べ物になるとは思えないほどグロテスクだし、なにより製造工程が複雑すぎる。
食感にムラが出たりと失敗も多いらしい。
先人は何を思って、どうやって、なぜそこまでしてこれを作って食べようと思ったんだろう。
まさに人類の叡智。オーパーツだと思っている。
わたしの母方の本家にはそんな謎の食べ物を作る技術が代々受け継がれていたようだ。
高知の本家と自宅のある大阪を行き来していたわたしたちは長らくその恩恵にあずかっていた。
わたしも含め、家の誰も製法を引き継いでいないのが気がかりではあったが。

杞憂は現実のものとなった。
祖母はこんにゃくを作らなくなった。
田んぼも畑もお祀りもやらなくなった。
できなくなったのだ。いままでの暮らしに根付いたあれこれを。
祖母の頭の中はどんどんぼんやりしていく。
もうこんにゃくを作るどころか、作り方を訊くことすら不可能だろう。
いつかと思っているうちにあっというまに年老いてしまったのだ。
こんにゃくも、田んぼも畑もお祀りも重労働だ。
教えを請うことで負担をかけたくないという気持ちもあった。

先人の知恵や伝統が消えてゆくってこういうことなのだと、いま身をもって痛感している。
たとえ家や里にいくらか思い入れのある母とわたしが作り方を教えてもらっていたとしても、書いて撮って忠実にレシピを残したとしても。
実際に家に住み、土地に根付き、生きた文化として継承しなければ意味はない。
外孫のわたしは家を継ぐことはできないし、高知へ移住するほどの覚悟もない。
わたしにとっては生まれ育った大阪が家なのだ。
いとこたちもずっと都会で暮らしていたり、よそへ嫁いだりして、どうやら家は継がないようだ。
街から離れた山里にある本家は、苗字だけはかろうじて残るだろうが事実上絶えるだろう。
それは時代の流れであり、人の暮らしや価値観の変化でもあり、もう止められない仕方のなかったことなのだ。

何かしらできることはあったのではないかという後悔はにじむ。
たとえ風習として根付かなくとも教えを請い、文化の保存という目的で、見て書いて撮って残すべきだったのかもしれない。
わたしにはそれくらいのことしか思いつかないしできない。それすらできなかった。だから何も言う資格はない。
祖母の頭は日に日にぼんやりしていってはいるが、元気に暮らしているのが救いである。母いわく毎日電話がかかってくるらしい。

わたしは家の者として、家も伝統も継げなかったし、家庭を持つことも子孫を残すこともできなかった。その予定も今のところない。
帰れるときに帰って、せめて孝行をして、自分の家で暮らして生きていくだけだ。
でも、わたしは覚えている。忘れない。
おばあちゃんのこんにゃくはとてもおいしかった。